14│少しの勇気

レイン

ごめんなさい

川越 晴華

そんな、いいよ、仕方ないよ

でも、とレインは耳を垂れ、今にも泣きそうな表情をする。


レインはおそらく、隣の部屋を覗いてしまったのだ。

それから、キッチンや、外に干してある洗濯物、玄関なんかも。


レインは、きっと先輩によく似て、洞察力に優れているに違いない。




私の生活のおかしな部分に、気がついてしまったのだろう。

レイン

僕がアパートの前から呼べばよかったんです

ますますしゅんとするレインとは対照的に、けろっとしているのはクロニャだった。


やれやれ、といったように、首をふる。

クロニャ

レインはにゃーんにも悪いこと、してにゃいのに

言って、クロニャがぎろりとレインを見た。

睨み付けるような、強い眼差しだ。

クロニャ

柄にもなくしゅんとしちゃって……にゃんだか、にゃ!

次の瞬間、クロニャはレインに猫パンチを繰り出した。


レインの体を、クロニャの手がすりぬける。

レイン

うわっ、なんか気持ち悪い! 

やめろ、何回もするな! 

何なんだよ!

クロニャ

やっといつもの調子に戻ったにゃ

べ、とクロニャが舌をつきだす。

クロニャ

考えすぎなんだにゃ、レインは。

今回のことは、そっと胸に秘めておけばいい……ですよにゃ、晴華にゃん

川越 晴華

うん、そうだね。


気になるだろうけど、誰にも……もちろん先輩にも、まだ、言わないで。


いつか、多分話すと思うから……待ってて

少し、強い口調になったかもしれない。


それでも、私の真剣さは伝わっただろう。
柄にもないのは、私も一緒だ。

レイン

……わかりました

レインが静かにうなずいて、肩をすくめた。

レイン

ごめんなさい、話を戻します。僕は、仲介役になろうと思って来ました

川越 晴華

うん。ありがとう

じゃあ、にゃいんで連絡かなーーと考えている私をよそに、レインはずばりと言った。

レイン

仲直りするために、家に来てください

……えっ?

クロニャ

レインはおばかさんなのかにゃ?

レイン

なんでだよ!

クロニャ

いきなり家に誘うばかがどこにいるんだにゃ!

レイン

だって光、部屋から出ないんだよ! 

あいつ頑固だから……

クロニャ

そこを頑張るのが、レインの仕事だにゃ

レイン

簡単に言うなよ! 


……晴華さん、お願いです。

あいつが出てこないっていうのもあるけど

レインの青い目が、じっと私を見据える。

レイン

来てほしいんです

うーん、どうやら理由は、先輩が部屋から出ないこと以外にもありそうだ。


だからあ、と言いかけたクロニャの言葉に、私の言葉をかぶせる。

川越 晴華

いいよ、行こう。


さすがに、家の前まで行って、出てくるまで先輩の名前を叫びますよって脅せば、先輩も出てくるだろうし

レイン

笑顔で恐ろしい案を……

言っているレインも、小さく笑っている。


クロニャも納得したのか、私の肩に無言で乗ってきた。

川越 晴華

じゃ、行こう……っとその前に、洗濯物だけ取り込む。

ごめんレイン、少し待ってて!

部屋の窓を開けて、洗濯物を取り込む。


一人分の洗濯物を取り込むのは、急げば数十秒で終わる。


洗濯物をベッドの上に放り投げて、じゃあ行こう、と私達は勇んで部屋を出た。

クロニャ

にゃはははは! 

レイン、だっさいにゃ!

レイン

うるさい! 

上半身が限界なんだよ!

移動中、レインはずっと上半身のみの移動だった。

つまり、道を歩くときは、上半身が滑るように道を進んでいくのだ。


クロニャ爆笑の中、私も笑ってしまうと一人で笑う人になってしまうため、懸命にこらえることとなった。

クロニャ

お腹が痛い! にゃあっははは

レイン

晴華さん、家についたらまずそいつのこと捕まえますからよろしくお願いします

二人がぎゃあぎゃあと騒がしかったお陰で、私は悶々と心配することもなく、先輩の家までたどり着いた。

綺麗な一軒家だ。


最近建てられたのだろう、白い壁がきらきら光っている。

レイン

晴華さんはここで待っててください、光を呼んできます

レインが、優しく微笑んだ。

レイン

来てくれて、本当にありがとう

レインの上半身の映像が消える。

川越 晴華

くっ……だめだ、じわじわレインが面白い……笑っちゃうよクロニャ

クロニャ

見慣れると面白すぎますにゃ……

川越 晴華

ふふ……それにしても、レイン、優しいね

クロニャ

ーーそうですにゃあ。

意外すぎてびっくりしましたにゃあ

言ったクロニャは、どこか照れたようすだ。




あれ? あれれ、もしかして?




