ベルティーユ王宮の謁見の間は広いホールのような造りとなっている。国王が君臨する玉座の背後には大きな鏡が埋め込まれているが、これは王の前に立つ人間が悪事を働けないよう見張るための仕掛けだ。ともあれ夜になればただの不気味な演出でしかないと不評である。
そんな心細さを笑顔で隠し、優雅に挨拶するリーゼリカを待っていたのは辛辣な言葉だ。

リードネス

ベルティーユ王国第二王女リーゼリカ・ヴィラン。お前は王家に相応しくない。十五の子どもに理解できるとは思えないが……

リーゼリカ

おっしゃる通りですわ。国王陛下

リードネス

そうか……って、んんっ!?

幼いと、若くして即位した母親違いの兄リードネスは言うけれど、リーゼリカはいつかこんな日が来ると覚悟していた。むしろようやくか……というのが今しがた王族失格宣言をされた本人の心境だ。

リーゼリカ

これまでは、わたくしなんかのために割く時間がなかったということね

疲弊していたベルティーユが新たな王により再建の道を歩み始めてわずか半年あまり。

リーゼリカ

さっそくですがご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか。多忙な陛下のお時間をわたくしごときのために消費させるなんて心苦しいですもの。こんな夜更けに、それも臣下たちの目を盗んでとなれば、それほど大事なお話ですのね

リーゼリカにとっては王族失格宣言よりも兄が妹の名を覚えていたことの方が驚きだ。記憶している限りでは名を呼ばれたことがないほど関係は冷え切っている。その数少ない機会がこれだ。

リードネス

いや、さっそくすぎるぞ! 普通、そんなどうしてと慌てるものだろう!? おいルシエラ、マリエッタ、俺はどうすればいい。しょっぱなから計画と違うぞ!

ルシエラ

まあまあ、慌てずに。けれど驚きです。半信半疑でしたがマリエッタの報告は正しかった

マリエッタ

だから言ったでしょう。この子は敏いって

謁見の間には亡き先代国王の子が勢ぞろいしている。
第二王子に当たるルシエルが感心すれば、第一王女のマリエッタが自らの観察眼に胸を張り、リードネスはわざとらしい咳払いで非難を遮った。

リードネス

そんな過去の話は忘れた。てか、信じられるか! こいつはあのエスメラの娘だぞ!

マリエッタ

エスメラの娘だからこそ、と言うべきなのではなくて? したたかさならお手のものでしょう。さすがはリーゼリカ・ヴィランとでもいうべきかしら

リーゼリカ

褒め言葉ではありませんわ!

マリエッタ

共に講義を受ければ嫌でも実感させられるわ。悔しいけれど、この子わたくしより優秀ですもの。それでいて周囲に悟らせないように立ち回っているみたい。家庭教師は全てにおいてわたくしの方が秀でていると評価するけれど、嘘っぱちだわ。学科に実技、楽器もワルツもね。違って?

リーゼリカ

マリエッタ殿下は随分とわたくしを過大評価しておいでのようですけれど、おっしゃる意味がわかりかねますわ。何かわたくしの態度で気分を害されたなら謝罪いたしますが、これだけは言わせていただきます。仮にわたくしが第一王女様より秀でていたとして誰が喜ぶのでしょう

マリエッタ

ほらね、そういうところが敏いのよ

リードネス

実に子どもらしくない

リーゼリカ

子どものままではいられませんもの

無垢な子どものままではいられない環境だった。そもそもリーゼリカは子ども扱いされることが嫌いだ。
早く大人になりたかった。
大人になって――
どこか遠くへ行きたいと何度願ったことか。
その一歩を踏み出す時がついにやってきた。
王家にふさわしくないと宣言されたのなら議題はリーゼリカの地位を脅かすものだろう。けれど予め予期していたことに動揺する必要はない。

リードネス

では改めて本題に入ろう! お前は王家に相応しくない!

リーゼリカ

それは先ほどお聞きしましたわ

リードネス

ぐっ!!

リーゼリカ

わたくしが傾国の悪女エスメラ・ヴィランの娘だからですわね。ええ、よくよく胸に刻んでおりますけれど

本人の口からこの発言が出るとは思わなかったのかリードネスは息をのむ。
かたやリーゼリカは笑顔を絶やさない。
国王を相手に人生をかけた取引を申し出るのならば余裕を保たなければ足元をすくわれる――そう教わった。

リーゼリカ

そんな当たり前のことが本題だとおっしゃるのなら、わたくしからもお話が。いいえ、取引がと申し上げるべきでしょうか

リードネス

なんだと?

