……

 おかしいな。
 家に辿り着いた皐矢の胸に湧いたのはその感情だ。

 皐矢は中学三年生の時に施設から母方の叔母の養子先に引き取られた。それ以降は叔母とその養父である祖父と三人で暮らしている。

 自転車屋に自転車を預け、状態を聞いたり支払いをしたり(安くて助かった)、明日の登校時間に合わせて修理を終えたものを店先に出してもらう話をしたり。更にはそのまま家までついてきそうになった佐伯を追い払ったりで、とっくに午後五時半をまわっている。

 家の側にある神社の神主である祖父は、いつもなら五時過ぎには家に帰っているはずだ。

 しかし、居間に明かりはついていない。

 皐矢が玄関戸に手をかけると、鍵のかかっていない戸はカタカタと音をたてて開いた。

 施設のあった地域では考えられないことだが、この地域の人々は大体鍵を閉める習慣がない。
 以前、家の二階でごろごろしていた時、「ごめんくださーい」と声がしたから皐矢が慌てて着替え終えて階段を下りると、既に既に人の気配はなく、玄関の上がり框にミカンの入った袋が置かれていたということもあった。防犯意識以前に、滅多なことをする人間はいないだろう、というのがこの近辺の住人の考えだ。



 皐矢は鞄を置き、家の傍らに伸びる百段の石段を駆け上がった。祖父は元気とはいえ七十歳だ。何かがあったのかもしれない。







 “駆け”上がれたのは、三分の一ほど。
 後は膝に手をつきながらなんとか上りきった。

おお皐矢。そんなに息せき切ってどうしたんじゃ?

 皐矢の嫌な予感は見事に外れ、迎えたのはのんびりとした声だった。
 祖父は鳥居の横の石に座り、夕日を眺めていたようだ。

 うなだれて肩で息をする皐矢は、ここまで来る道中であれやこれやと勝手な想像をふくらませていた自分を強烈に恥じた。

……

お爺ちゃんが帰ってないから、ちょっと見に来ただけだよ

おー、そうだったかそうだったか。いやなに、ちょっと膝が痛ぅてな。どうしよかなぁ、もう少ししたら帰れるかなぁとぼっちぼっち考えとったんじゃあ

膝……

 皐矢は迷った挙句、祖父に近づいて背中を向けて屈む。

叔母さんが帰ってくる前に、家のことやっとかないといけないから

 少し間があった。

 不安にかられ始めていた皐矢を救ったのは、祖父の忍ぶような笑い声だった。

じゃあ、孫の厚意に甘えるとするか

 皐矢がおぶった祖父の身体は、空洞になっているのではないかとぎょっとするほど軽かった。




それにしても、これからどうするかのぅ……

朝の七時に神社にいればいいんだろ? しばらくおくってあげるよ

ははは。気持ちはありがたいが、お前、この石段をわしをおぶって上れるのか?

あれはっ……、途中まで走ったからだ

まあ、ナズナにお前と同じ弁当をこさえてもらえばいいし、神社に便所もあるし、しばらくは頼むとするかなあ





 そして祖父は、何がおかしいのかまた笑う。

何がそんなにおかしいのやら……。

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