数ある怪物譚の中で多くを占める存在の一つに、吸血鬼というものがある。

人の血を吸う鬼。吸血鬼。

しかし、伝説や民話、映画によってその性格や性質は大きく異なる。

あるものは美しく、
あるものは醜く、
あるものは凶暴であり、
あるものは自戒し、
あるものは人を愛し、
あるものは人を憎む。

つまり、吸血鬼というカテゴリーは、吸血という行為を為す怪物という観点から判断される。
それが悪意だろうと善意だろうと、吸血行為によって人間が吸血鬼になろうとなるまいと、吸血鬼は吸血鬼である。

つまり私が言いたいのは、私が出会った『吸血鬼』が吸血という行為をするがゆえに彼が吸血鬼であるということなのである。

その経緯があまりにもオーソドックスな吸血鬼像と異なるといえど、彼のことを私が吸血鬼と称する、という確認である。

ルック・ワールド・ノクトビション
Look World Noctovision

それが彼の名前である。
本名であるかは定かではない。
彼がそう名乗ったとはいえ、彼自身が自ら適当に辞書をペラペラとめくってつけた名前だというのだから、とても本名とは思えない。

しかしながら、本当の名前というのはあまり重要ではない。

重要なのは、名前が有るかということである。

その名を呼ばれて、自分だと確かに思うことが出来ればよい。

死に際の側にいる人間にその名を呼んでもらえてよかったと思える言葉の連なりであればそれでよいのだ。

彼の名前を無理矢理に日本語訳するなら、暗視によって世界を見るということになるだろうか。

そして世界を暗視するというのはとどのつまり、世界が暗くなくてはならない。

それは単純に夜であるということなのか、
それとも世界を憂いているのか、
あるいはその両方か。

いずれにしろあまり趣味のいい名前とは言えないのだけれど、彼はその名をよしとし、自認していたのだから、それはそれで名前としての本分を果たしていたのだろう。

さて、これだけもっともらしく、
そして長々と言い訳を重ねた上で、
私が出会った『吸血鬼』の話を話そう。
物語を物語ろう。

こういう場合、私と彼が出会ったところから、というのが一番明快で無難なのであろうから、そのしきたりに、そのありきたりに従うことにしよう。

紅原 瞳

すっかり遅くなっちゃったなぁ……。

夜遅く、私は町の中でも有名な時計塔のある公園を歩きながら空を見上げて呟いた。

私こと紅原 瞳(こうはら ひとみ)はなんの変哲のない女子大生だった……というのはやめておこう。

私はお金欲しさゆえに、そして興味本位である実験の被験者のアルバイトをしたがゆえに、普通の女子大生ではなかった。

《自由七科(リベラルアーツ)》

本来、古代ギリシャに起源をもつ、人が学ぶべきと考えられる実践的な七つの学問の総称であるその単語は、私が参加した実験のプロジェクト名として用いられている。

その原義は「人を自由にする学問」であるが、この実験においてはある特殊な能力の対抗技術である。

その被験者が七人であり、その能力による不均衡を取り除くことによる自由という意味合いで付けられたものである。

そして対抗すべきと考えられている能力というのは、Multi Element、通称MEと言われる万能元素を操作する能力であった。

MEは今から1年前に蓼科総合研究所という日本の研究所が発見した新物質であり、万能元素の名の通り、あらゆる原子、物質に変化することが可能というものだった。

しかし、その効果を享受できるのは全員というわけではない。

発見からまだ1年しか経過していないとはいえ、あまりに革新的すぎるその発見に世の研究者達がその研究を急激に進めた。

そしてその結果分かったことは、MEの操作には先天的な能力が必要であるということだった。

すなわち、生まれながらにしてMEを使用できるかが決定してしまうということである。

私は残念なことに、その能力を持ってはいなかった。

MEの発見はもちろん様々な面で人々の生活を豊かにする一方で、その絶対的な不平等によって、能力を持たないものが能力を持つ者に排斥されるという懸念があった。

ゆえにせめてもの対抗手段として、能力を持たぬ者達が、自分の脅威となる生成行為を強制的に還元できる能力、というのが立花研究所というこれまた日本の研究所によって行なわれていたわけである。

