戴輝

大丈夫ですか、姉上。少し呑みすぎなのでは?

それは、美しい春の夜のことだった。


御所の一番高い部屋の縁側に腰掛け、一組の男女が杯を交わしていた。


それは、美しい女と男だった。
性別こそ違えど、よく似通った顔立ちをしていた。

白く透きとおる肌、艶やかな黒髪、黒曜石のように濡れた瞳。
すっと通った鼻梁、薄く色づいた、厚めの唇。

美しい男女の対に、きっと誰もが見惚れるであろう。


そんなふたりは今、こうして髪を整え、豪奢な服を着て、とある一行を待っていた。

春乃

…えぇい、やかましい。今、わたしはどうしようもなく昂ぶっているのだ

今日はなんて素晴らしい日なのだろう。
19歳の誕生日と共に、ふたりは連れ添いを得、大人になる。


今ふたりが待っているのは、ふたりの父を殺した仇の息子と娘。
そして、これから夫婦の契りを交わす相手だ。


謀反人になり損ねた、蓮(はす)の棟梁の子供たち。

春乃

…戴輝(たいき)、来たぞ

ふっと笑い、女は言い放った。
その艶めかしい言い方には、見とれてしまう。

男は女の言葉に驚き、立ち上がった。
女の隣に腰掛け、下を見遣る。


そこには、美しい一行があった。
もう最後尾さえわからない。

やがて、先駆けが過ぎると、大きなふたつの籠が現れた。
あれがおそらく、ふたりの連れ添いになる者たちだ。

春乃

来るなら来い。…あいつら、ずたずたに壊してやる

赤い唇を歪めて笑うその姿は戦姫・夢梨春乃(ゆめなしはるの)にこそふさわしい。
 

あれは、憎き仇。ふたりで決めた。


この国を守るためにも、そして父の仇を取るためにも、いつか蓮を滅ぼす、と。

ふたりは立ち上がり、それぞれ違う部屋へと向かった。

戦国の世を経て、時代が東西朝時代となったのは、百年以上前のこと。
 

西を夢、東を蓮と呼び、それぞれを夢梨(ゆめなし)家と蓮見(はすみ)家が治めていた。
 

やがて国の派遣をめぐって、両家は対立するようになっていった。
 
そして五十年前に、夢梨家は蓮見家に勝利し、この国を手に入れた。
 

蓮見家の者は戦場で、もしくは捕えられ、殺された。
しかし、ひとりの兵士が、赤子連れの女を逃がしてしまった。


その女こそ当時の蓮見家棟梁の妾妻。
赤ん坊は、棟梁の末の息子だった。

兵士は、生まれたばかりの赤子が殺されるのが、耐えられなかったのだと言った。
命がけで赤子を守ろうとする女を、殺すことはできなかった、と。
 

――そしてその恩は、仇で返されることとなる。
 

成長したその棟梁の息子は、蓮見家を復興した。
蓮見家は、夢梨家に忠誠を誓った。臣下に下ったのだ。
 
そのため、夢梨家は蓮見家に手を出すことができなかった。
 

しかしそんな蓮見家が動いた。
反乱を起こし、東の土地を手に入れたのだ。


その戦の場で先帝は深手を負い、帰らぬ人となった。
その騒ぎに乗じて、蓮見家は、あれは反乱ではなかったのだと言い始めた。


もともとの東の土地の領主と揉め、それで戦になった。
駆けつけた官軍を相手の領主の援軍だと思い戦ってしまったのだと。


東の領主はもう死んでいた。確かめるすべはない。
だが、明らかに蓮見家の言い分には無理があった。


あの戦は双方ともに痛手を負った。
勝利を見いだせなかった蓮見家は、次の機会を待つためにそんな下手な嘘をついた。


それでも、正式に謝罪を出し、そのわびとして東の土地だけでなく自らの土地の返上まで申し出れば、夢梨家としては表立ってこれ以上彼らを追及することはできない。


その上、蓮見家は和平の証として、自らの子供たちを人質同然に差し出すと言ってきた。

そんな、激動の時代。
夢梨家には運命の双子がいた。
 

姉の名は春乃(はるの)。
剣から弓、長刀――あらゆる武術に秀で、御所付きの兵士でも敵わないと有名な戦姫である。

突然の父帝の死により、昨年の冬、春龍女帝(はるたつじょてい)として即位。

混乱の中国を導いたその人である。
美しく志高い、そんな彼女を人々は女神と仰いだ。
 

そんな彼女の陰には、いつもひとりの青年がいた。

青年の名は戴輝。
双子の片割れである。

文武両道。春龍女帝に敵うのは、先帝と、弟宮だけだ、そう言われるほどの腕前である。
そして、大学寮の講師と弁論を繰り広げうる知識量には、宮廷の者は誰一人として敵わない。
 

では、なぜそのように頼もしく、しかも男である弟宮が即位しなかったのか。
 


そこには、悲しい秘密があったのだ――…

1.「出会いは春の夜」(1)

facebook twitter
pagetop