ルアール王国に来るのは初めてではなかった。
塀の上にそっと腰を下ろした彼女は悪夢のような出来事が起きる前のことを思い出そうとしたが、少し考えはじめただけで頭に鈍い痛みを感じたのですぐにやめた。
この地に戻ってくるのは何年ぶりだろう...。
ルアール王国に来るのは初めてではなかった。
塀の上にそっと腰を下ろした彼女は悪夢のような出来事が起きる前のことを思い出そうとしたが、少し考えはじめただけで頭に鈍い痛みを感じたのですぐにやめた。
その代わりに、今回ここを訪れた目的を思い出した。
彼女の任務は至ってシンプルだ。
帰りを待つ主を思い出す。
お前の存在価値はこの任務を遂行できなければないものだと思え。私は、第一王子を殺すためにお前を育てたのだ。私を失望させるでないぞ。
主の射抜くような冷たい目と恐怖で竦ませる笑みが脳裏に浮かび、身を震わせる。
人を殺めることに対して顔を歪ませ、目を閉じた。
しかし、それが再び開かれた時、彼女の青い瞳は緑色に煌き、迷いはもうなかった。
一気に塀を駆け下り、兵の目を避けながら城内にするすると侵入する。
召使として潜入していた仲間のおかげで第一王子アルナルドの寝室は目星がついている。彼女は用意しておいた道順を走り抜け、あっという間に寝室の前に辿り着いた。
部屋の前には護衛が2人 。
ごめんなさい
彼等は彼女の剣術によって音を発する前に気絶させられた。
すっと寝室に潜り込み、気配を消して寝台に近づいた。
ここに第一王子が寝ていると思うとドクドクと胸が騒いだ。
それを抑えるかのようにゆっくり深呼吸をして、
懐から取り出した小刀を寝台に突き立てた。
全てが終わったと確信しながら剣を振り下ろした彼女だったが、事はそう簡単にはいかなかった。
あっと声を漏らす前に彼女の体は反転していて、気付いた時には真紅の髪が視界を遮っていた。その髪の間からは、オパールのように黄色がかった瞳が彼女を冷たく見下ろしていた。
目を惹く赤い髪と端正な顔。
仲間の情報と完全に一致する。
彼女を見下ろす彼こそが第一王子アルナルド・ハルトヴィヒ・メイス・ルアール。
うっ....
冷徹な目に射るように見下ろされ、彼女の口からは怯えたような吐息が漏れた。
その直後、扉が勢いよく開かれて部屋一面に灯りが灯る。
陛下、ご無事ですか?!
勢いよく部屋に飛び込んできた騎士達を無視して、王太子アルナルドはただ彼女を無言で見下ろす。
そして嘲笑ともとれる笑みを浮かべ、一言呟いた。
女か...
私が思うほどルアールの王太子様は弱くなかったってわけね。
お前の仲間は随分前からよく働いてくれてるんだ。まさか女が俺の首をとりにくるとはな。
夏翠がそんなに簡単に捕まるとは思わなかったわ。悔しいけど中々やるのね。
軽口には軽口で返すが、内心任務を失敗したことで不安と悔しさが一気に押し寄せていた彼女は泣き出しそうになるのを必死に堪えた。
完全に相手の力量を見誤った。
王子に組み敷かれたまま、顔を覆う布を剥ぎ取られた。
彼女の顔を見た王子は一瞬眉を寄せて困惑の表情を浮かべた。だがすぐに無表情になり、彼女を問いただす。
お前もスパイ同様蓮人ではないな。アスタナ語も流暢なようだが、名はなんという?なぜ俺を狙う?
....私は凛。あなたを殺しにきた。