昨夜はキジマに拘束されてファーストキスを奪われた挙句、大好物のすき焼きを逃した。
それはユキにとって最悪の部類に入るアクシデントだった。
昨日は最悪だったな・・・
昨夜はキジマに拘束されてファーストキスを奪われた挙句、大好物のすき焼きを逃した。
それはユキにとって最悪の部類に入るアクシデントだった。
予鈴が鳴った。
もう五分もすれば先生がやってきて出席をとるだろう。
ユキは窓際の席にチラリと目線をやった。
そこは空席だった。
キジマの席である。
あいつが遅刻とか珍しいな・・・。間に合うのかな?
・・・風邪でもひいたのかな?
そこでユキは、どうして自分はキジマの心配なんてしているのだろうと思った。
あいつはファーストキスとすき焼きを奪った悪魔だ。
あと、マサエもいないな
マサエは、ユキの友人である。
イケイケのギャルで、ユキとは常日頃からつるんでいる。
そのマサエの席も空いているのだ。
まあ、彼女はよく学校をサボるから、空席なのは珍しいことではないけど。
しかしマサエは、次の日も学校に現れなかった。
ユキが記憶している限り、マサエが二日連続で休んだのは、これが初めてのことだった。
~放課後~
ユキ。悪いんだけど、これをマサエの家に届けてくれないか?
担任の結城先生は、プリントをひらひらさせながら言った。
えー・・・自分で届けりゃいいじゃん。先生でしょ?
いやぁ、ちょっと野暮用があってねぇ。急いでいるんだ。いいだろう?どうせ帰り道なんだし。ついでに寄って渡しておいてくれよお
野暮用って、どうせまた女の人と会うんでしょ?
あ、分かる?そうそう。今日初めて会う人なんだ。だから遅刻厳禁なわけ。
結城先生は御年30歳だが、未だに身を固めず、いろんな女性のあいだをふらふらしている。
最近はSNSの可能性を知ってしまったゆえ、その傾向はさらに顕著になりつつある。
授業中でも構わずスマホを取出し「あ、返事きた!」と臆面もなく生徒に報告する恥知らずだが、どうしてか生徒たちからの人気は高い。
そしてユキも、彼を慕うひとりだった。
いや、ユキの場合、ほかの生徒の慕い方とはちょっと違う。
単刀直入に言うと、ユキは結城先生に恋心を抱いているのだ。
どうしてこんなチャラい中年ダメ男に好意を抱いてしまうのか、ユキ自身も不思議でならないのだが、とにかく彼を前にすると胸の高鳴りが抑えられない。
だから意識的にぶっきらぼうに対応するようにしている。
なんか、悔しいから・・・
先生の事情なんて知らないし。フラれちゃえばいいんだよ
まあまあそう言わずに! ほら、アメちゃんいる?
結城先生は胸ポケットからキャンディを取り出して、ユキに差し出した。
彼はふだんからお菓子で生徒を買収する。
わー、ミルキーだ!
うれしくてついつい手を出してしまうユキ。
契約は成立だ
あ・・・
結城先生は有無を言わさぬ拘束力で、アメといっしょにプリントを押し付けてきた。
・・・てか、これってテスト用紙じゃん。ふつう本人以外の生徒に渡したりする? プライバシーの侵害じゃん?
ユキの言う通り、それは採点済のテストだった。現代文と英語だ。
赤ペンでデカデカと点数が記されており、どちらも赤点だった。
細かいことは気にしない気にしない! ユキはマサエと仲いいだろ? テストの点数だって見せ合うだろ?
そうだけどさ・・・。ああ、もう分かったよ。はいはい渡しておきますよ
サンキュー! 愛してるぞユキ!
結城先生は冗談を言い残して、そそくさと教室を出て行ってしまった。
愛してるとか軽々しく言うな・・・ムカつく・・・
ユキがぶつくさ呟いていると、友人たちが「さっさと帰ろー」と近寄ってきた。
ユキはうなずいて、教室を出た。
しかしいったん教室の中を振り返った。
槍のように鋭い視線を感じたからである。
・・・
窓際でキジマがジッと立ち尽くし、ユキを見つめていた。
ユキは何か声をかけようとしたけど、友人たちが「早くー」と急かすので、開きかけた口を閉ざした。
そして廊下を進んで、昇降口へと向かった。
今日はどこにも寄り道せずに帰宅することにした。
いや、マサエの家にプリント(テスト用紙)を届ける必要があるけど。
でも、友人とファミレスに寄ったりカラオケ行ったりはしない。
そういうのは、だいたいいつもマサエが言いだしっぺなので、彼女がいない今日は、どうもそういう雰囲気にならなかった。
帰ったら妖怪ウォッチやろっと
土手の上を歩いて、住宅地へ向かう。
しかし彼女は立ち止まることになった。
前方に、ある人物を発見したからだ。
こんにちは。15分ぶりくらいね
キジマだった。
ユキは彼女より先に校舎を出たはずだが、先回りされていた。
ああ、こんにちは。あたしに何か用?
