10.信晴エンディング:心をくつろげる相手というのは、得がたいもので。

子どもたちのにぎやかな声が響いている。
その中に、信晴(のぶはる)の声も混じっていた。

そっちにいったぞ!

きたきたきたきたっ

声の興奮が高まり、バサリと布のひるがえる音がして、歓声が湧き上がった。

つかまえた

やったぁあ


獣追(けものお)いに参加できない年少の子どもと共に、紅鶴(べにづる)は山と街道のはざまに置かれている石に腰かけ、その声を聞いていた。

いいなぁ


唇を尖らせる子どもの髪を撫で、紅鶴はほほえむ。

おーい! つかまえたぞぉおっ


子どもたちが木々の間から、まろび出てきた。

ほらっ、うさぎ


見せられた麻袋の中で、もごもごと動いているものがある。紅鶴のまわりにいた子どもらが、わっとそちらに移動した。

里の子らは、遊びながら生きる術を学ぶのだな

そうよ。私はそんな彼等から、いろいろなことを教えてもらっているの


遅れて出てきた信晴(のぶはる)に答えた紅鶴は、得意げに胸を反らした。

手習いよりも、ずっと有益だ。足腰も鍛えられるし、糧(かて)も得られる。侍どもの修練に、獣追いや薬草摘みなどを交えるのも、よいかもしれぬな

そうなれば、そちらの国に送る品も増えて、民の暮らしもさらに豊かになるわ

おいおい。そちらの国とはなんだ、紅鶴。俺はもう、この国の男だぞ


ふふっと紅鶴が肩をすくめると、信晴は目元をゆるめた。

これ、はやく見せに帰りたい

おう、早く帰って、とうちゃんたちを驚かせてやれ


わあっと村に向かって、子どもらが走り帰る。

急ぎすぎて、逃がすんじゃねぇぞ

わかってらい!


生意気な子どもの物言いに笑みを漏らし、ふたりは顔を見合わせた。

もうすこし、その辺をぶらつくか

そうね


ふらりと信晴が足を動かし、紅鶴はその横に並んだ。そうして歩く先に、ふたりの出会った川が現れた。

ここで、そなたは魚を捕まえておったな

ええ。それなら小さな子どもも私も、参加できるもの

今日の遊びに獣追いを選んだこと、気に食わないのか

そういう意味じゃないわ


じゃれあうように、言葉を交わす。
信晴が川原に腰かけたので、紅鶴もその横に並んだ。水の音を含んだ風が、頬を撫でる。

紅鶴

なあに

なぜ、俺を選んだ


紅鶴はきょとんと信晴を見た。

白状すれば、俺は自信がなかった。兄上は非の打ち所がないからな

そうね。ほんとうに、信繁(のぶしげ)様はすばらしいお方だわ。とても優雅な所作(しょさ)をなさるし、物腰はおだやかで、見目も涼やかですものね。ふわりと漂う香りは、伊香(いか)特産の香でしょう? さりげなく自国を誇りになさりつつ、喧伝なされているのではないかしら

うむ。紅鶴は、兄上のよき所をしっかりと把握しておるな


信晴が誇らしげにうなずく。

あれほど素敵な殿方を、いままで目にしたことはないもの。武張(ぶば)ったところは少しも見受けられないのに、とてもお強くていらっしゃるし

そうだ。兄上はあのように典雅な方だが、剣の腕もすばらしい。この俺のよき好敵手であり、目指すべき目標でもあるのだ。……だからこそ、だ。紅鶴

ん?

そこまで兄上のよき所を、すらすらと並べられるそなたが、なにゆえ俺を選んだのかが、不思議なのだ

信繁様を選ぶべきだったと言いたいの?

そのようなことは、言っておらぬ。ただ、俺を選んだ理由を知りたいのだ

そうねぇ。強いて言えば、こんなふうに過ごせるから……かな

信晴が目顔で「どういうことか」と問うてくる。紅鶴は満面に笑みを広げて、信晴を見つめた。

私が、私らしくいられると思ったの。飾らないまま、素直なままで


紅鶴は立ち上がった。

けっこう悩んだのよ。国の一大事にも繋がる夫選びを、任されたんだから

それは、そうだろう

でも、信晴の言った、どちらもって提案は願い下げだったわ

あれは、冗談だ


信晴も立ち上がる。

当然よ


ツンと紅鶴が顎を突き出すと、いとおしそうに信晴が目じりを下げる。甘いめまいを覚えた紅鶴は、軽く咳払いをした。

どちらかを選ぶのもそうだけど、あちらの国へ行くか、こちらに残るのかも、悩んだわ

なぜだ

だって、親しき仲にも道理が必要でしょう。国同士のやりとりも背負っているのよ。片方だけが子どもを相手に送るなんて、不平等よ

なるほど。紅鶴は公平だな。だが、俺を選び、国に残ると決めた

そうよ

なぜだ

侍らしい信晴は、伊香よりも植村(うえむら)の風土が似合うと思ったからよ

信晴がはじけるように笑い出した。

はは、たしかにな。俺では伊香の特産の香を扱いきれぬ。こちらで子どもらと野山を駆け回り、山の幸を集めて他国に出荷するほうが性に合う


ひょいと信晴は紅鶴を抱き上げた。

きゃっ。ちょっと、なに

俺は、よい領主になるぞ。紅鶴

そうなってくれなくっちゃ、困るわ


紅鶴は信晴の頬を両手でつつんだ。信晴がまぶしそうに眼を細める。

そなたと出会えて、よかった


心底からのつぶやきに、紅鶴の心が熱くなる。

私も。あなたがただの使者でなくて、よかった

紅鶴

信晴


呼び交わした息が、やわらかく重なり、永久(とわ)の誓いに変化した。

(信晴エディング・終
ー完ー)

Novel by Kei Mito
水戸 けい

Illustration by Logi
ロ ジ

10.信晴エンディング:心をくつろげる相手というのは、得がたいもので。

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