リーゼリカ

お集りのルシエラ王子殿下、マリエッタ王女殿下には立会人になっていただきたく提案いたします。発言をお許しいただけますでしょうか?

三人を順に見つめるが異議を唱える者はいない。
無論、決定権はリードネスにあるが補佐であるルシエラも聞いて損はないと賛同している。

リードネス

発言を許可する

リーゼリカは謙虚に感謝しますと告げる。けれど取引には妥協も敗北も一切するつもりはなかった。この場を支配するのは兄たちではなく、自分なのだ。

リーゼリカ

国を治めるリードネス陛下。陛下を補佐する優秀な頭脳のルシエラ殿下。心優しく民に愛されるマリエッタ王女殿下。けれどわたくしには何も……。ふがいなさを他人のせいにはしたくありませんけれど、すべてはわたくしがリーゼリカ・ヴィランであるために

リードネス

よく理解しているな。しすぎていて可愛げがない

リーゼリカ

わたくしにそんなものを求めていらっしゃるのですか? 可愛い担当はマリエッタ殿下にお求めくださいませ

マリエッタ

……ごめなさい、お兄様。わたくしが微笑みかけるのは民と将来の夫だけですの

リードネス

俺が可哀想な奴みたいな扱いは止めろ。もういい、話を戻してくれないか頼む

リーゼリカ

そうですわね。ご兄妹の戯れは晩餐会にてお願いいたします

ただただ羨ましかった。
リーゼリカはどうしたって戯れの中に入れないから、羨ましいから止めてほしいのだ。

リーゼリカ

本当に、わたくしだけ違い過ぎるの……

だからこそリーゼリカは計画を練ってきた。準備は万端だ。

リーゼリカ

では単刀直入に申し上げますけれど、ベルティーユはいずれ亡びます

――は?
もれなく全員の声が重なった瞬間だ。

リードネス

お前!

国王でもあるリードネスは吠えるような勢いで叫ぶ。もちろん想定内だ。

リーゼリカ

お気持ちはお察しいたしますけれど、わたくし発言許可を頂いておりますの。せめて最後までご清聴願いたいですわ

こう言ってしまえば他でもない、発言を許可したリードネスはしぶしぶ口を閉ざすしかなくなった。
痛すぎる視線を浴びながらリーゼリカは玉座へと歩み寄る。

リードネス

……ん?

リーゼリカ

まずはお手元の資料をご覧くださいませ。意義異論、質疑応答は最後にまとめて受け付けいたしますわ

困惑する兄姉を前にリーゼリカの講義が始まった。

資料はここ数年のベルティーユの作物収穫量や気候をまとめたものである。
初めのうちは困惑していた兄姉たちも資料を読み進めるうちに真剣さを増していった。

マリエッタ

どの数値も、下がるばかりね……

ルシエラ

……あなたは、どこでこれを入手したのです?

ルシエラはこんな資料を見たことがない。
リーゼリカが提示した資料は綺麗に清書され、要点を簡潔にまとめてある。比較もしやすいように計算されつくした資料だ。しかも王宮の報告には上がっていないごく最近の事柄まで記載されているとなればルシエラが驚くのも無理はない。

リーゼリカ

わたくしが作成したものですわ

ルシエラ

作った!? あなたが?

リーゼリカ

数値は書庫から引用したものですけれど……。ああ、まだ報告に上がっていない情報について疑問でいらっしゃいますか? 最新のものは聞いて回りましたのよ

ルシエラ

あなたが、ですか!?

リーゼリカ

もちろんですわ。わたくしが誰の助けを借りられるとお思いですの?

物凄い説得力だ。そう言われてしまえば納得せざるを得ない。

リーゼリカ

収穫や気候の数値が低下しているのは見てお分かりいただけると思いますけれど、特に危惧しなければならないのは気候ですわ。年々、雪に閉ざされる期間も長くなっております。このまま進行すれば大陸は人の住める土地ではなくなりますわ

リードネス

馬鹿なっ!

リーゼリカ

加えて最近は海面の上昇も顕著。このままいけば、人が住める場所はなくなるかもしれませんわね

リードネス

そんな報告は上がっていない!

リーゼリカ

今はまだ漁師の気のせいとしか判断されていませんもの。国王陛下のお耳に入れるような話ではないという段階ですわ

リードネス

まさか……

リーゼリカ

――と、ここまでは陛下たちもすでにご存じでいらっしゃいますわよね

リードネス

……その通りだ。しかし国が亡びるとは、大げさではないか?

