月が出ているな

 男が言った。

 ヒノモト国に向かう船の甲板である。

綺麗だね

 女が言った。

 潮風にあおられた髪を気にしながらである。


 どちらもヒノモト国のスパイである。

この船は1時間ほどでヒノモト国に着く。陸軍と落ち合うことになっている。しかし、この月だ

うん?

追っ手に見つかる

まさか。どこにもいないよ?

ヲロシヤ国の科学力は、我が国のそれをはるかにしのぐ。おそろしく遠くまで視える『遠眼鏡』があっても不思議はない

うーん。もしそうだったとしても、近くにはいないから、追いつけないんじゃない?

たしかに。……だが、気をつけたほうがいい。高速船を開発しているかもしれない

心配しすぎだよお

 女は笑った。

 すると男は微笑した。

 船内に保管された棺桶(かんおけ)を見ながらである。

とにかく、今はどんな新兵器が現れてもおかしくない状況だ。そもそも俺たちは、未知の究極兵器を盗み出している

それもそっか

我が国は、陰陽寮によるアメリゴ合衆国・大統領の呪殺に失敗した。そして原子爆弾なる新型兵器を落とされた。たった2発の爆弾で数十万人が死んだという

 男は、棺桶に向かいながら言った。

 女は、男を追いながらそれを聞いた。

時代は変わりつつある。そして残念なことではあるが、我が国の科学力は時代に取り残されている

ヒノモト国は負けるのかな

滅多なことを口にするな

ごめん

しかし――。誰も口にしないが、誰もが負けると思っている

………………

ただ、それもこの『痴女』でくつがえる。これは起死回生の究極兵器だ

ちじょ……

どこをどう見ても、ただの裸の女だ。しかし、これがヲロシヤ国の最重要機密……究極兵器であることは間違いない

 男と女は、棺桶のなかをのぞきこんだ。

見ろ。氷漬けの物凄い美女だ

 

やや青みをおびた真っ白な肌と、脂ののった豊満な肉体。バチッとした瞳に、厚ぼったいくちびる

それにおそらくは、さらさらで艶(つや)のある金髪

男の人は、みんな、こういう女性(ひと)好きだよね

 ふたりともハッキリとは言わないが、男好きのするスケベな顔の、いやらしい肉体をした美女である。

この美女は……人間によく似ているが、どうやら違うらしい

永久凍土で発掘されたんだっけ

ああ。しかも生きている

まさかっ

解凍すれば活動を再開する

……そんな究極兵器を私たちは手に入れた

もうすぐヒノモト国のものとなる

これで戦争に勝てる

世界に平和をもたらすのだ

 男と女は目と目を逢わせ、それから、ゆっくりうなずいた。

 その瞳は、いずれも母国の勝利を確信した希望に満ちたものだった。

 と、そこに。

 すさまじい衝撃が走った。

 船がゆれて、轟音がした。

 それは音というよりも胸にくる振動であった。


 男と女は、床に伏せた。

 追い打ちをかけるように次々と衝撃が走った。

攻撃だ。攻撃を受けている

まさか、ヲロシヤ国の特殊部隊!?

魚雷を一発、大砲も何発か食らったみたいだ

あっ、あんなところに船がッ!?

いきなり現れたな。というより、なにか迷彩のようなものをまとっている

また新技術ゥ?

 と、女がぼやいた瞬間。

 船底から重い振動がこみあげてきた。

 船がひどくゆれた。

 女は吹き飛ばされ壁に衝突した。

 男は甲板に投げ出された。

くっ

 男は跳ね起きた。

 するどく船室を見た。女を探す。

無事か

 女は船内にいた。

 ぼう然として立ちつくしていた。

 やがて女は、ぺたんと座りこんだ。

 両手をついて、がっくりうなだれた。

どうした?

 男が駆けよる。

 すると女は微笑した。

 が、しかし、その微笑には恐ろしい苦痛が満ちていた。

 女は表情を動かしもせず、静かに言った。

壊れちゃった。氷の痴女が割れちゃった

まさかっ

さっきの衝撃で棺桶がパックリ開いて、痴女が出たみたい。それで、お腹のところで真っ二つに割れてバラバラに……

ウソだっ

 しかし、男の目に映った光景は、女が言った通りのものだった。

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