その夜のことでした。

夕顔の女と共に眠っていると、枕元に美しい女が立ち、

私はこんなにも貴方のことをお慕い申し上げているというのに、私の元へはお通いにもなられずに、このようなつまらない女の元へ通っていたのですね。
恨めしいことです。

と言って隣で寝ているはずの女を起こそうとする夢をご覧になりました。
 

なんだか薄気味悪い気持ちがして目を覚ますと、燭台の火も消えています。

嫌な感じがしてそばに控えているはずの夕顔の女房、右近を呼ぶと、すぐに現れました。

源氏の君

宿直人を起こして火をつけるよう言ってきなさい。

と源氏の君がおっしゃると、右近は

右近

このように暗いのに、どうして行けましょう。恐ろしい。

と申します。

まったく子供のようだと源氏の君はお笑いになって手を叩かれました。

しかし木霊のように音が返ってくるだけで、誰も参上しません。

隣で寝ていたはずの夕顔も起きていて、かわいそうに、小さく震えているではありませんか。


もともと気の弱い女で、今朝だって知らない邸に不安そうにしていました。

このまま怯えさせるのはかわいそうだと思われ、源氏の君は立ち上がりました。

源氏の君

右近、夕顔のそばへ。
私が代わりに呼びに行こう。

とそう仰って源氏の君は部屋を出られました。

あたりは気持ち悪いぐらいに静まりかえっていて、廊下がひどく長く感じました。

急いで男達を起こしになって部屋に戻られると、夕顔と右近が寄り添って伏しているようでした。

源氏の君

もう大丈夫だ、私がついているのだからそう怯えることはない。

そうおっしゃって右近を起こそうとなさいますが、どうやら様子がおかしいのです。

狂ったような怯えようです。
なにもそこまで怖がらずとも、と思ったところで、源氏の君はなにか冷たいものを感じらればっと振り向かれました。

どうしたことでしょう、今、確かに枕元に女が立っていたような気がしたのですが…。
 

源氏の君ははっとなって夕顔の女をご覧になりました。

先程の夢の中であの美しい女は夕顔に何かをしようとしていたからです。

名前を呼んで体を揺すってご覧になりますが、夕顔の反応はありません。


胸騒ぎがします。

夕顔の手はすっかり冷たくなってしまっていて、息もしていません。

源氏の君はすっかり冷静さを失って夕顔の体を強く抱きしめられました。

源氏の君

どうか、どうか目を覚ましてください

生きている気配も無くなってしまった、愛しい女であったはずの体を、源氏の君はいつまでも涙を流されながら抱きしめておられました。

私がこのように心細いところへ連れて来なければと後悔なさいます。


いつもどこかで人との間に線引きをして冷静に世の中を見ておられる、一見冷たい完璧な人のように見える方ですが、当時まだ17歳。

まだ幼い少年なのです。
その幼い心には、あまりにも辛すぎる別れでございました。

夕顔の素性は明かさないまま丁寧な葬儀が執り行われました。


その中で源氏の君は右近から夕顔の素性を聞いておられました。

睨んだ通り夕顔は中将の忘れられない女、常夏の女だったのです。

右近は夕顔の乳姉妹にあたり、幼い頃から仕えていたそうです。

両親を早くに亡くし心細い身の上であったところに、まだ少将であった中将の君が通われるようになったとか。


中将の君との別れの後は、素性を隠して住処を転々としていたそうなのです。

源氏の君はせめてもの忘れ形見として夕顔と中将の間に生まれたという娘を引き取りたいとおっしゃいました。


右近もそれが夕顔の弔いになると思いその娘を探しました。

乳母夫婦に世話を頼んでいるということでしたが、結局その乳母夫婦の行方さえつかむことはできませんでした。

源氏の君

見し人の 煙を雲と 眺むれば 
 夕べの空も 睦ましきかな

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