神 斬
髪 切 り屋
神 斬
髪 切 り屋
参の巻 金剛 序章
法師ばかり羨しからぬものはあらじ。
人には木の端のやうに思はるるよと
清少納言が書けるも
吉田兼好 徒然草 第一段の一節
別の時空の兼好という御仁が書き記した、徒然草という文章の一段の一節なのだが
現代語に訳すると
僧くらい、他人から見ると羨ましくないと思われるものはない。
人には木の端のように(たいしたことがないものと)思われているよ。と清少納言が(枕草子)に書いているのもとなるわけじゃが
この清少納言という女人が書いた事は
概(おおむ)ね正しいと拙僧は思う。
この文章の、後の一節に兼好法師が書かれているとおり僧の本質は権力がほしいから
人のために、働いているからではなく
人の心の安寧(あんねい)をもたらすために
人の心を救う事を生業(なりわい)としているからに
相違ないと拙僧は考える
それが、拙僧が生きてしてきた事でもあるわけじゃ。
多くの人が生きて、死に、その短い人生の中でしてきた事の積み重ねが紡いだ事柄が歴史となっていくのである。
しかし、時周殿が書いた物語の参ノ巻
すなわち、拙僧を中心に書かれたこの巻を
拙僧自身が、皆様に語ることになろうとは・・・・
そして、その序章に吉田・ト部神道に係わる血筋で
ありながら、法師になった、兼好殿の文章を使うとは
これも、歴史という物の面白さなのかもしれません。
ん?拙僧は、誰なのかって
慌てなさんな、そのうち拙僧の名もわかるじゃろうて
ともあれ、参ノ巻 金剛、とくとご覧あれ。
神 斬
髪 切 り屋
参の巻 金剛に続く