遊ぼう!
え・・・
・・・なんか不満そうね
キジマは得体の知れない女だ。
油断はできない。
とはいえ、断っても面倒そうだ。
キレると何をしでかすか分からない。
キジマには、そんな空気が漂っている。
ユキは腹を決めた。
・・・ああ、いいよ。でも、ちょっとマサエに届け物があるから、それが終わってからにしてくれ
その必要はないわ
え?
マサエさんにプリントを届ける必要はないって言ってるの
どうして?
彼女はもう、学校には来ないから
キジマが何を言っているのか、ユキにはまったく理解できなかった。
マサエがもう学校に来ない?
は?
意味不明なんですけど・・・
なんかよく分からないけど、とにかく届けなくちゃ・・・
私の言うことを聞いて
キジマの声は重く冷たく響いた。
彼女の言葉には、反論を許さない説得力があった。
私たち、友達でしょ?
ユキはひるんだ。
キジマの目に、氷のように冷ややかな光が宿っていたからだ。
一昨日の、監禁事件の際に帯びていた光と同じだった。
いまの彼女は何をするか分からない。
スタンガンを取り出して迫ってくるかもしれない。
わ、分かった。仕方ねぇな
プリントは、また後で届ければいい。
今日中に届ければ問題ないだろう。
べつに急を要するわけじゃないんだし。
そうと決まれば、行こう!
キジマはユキの手を掴んだ。
キジマの手は驚くほど冷たかった。
キジマに連れて行かれた先は、洋館のような建物だった。
入口には派手な看板があって、『ご宿泊5000円]『ご休憩3000円』と記されている。
・・・ねぇ、ここって
ラブホ!
先日、同性愛者であることをカミングアウトしたキジマだが、さっそくだいたんな行動をとってきたわけだ。
ユキは貞操の危機を悟った。
おい! 前にも言ったように、あたしはそういう趣味はないっての! あたしはふつうに男の人が好きなの!
大丈夫! ちゃんと男を用意してあるから!
は?
ユキちゃんってさ、年上の男性が好みなんでしょ?
べ、べつにそういうわけじゃ・・・
誤魔化さなくていいわ。結城先生が好きなんでしょ?
ユキは顔が赤くなるのを感じた。
この女、なぜそれを知っている!?
エスパーか!?
しかし残念ながら、ユキが結城先生に気があることはクラスメイト全員が知っていた。
ユキは隠し通せていると思っているが・・・。
アホなのである。
部屋で男が待ってるから、早くいこう
ユキは合点した。
きっと部屋で待っている男性というのは、結城先生のことなのだ。
きっとキジマがSNSかなんかで偽名を使って彼を釣ったのだ。
ユキはキジマを問いつめた。
しかし、
はあ? 結城先生? そんなわけないでしょ?
あの男には、あなたに指一本触れさせないわ
推理を否定され、ユキは混乱した。
じゃあ、部屋で待っているのは誰なのだ?
なにか誤解をしているようだから訂正しておくわ。部屋で待ってるのは、あなたがまったく知らない人よ。しょうじき私も実際に会ったことはない
ネットで知り合った人なのか?
そうよ。あなたには、その人と少しの時間過ごしてもらうわ。そうして、大人の男がいかに汚い存在か、身を持って知ってもらうわ
アホなユキには、キジマの言葉の意味がさっぱり分からなかった。
お金は貰えるように話をつけてあるから、恨まないでね
よく分からないが、とりあえずヤバそうだということだけは、さすがにユキも肌で感じとっていた。
だから彼女は逃げ出そうとした。
しかし、
抵抗しないで。下手な動きを見せたら、こうよ?
キジマはいつの間にか装備していたスタンガンを突きつけて、スイッチを押して見せた。
電気がバチバチと威圧的な音を立てた。
ユキは考えた。
全力で走れば逃げ切れるだろうか?
答えは否だった。
ユキは運動神経が悪い。
とくに走ることにかけては、天才的な愚鈍さをほこっていた。
対してキジマは運動神経がいい。
体育の時間に行われた体力測定テストにて、それは判明している。
踵を返して駆けだしても、五秒と経たずに追いつかれ、スタンガンで気絶させられてしまうだろう。
私だって、ほんとうはこんなことしたくない。でも仕方ないの。あなたに、大人の男の汚さを分かってもらうには、こうするのがいちばんなの
やっぱりキジマの言っていることが、ユキには一切理解できなかった。
無数のクエスチョンマークが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
あなたが悪いのよ? あなたが、結城先生なんかを好きなのがいけないの。さ、心の準備はいい?
