友愛党幹部ナカシマ夫人のルミは男が差し出す手を振りきって車外に飛び出した。
友愛党幹部ナカシマ夫人のルミは男が差し出す手を振りきって車外に飛び出した。
待てよ!
運転席の男がルミを呼び止める。
ここから歩いて帰るわ!
お願いだからちょっと待ってくれよ。真夜中だし、危ないから。ちゃんと送るからさあ。俺が悪かった。車の中でもう一度よく話しあおう
その背が高く端正な顔立ちをした若い男は車から降りるとがっちりとルミの腕を掴んだ。
あなたも私のお金が目当てだったのね、私が馬鹿だったって訳。よく分かったわ
違う、それは誤解だ。本当に愛しているんだ、ルミ───
そう言いながらルミを強引に引き寄せると後ろからきつく抱きしめた。
やめて、離してよ! なにが愛してるよ! あなたが愛してるのはお金だけ。私じゃないわ
そういうとルミは男の靴のつま先をハイヒールの細い踵でおもいきり踏みつけた。
痛っ!!
ルミの強烈な一撃に堪えきれずその場にしゃがみ込む男。
これ以上つきまとうなら黒服呼ぶわよ! 私の電話一本で黒服隊のパトカーが何台も駆けつけてくるのよ。私を誰だと思ってるのよ!
仁王立ちして携帯電話を振りかざしながらヒステリックな金切り声を上げるルミ。
───レイプされたっていってやるわ! あんたなんて刑務所の中がお似合いよ
ちょ、ちょっと待ってくれよ!
しゃがんだ姿勢のまま追いすがる男の顔面をルミは容赦なく足蹴にした。
痛てえ! 何しやがるんだ。ふざけやがって、いきなり何なんだ、冗談じゃないぜ、ざけんなよ、このオバハン!
ほーら、それがあなたの本性よ。
……で、なによ、オバハンって!
うるさい、黙りやがれ!
今度は男がルミの頬をピシャリと張った。
痛っ! なにするのよ!
先にやったのはお前の方だろが!
女に暴力を振るう低能男ね。よく分かったわ。これは傷害罪で訴えますから、覚えとくのよ。良い弁護士でも探しとくことね
裁判でも何でも好きなようにすりゃあいいさ。だけど最低の女だな、お前って奴はよ!
男はそう言い捨て車に乗り込んだ。
待ちなさいよ! 逃げる気ね
じゃーな! クソババア。もう二度と会うことはないだろうけどな
車窓越しにそう言い残し、男が運転する車は急発進すると猛スピードで闇の中に消えていった。
なにがババアよ! 三流ホストの癖に。その車返しなさいよ! 私が買ってあげたんじゃないの、必ず訴えてやるわよ!
ルミは走り去る車にむかって大声でそう叫んだ。
───清々したわ!
ただ若くてちょっとセックスが上手なだけ
頭は空っぽの下衆野郎
私を騙そうなんて十年早いわ
絶対刑務所送りにしてやるから
いい気味よ
でもついてないわ
汚らしいウジ虫のような男に引っかかって
あんな高価な外車買ってあげるなんて……
ルミはぶつぶつと独り言をいいながら手にしていた携帯電話で馴染みのタクシー会社に電話を入れた。
私よ、一台回してちょうだい、大至急よ!
───ああ、奥さんですか。今どちらに?
え? ここは何処かしら、知らないわ
場所がわからなきゃ、向かいようがないですよ
何言ってんのよ、生意気ね。あなた何年配車係やってんの、
今日はブルーのワンピースよ。歩いてるわ。三分以内に見つけて頂戴
そんなあ…… 無理ですよ。今夜は車が少ないんです
使えないタクシーね。いいわ、あなたの会社は金輪際使わないわ。覚えときなさい、乗車拒否されたって主人にいっておくから。営業停止覚悟しとくのよ!
奥さん、そんな、むちゃな───
ルミは電話を一方的に切ってしまった。
───本当に今日はついてないわ
どいつもこいつも私を馬鹿にして
いったい私が何したっていうのよ
気分悪いわ……
うっ
え、何よ! どうしたの?
いやね、本当に吐き気がするじゃない!
ううっ……
突然、嘔吐感に見舞われるルミ。
───なんだ、さっき調子に乗って
飲んだシャンパンのせいね
じゃあ、少し歩いて酔いをさまして
場所が分かる所まできたら
別のタクシー呼べばいいわ
そうしよう
適当に方角を決めると深夜の人通の途絶えた街路をルミはおぼつかない足取りで歩き出した。
───それにしても馬鹿高いお酒
あの店もやっぱり私を馬鹿にして
頭にくるったらありゃしない!
あてどなくどれくらい歩いただろう。
何処まで行っても見知らぬ町並みが続いている。
皆が寝静まった深夜の住宅街。
本当に…… ここは一体何処かしら
辺りに歩く人影は無い。
街灯さえまばらにしかない。
よく見わたせば粗末な住宅が立ち並ぶ貧民街のようである。
薄気味悪いところね
いい加減疲れちゃったわ
ルミが独り言をつぶやいた、その時。
聞こえる、背後から。
最初はアスファルトの道路に反響する自分の足音だと思ったが。
違う、はっきりと聞こえる。
ぴったりと後ろからついて来る別の誰かの足音が。
歩く速度が無意識に上がりはじめるルミ。
すると後ろの足音もルミに合わせてスピードを上げる。
恐怖で鼓動が跳ね上がる。
恐ろしくて後ろを振り返ることは出来ない。
適当にいくつか路地を曲がってみた。
それでも一定の間隔を置きながら付いてくる追跡者の気配が消えることはなかった。
───やっぱり誰かがついてきてる 間違いないわ 尾行されてる
ルミは勇気を振り絞り軽く振り返ってみた。
そして人影があるのを確かめた。
だが暗くて顔も性別も分からなかった。
───そういえば 連続バラバラ殺人の犯人
まだ捕まってなかったわね
えっ! 嫌だ!
そうよきっと犯人に違いないわ
私は今狙われてる!
殺される!
首を絞められて
バラバラにされちゃう
ルミの想像が頭の中で暴走を始める。
───被害者は体中の肉が
削ぎ落とされた状態で
発見されるらしい
犯人が人肉を食べてるに決まってる
みんなそう噂してる
ああっ
早く逃げないと殺されて犯人に
食べられてしまう!
ルミの脳裏にバラバラに解体されて犯人に食べられている自分の姿が浮かんだ。
不安が絶頂を通り越す瞬間、ルミはハイヒールを脱ぎ捨て裸足になると全速力で走りだした。
いやぁぁぁー! 食べないでー
怪鳥のような悲鳴を上げながら深夜の住宅街を無我夢中で逃げ回るルミ。
いくつか角をまがると路地裏の行き止まりにたどりついてしまった。
───もうだめだわ 限界よ…… どうしよう
一気にルミの喉の奥から苦くて熱いものが込み上げてきた。
こらえきれずルミはその場にしゃがみ込んで何度も嘔吐した。
その時、追跡者の腕が
彼女の肩を掴んだ。