8月、夏。
強い日差しがコンクリートを熱し、あちこちに陽炎が見える。
8月、夏。
強い日差しがコンクリートを熱し、あちこちに陽炎が見える。
太陽はガスコンロ、黒いコンクリートはフライパン、僕は――玉ねぎ、と言ったところか。
腕を垂らして体を揺らしながら、僕はやっとのことでレストランに着いた。
店内は想像していた通り”天国”だった。
ガンガンに利かした冷房が、僕の体を芯まで冷やしてくれる。
ん、玉ねぎって常温で保存するもんだっけ?
いらっしゃいませ
ウェイトレスが話しかけてきた。
1名様でよろしかったですか?
えっと、2時に予約していた佐藤です
僕がそう言うと、ウェイトレスは脇に挟んでいた帳簿を確認しだした。
失礼しました。2名様でご予約の佐藤様ですね、お席にご案内いたします
僕は彼女の後について行った。
途中、壁に設置されたデジタル時計が目に入る。
『13時45分』
どうぞ、こちらがメニューになります。では、ごゆっくり……ふふっ
??
僕は席に座り、ひと呼吸して身だしなみを整える。
ここの席からは、店の入り口が見える。
つまり、イツナンドキ彼女が訪れようと臨戦態勢を取ることが出来るというわけだ。
そろそろ来る頃だが――ッ!?
だーれだッ?
そう思っていた矢先、僕の視界は暗闇に覆われた。
熱中症に見舞われたわけでもなく、悪魔に憑りつかれたわけでもない。
だってここは”天国”だ。
ならばこの状況は?
先程の「だーれだッ?」という台詞と、両目を覆っているヒヤッとした柔らかい感触から察するに――
なんだ、先に来てたのか
僕は両目を覆っている雪女――もとい、桃子の手をどかす。
もう、ちゃんと名前呼んでよ。
ノリ悪いなぁ
彼女はくるりと一回転して、綺麗な長い茶髪をなびかせながら僕の向かい側の席に座った。
2時に待ち合わせじゃなかったっけ?
そうよ。だから私は1時に来たの
なるほど、迷惑な客だ。
お店の人に怒られなかった?
彼氏をビックリさせたいんですって言ったら、喜んでお手洗いに案内されたわ
僕は君の彼氏になったつもりはないんだけど
僕は彼女の顔を伺いながら言ってみる。
そんなことどうだっていいのよ、それよりさ――
……
「そんなこと」、つまりこういう事だ。
――つまり、君は今、求婚されている、ってことでいいのかな?
僕は、甘酸っぱい洋風ドレッシングのかかったサラダにフォークを突き立てて言う。
求婚って言い方は止めて。
私の好きな本で「求婚」ってタイトルの本があるの
なんだよそれ。随分、主観的な否定の仕方だな
これは佐藤君から学んだ技法よ
知ってる。だから否定はしてない
桃子は皿の隅に添えてある野菜をフォークで突き刺し、更に麺をクルクルと絡ませて上品に口へと運ぶ。
咀嚼する度に、オイルの付着した唇がテカテカと光る。
何ともエロい……。
で、どう思う?
彼女は目を見開いて聞いてきた。
どっ、どう思うって……さっき聞いた話の限りでは――
俺はフォークを置いて、彼女の目を見て話す。
それは間違いなく、お付き合いを前提にストーキングされているのではないでしょうか
やっぱそうだよねぇ!
桃子は俺を指差して声を上げた。
ここ最近、ほんとにいっつも会うんだよ? まるで私のシフトを知り尽くてるみたいに
その癖、会った時は『あ、今日も働かれてるんですか? 偶然ですね』何て言ったり、『ここのスーパーそんなに来ないんですけど、これって偶然なんですかね』と言っちゃって
偶然じゃなきゃ何だっていうのよッ!!
運命って言いたいんじゃないの?
やめて。私、運命ってタイトルの好きな曲があるの
これこそ偶然。同意見だ
珍しく桃子と意見が合った。
そういえばさ
僕は食後のコーヒーを啜る
玉ねぎって常温保存なの?
ふぇっ!? 急にどうしたの??
桃子はびっくりして聞き返してくる。
ふと思ってさ。スーパーで働いてる君ならよく知ってるんじゃない?
玉ねぎか
彼女は左手に持っていたカップを置く
普通の黄玉ねぎなら風通しの良い暗所。
新玉ねぎは水分が多いから野菜庫、もしくは同じく暗所かしらね
流石だね。桃子
僕は軽く手を叩いて賞賛を送る。
ふふん! いいお嫁さんになるわよ?
彼女は腕を組んで言う。
……そ、そうだね
僕は、表情を悟られない様にコーヒーカップを精一杯持ち上げて喉に流し込む。
カップの中身が無くなっても、数秒耐えてそのままでいた。
てゆーかッ!!
突然、桃子がテーブルをパンパンと叩いた。
さっきの玉ねぎの話って、もしかして『求婚』と『球根』を掛けてたの?
そんな野暮なこと、僕が言うと思うかい?
思うから聞いたのよ
ああ、そうですか
まぁいいわ。それよりさ
この女には、自分で振った話には責任を持つ、という常識はないのか
私と結婚してくれるって話、どうなったの?
やめてくれ――
僕は彼女を指差して言う。
『結婚』って言葉をストーカーしてくる女性から聞いてトラウマなんだ
つまりは、そういう事だ。