私が参加したのは、能力を使えない者のサンプルとして、その還元能力を身につけるための施術を受け、観察を受けるというものだった。

こう聞くと危険な人体実験のように聞こえてしまうかもしれないが、実際に行われた施術というのは眠っている間に専用のカプセルである音声データを聞くことによって脳の特定の部位を刺激する、という非常に非外科的手術であったので何かの機械を埋めこまれたとか、そういうわけではないのだと思う。

まぁそれでも未知の能力を身につけることにはリスクが伴い、そのリスクゆえに相応の金額の「アルバイト料」が支払われているのだが。

そしてその副作用ゆえに私の体には実際ある変化が起きていた。

それは髪と瞳の変化である。

元々黒髪黒眼であったが、今は髪の色は白くなり、眼は鮮やかなまでの赤色となっていた。

正直驚いたというか、予想外のことであったが、下宿生で親とも会わず、学校も長期の夏休みに入っていたということもあって、正直不自由はしていなかった。

むしろ自分の凡庸な容姿に少しばかり目の引く要素が加わったことに少しばかりワクワクしてしまうところさえあった。

白髪といってもほぼ銀髪に近いものだったし、いざ困ったとなれば染髪とカラーコンタクトでどうにでも誤魔化すこともできようというレベルの問題であったので私としてはあまり深く考えてはいなかったのだ。

ここまでの話を聞いてわかると思うが、客観的に考えて私はいくらか楽観的な思考の持ち主である。

そしてそれと同時に危機管理能力に欠如した人間であったのかもしれない。

それこそ、夜2:00という極めて人気の少ない夜道を一人でうろついてしまうような。

ねぇねぇ、お姉さん。
今一人?

公園を横切ったあたりで眼鏡をかけた、あまり誠実とは思えない男が声をかけてきた。

紅原 瞳

えっと、今バイト帰りで。

へぇ?
お姉さん変わった髪の色してるね。
なかなかイケてると思うけど。

紅原 瞳

あは、それはどうも

副作用といえど、それほど悪くないかも。

俺今夜暇でさぁ。
ちょうど話相手っつーか、飲み相手探してるところなんだよねー。

なんというか、非常にテンプレートなナンパだった。

紅原 瞳

へー。そうなんですか。
あ、でも私明日ちょっと予定があって早く帰りたいんですよ。

そうなの?
じゃあもしうち来てくれたら、明日車で送ってあげるからさ。

紅原 瞳

いや、でもそんな知らない人にお節介になるわけには……。

若干、面倒になってきた私は、それとなく半歩引いた。

だが、その瞬間に男は急に私の右腕を掴んだのだ。

紅原 瞳

ちょ……何するんですか!?

ごちゃごちゃうるせーんだよ。
いいから来いよ。どうせそんな髪だ。
男の家に行くのなんて珍しくもねーんだろ?

態度が急変する。
男の力は思ったよりも強く、締め付けられた右腕は痺れるように痛む。

助けを呼ぶために声を出そうとした瞬間、何か冷たいものが首筋に触れる。

体を動かさずに、眼球だけを動かして見たそれは、鋭利な刃物だった。

紅原 瞳

そんな……さっきはそんなもの持ってなかったはずじゃ……。

いやーMEってのは便利だなぁ、おい。
半年訓練すれば、この程度のナイフぐらいものの数秒で何もないところから作り出せるんだからよぉ。

紅原 瞳

この人、能力を使える人間なの!?

ほら、どうする?
連いてくるってんなら、まぁそうだな、明後日くらいには帰してやるよ。

やばい、やばい、やばい、やばい。

その言葉がぐるぐると脳内をかけ回る。

と、そこで私はあることに気付く。

そう、私は《自由七科》の被験者なのだ。
そしてこの男が持っているナイフはMEで生成されたものなのだ。
だというなら、私に宿っているはずの還元能力は有効なはずだ。

還元能力の行使は実験の進行具合の問題でまだ一回もしたことがないが、しかし、その能力の行使方法だけはもうすでに説明されていた。

ならば、今ここでやってみるしかない。
MEを悪用する者に対抗するための技術をここで使わずに、いつ使うというのか。

そして私がそれを実行しようとした瞬間、何かが、否、誰かが、男の背後に舞い降りたのだった。

ルック・ワールド・ノクトビション

何騒いでるんだ、クソ眼鏡。

そう、彼こそが私の出会った、「吸血鬼」である。

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