リーゼリカ

所詮、悪女の娘の戯言。信じられないと一蹴しても構いませんけれど、真実はいずれ結果が語ってくれますわね。その時はみんな仲良く破滅するだけですわ

リードネスが言葉に詰まっている。それは発言に耳を傾けてくれたということだ。

リードネス

確かに、この資料はよくできている。本当ならば由々しき事態だ。お前の懸念も理解できる。ではなぜお前がこのようなことを申し出た? お前の目的はなんだ? さっぱりわからない

リーゼリカ

ですから、わたくしが救ってみせます

リードネス

そうか――って、それこそ信じられるか! たかが小娘一人に何ができる!

リーゼリカ

ええ、わたくしも不安ですもの。それでもやるしかないの。きっと止められるのは、わたくしだけ。それほどまでに根深い呪いなんて……

リーゼリカ

たかが小娘だろうと王家に生まれた者の端くれ。その責務も義務も理解しているつもりですわ

リードネス

何が狙いだ

リーゼリカ

欲しい権利がありますの

リードネス

玉座はやれん!

リーゼリカ

はい? わたくし、そんなものに微塵も興味はありませんけれど

リードネス

権力でなければ金か!

リーゼリカ

わたくしが欲しいのは死ぬ権利です

――は?

またしても全員の声が重なった瞬間だ。

リーゼリカ

簡単なこと、第二王女が死んだという発表をしていただきたいのです。もともと幽霊のような存在のわたくしが消えたところで喜ぶ者はいても悲しむ者はおりませんし、リーゼリカ・ヴィランが死んでしまえば権力争いの心配にも及びません

リーゼリカが王女として扱われているのは王位継承権を持つから。その血はまごうことなき王家の流れを汲み、権力を狙う輩に利用されては困るのだ。たとえ出生が望まれないものであったとしても、生まれてしまえば王の子という称号は一生消えない。

リーゼリカ

わたくしは存在ごと世界から消えるしかない

ルシエラ

国を救った英雄になりたいならまだしも、死にたいのですか?

リーゼリカ

わたくしが英雄になったところで誰も喜びませんもの。こんな名前に意味がありまして?

リードネス

死んで、どうするつもりだ

恵まれた地位を捨てて生きていけるわけがないと言いたいのだろう。

リーゼリカ

わたくしは……静かにリンゴでも収穫して生きていければ満足ですわ

ちなみにベルティーユ、リンゴの名産地である。

リーゼリカ

五年以内に結果を出してみせますわ。我が国を閉ざさんとする雪の檻を溶かし、ゆるやかに侵略する海を退かせてみせましょう

リードネス

一つ確認しておきたい。お前、頭は大丈夫か?

初めて兄から心配というものをされたリーゼリカであった。

リーゼリカ

正気を疑うのも結構ですけれど、至って正常ですわ。ですからそれまでの間、わたくしの好きにさせていただきたいのです。結果が出せなければどんなに酷い結婚でもお受けします。修道院も幽閉も、それ以上のことでも

誰もが馬鹿なことをと疑っていた。

リーゼリカ

わたくしはベルティーユを貶めた悪女の娘、裁きたければ裁けばよろしいわ

けれどリーゼリカの覚悟を聞いては判断を躊躇っている。

リーゼリカ

五年後も国が存続していればわたくしの勝ち、ということでいかがでしょう

リードネス

……真実、なのか?

リーゼリカ

祖国が亡ぶなんて信じたくありませんけれど、わたくしのすべてを賭けた取引が何よりの証と申し上げておきますわ

無謀な賭け――
誰もがそう考えた。だからこそ信憑性があるというものだ。そもそもリーゼリカが自主的に発言することからして珍しい。

リードネス

お前が懸念している事柄については俺たちも手を打っている、つもりだ。だがどうすることもできていない。それを、お前に何ができる? 雪や海を相手取るというのなら相手は自然。俺たちには何もできやしない

本当に相手が自然ならばリーゼリカとてお手上げだ。むしろそうであってほしかった。無謀な取引も、国王相手に啖呵を切ったりすることもなかっただろう。けれど真実を知っては見過ごせない。

リーゼリカ

できなければわたくしに価値はありません

啖呵は切った。
張ったりも完璧。
あとはリーゼリカが取引に勝つか、国が亡びるか……結末は二つに一つ。

リーゼリカ

これでもう後には引けない。早く、彼に会いたい……

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