あ、あたしはいったい何をさせられるの?
ひとことで言うなら、『ウリ』よ
ウリ。
つまり援助交際のことだが、
・・・瓜?
ユキはまったく理解していなかった。
瓜を栽培するのかな? まあ、それならいいか。おじいちゃんの家で西瓜育てるのよく手伝ってたし
でも、ホテルの部屋で瓜の栽培って、おかしいよね・・・
いや、最近は温室栽培が流行ってるし、そういうこともあるか
天性のアホさで納得するユキ。
部屋にいる男は、ちょっと歪んだ趣味の持ち主なの。だから道具を使うと思う。我慢してね?
・・・道具? ああ、瓜の栽培には農具が必要だもんね。よく昔、おじいちゃんの手伝いで使ったなあ
大丈夫だ。あたし、道具は何度も使ったことあるから!
!? あ、あなた、やっぱりアバズレだったのね!
え? ごめん、よく言っている意味が・・・
道具を使って、男を喜ばせていたんでしょ?
男を喜ばす? ・・・まあ、たしかにおじいちゃんは喜んでくれたなあ。「ユキは農業の才能がある!」って言ってくれたっけ・・・
ああ、すごく喜んでた! あれはあたしが5歳くらいのときだったなあ
5歳!? あなたナチュラル・ボーン・アバズレなの!?
え?
男を喜ばすために生まれてきた女って意味!
・・・はぁ。で、ちなみに相手は誰なの?
相手? ああ、いっしょに(作業)した人って意味?
そうよ
おじいちゃん
!? 今すぐ警察を呼びなさい! あなたのおじいちゃんは犯罪者よ!
違う! おじいちゃんは虫一匹殺せない優しい人! 冗談でもそんなひどいこと言うな!
すっかり洗脳されてるわね! おじいちゃんは孫を欲望処理のための道具として使ったのよ! 目を覚ましなさい!
あんたが何を言ってるのか全然分からない! あたしが何をしたっていうの?
自分の股に聞いてみなさい!
そのあともいろいろ言い合っていたが、やがてキジマのほうが疲れてしまった。
はあ・・・。とにかく、あなたはもうすでに汚れていたということね。だったら、いまさら大人の男の汚さを思い知らせたところで、効果薄ね・・・
キジマはスタンガンをかばんに仕舞って、来た道を引き返していく。
けっきょく『瓜』はやらないのか?
中止
でも、男の人が待ってるんだろ?
どうせ高校生にリビドーをぶつけようとするクズ男だし、放っておけばいいわ
ユキはやはり、キジマの言葉の意味が分からなかった。
キジマがものすごく落ち込んでいたので、ユキはなんだか申し訳ない気持ちになった。
だから帰りにカフェでケーキとコーヒーをお奢った。
キジマは初め不貞腐れていたけど、やがて「ま、汚れていようとあなたはあなたね」と機嫌を直した。
そんなこんなで、自宅付近に着いたときには、すでに空にオレンジ色が溶けだしていた。
分かれ道で、
じゃ、あたしはこっちだから。じゃあな
ええ。さようなら
ユキはキジマと別れて歩き出した。
マサエの家に寄ってプリントを渡すのを忘れないようにしようと思った。
ねぇ、ひとつ言っておくわ
ユキの背中に向かってキジマは言った。
ユキは振り返って「なに?」と尋ねた。
もしあなたが結城先生のことをこれからも好きでい続けるなら、彼はマサエさんと同じ運命をたどることになる
え? それはどういう・・・
じゃあ、また明日
キジマは背を向けて歩いて行ってしまった。
ユキは釈然としない気持ちでマサエの家に向かった。
家のチャイムを押して呼び出した。
するとマサエの母親が出てきた。
ユキがプリントを届けに来た旨を伝えると、マサエの母親はこう言った。
「ありがとう。でも、マサエ、昨日から家に帰ってないの・・・」
え!? 家出ですか?
マサエの母親は「分からない」と言った。
すでに警察には届けたとのことだが、まだ見つかっていない。
マサエの家を後にしたユキは、歩きながら考えた。
最後にキジマが気になることを言っていた。
――もしあなたが結城先生のことをこれからも好きでい続けるなら、彼はマサエさんと同じ運命をたどることになる――
すごく、嫌な予感がする・・・