照れてるの? と訊こうとした、そのとき。

雨音 光

川越さん!?

頭上から声が降ってきた。


見上げると、まだ制服姿だった先輩が、目を大きく見開いていた。

雨音 光

うそだろレイン……ちょ、ちょっと待ってて、ごめん! すぐ行く!

窓を閉めることもせずに、先輩は部屋の中へ戻っていく。直後、階段をかけおりる音がした。

玄関が勢いよく開き、先輩は息をあらげたまま、私に歩み寄ってきた。

雨音 光

……レインが、ごめん

ちっ、と舌打ちをしたのは、あとから駆けてきたレインだ。


先輩の足を、右手で小突く。

レイン

そうじゃないだろ、光

雨音 光

いたっ! ……でも、そうだよね

先輩は私から少し目をそらした。

私は、何も言わない。




少したって、先輩は一度うなずくと、私の目をしっかり見て、言った。

雨音 光

ごめんね……どなったりして

川越 晴華

いえ、そんな

レイン

なんでどなったの、光

雨音 光

レインっ!

レイン

話すべきだよ

レインはするすると先輩の肩にのぼり、私をじっと見つめた。

レイン

どうして、光があんなに怒ったのか。


じゃないと、晴華さんは優しいから、またいつか今回みたいに、自分が危なくなっても、手をさしのべたり、助けたり、したくなる。


でも、光はそれがいやだ、困る、怖い。

ちゃんと説明しないと、晴華さんにはわからないよ、光。


ま、それでも隠したいならいいけどさ

レインはそう言うと、ぴょんと先輩の肩から飛び降りて、私の足元から私とクロニャを見上げた。

レイン

クロニャ、ちょっと来て

クロニャ

にゃ! にゃんでにゃ

レイン

何を照れてるんですか? 

何か期待しているのかな?

クロニャ

はあああ? 

照れてないにゃ! 

うるさいにゃあ!

飛び降りつつ、まさかのレインに蹴りを繰り出すクロニャ。

避けるレイン。

ぎゃあぎゃあ叫びながら、転がるように二人はどこかに行ってしまった。




先輩と、二人きり。

出会ったとき以来で、少し緊張する。


でも、先輩の表情を見て、その緊張はどこかに吹き飛んだ。

川越 晴華

……先輩

雨音 光

自分のこと、話すの得意じゃないんだ

先輩は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

今まで見たどんな表情より、寂しそうだ。

雨音 光

楽しい話でもない。


どうして転校してきたか、どうして猫見を持っているか、どうしてあんなに怒ってしまったか……全部、楽しくない。


重くて辛い記憶ばかりなんだよ

川越 晴華

先輩……それを今まで、全部背負ってたんですね

言葉は、するりと出てきた。

先輩は驚いているみたいだけれど、私は驚かない。


だって、鏡を見ているようだったから。


私もそうだった。

辛くて苦しくて、重くて、でもその心の中の重りを、どうしていいかもわからない。

川越 晴華

私でよければ、聞きますよ。

話すだけで軽くなることはあります。

誰かに背負ってもらうのも、悪くないですよ。

少し、勇気は必要ですけど

雨音 光

……川越さんは強いね

先輩が、優しく微笑んだ。


その表情からわかる。嫌味じゃない、本心だ。

雨音 光

俺は弱虫で、一人で抱えているばかりで……でも今、川越さんになら話してもいいって思えたよ

まっすぐに見つめられる。




体がぶわっと熱くなる。

雨音 光

猫見を、川越さんに分けてよかった

川越 晴華

えっ……と

嬉しい。




ただ、それだけで、体は燃えるように熱くなるし、言葉が何も出てこなくなる。

雨音 光

外だと寒いよね。

よければ入って。お茶でも出すよ

先輩は、静かに玄関を開けた。

私は、小さくうなずく。

雨音 光

リビングまでは、ごめん、そっと歩いてくれると嬉しい

先輩が、悲しそうな笑みを浮かべた。

雨音 光

母が寝ているんだ。……猫見が原因でね

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