高速増殖炉

凛香

ねぇ、秀一

放課後。
今日はほのかは華道のお稽古、エルは家の用事、鈴は部屋にいるけれど疲れて机で眠ってしまっていて、花園には秀一と凜香の二人きり。

秀一

なんだ?

化学の教科書をぱらぱらとめくっていた凜香は尋ねました。

凛香

この、こうしょくじょうしょくりょ、ってなにかしら?

秀一

こうしょくじょうしょくりょ?

凛香

ふふ

秀一

……? 貸してみろ

秀一は凜香から教科書を受け取り、そのページに目を通します。

凛香

ここよ、これ

秀一

ああ高速増殖炉、な

凛香

ええ、だから、こうしょくじょうしょくりょ

秀一

言えてねぇよ。ほぼ全て噛んでるじゃねえか

凛香

ふふふ、面白いことを言うわね。この私が、噛む、なんてそんな幼い失敗をするわけないでしょう? あなたの聞き間違いよ。うちの系列の病院、紹介しましょうか?

秀一

どうしてそこまで自分を信じられるのか

秀一

……じゃあ、もう一度言ってみろ

秀一はポケットからスマホを取り出し、ボイスレコーダーアプリを立ち上げました。

凛香

こうしょくじょうしょくりょ……ふふふ

ドヤァ、と溢れんばかりの満足げな表情を凜香は見せます。

秀一

言えてないだろ!? ドヤ顔すんなよ!

凛香

言えてないかしら?

秀一

言えてねぇよ……聞いてみな

そう言って、秀一は今録音した凜香の声を再生。

凛香

こうしょくじょうしょくりょ……ふふふ

秀一

な?

これでわかったか? と秀一が凜香を見ると。

凛香

彼女の顔から表情という表情が消えてまるで能面のようになっていました。

秀一

お、おい、凜香……?

まばたきすらしない凜香に秀一が不安になり声をかけると、彼女は、ハッと我に返り、それからぶつぶつと何かを言いはじめました。

凛香

こうしょくじょうしょくりょ……こうしょ……こう……

小さな声で何度も何度も繰り返し、結局一度も言えなかった凜香は、ふむ、と一つ頷きます。

凛香

これはあれね、人体の構造的に発音できない言葉というものなのね

秀一

違うから。普通に発音できるから

凛香

じゃあ秀一、あなたは言えるのかしら?

秀一

さっき言っただろ

凛香

もう一度!

むっ、とむくれた凜香は、

凛香

りぴーとあふたみー!

あたまのわるさがもろに出ていて、聞いているこちらが悲しくなってきます。

未だにRepeat after meの意味すら把握できていない凜香の英語力に不安を覚えつつ、秀一はとりあえず彼女の要望に応え言いました。

秀一

高速増殖炉

凛香

……

凛香

わかったわ。秀一、あなたやっぱり変態なのよ。だからそんな言葉がしゃべれるんだわ。この変態、ロリコン、近未来的ハゲ

秀一

やめろ、特に最後。俺は禿げてねえ!

凛香

だから近未来なんじゃない

ハゲというのは対男性にとって最終兵器とも呼べる言葉です。頭髪にまったく問題がない人をも不安に陥れる魔の言葉。いつか自分もそうなるのでは……という不安を男はいつだってもっているのです。

秀一

……わかった。おまえも言えるようにしてやるから。そうしたら、前言撤回しろよ!? 特に最後!

凛香

そこまで教えたい、っていうのなら、教わってあげないこともないけれど?

秀一

よし。俺に続いて言ってみろ

秀一

高速

凛香

こうしょく――

凛香

……

凜香はやや恥ずかしそうにうつむき唇を噛んでいます。

秀一

もう一度。高速

凛香

こ、こ・う・そ・く!

秀一

増殖

凛香

ぞ・う・そ……ぞ・う・しょ! く!

秀一

凛香

ろ!

秀一

高速増殖炉

凛香

こうしょくぞうしょくりょ!

全てきれいに噛みました。

秀一

うん、わかった。凜香。おまえには無理だ。あきらめろ

俺もあきらめるから、と秀一はしみじみと言いました。

凛香

やら! じぇったいやら!

秀一

なんで他の言葉まで言えなくなってんだ、ったく……

凛香

やらやらやら! いうのいうのいうの!

凛香は子どものように地団駄を踏んで喚きます。

秀一

……

お嬢様のかわいそうな姿を、心からの哀れみを込めて見つつ、秀一はノートにさらさらとペンを走らせます。
『高速蔵書黒』

秀一

ほら、これを読んでみろ

凛香

秀一

ほら、読んでみろ

凛香

こうそく、ぞうしょ、くろ

凛香

言えたわ

凛香

高速増殖炉、高速増殖炉、高速増殖炉!

凛香

ふふふ……ふふ、ふふふふふ、あは、あははははは!!!!

本当にうれしかったらしく、凜香お得意の高笑いが出ました。

ひとしきり笑うと、ふぅ、と一息つき、目元ににじんだ涙をぬぐって凜香は言いました。

凛香

悪かったわね。さっきの言葉は撤回するわ……あなたはただ小さい子が好きで興奮しちゃうだけのパンピー。将来的に禿げる可能性はわからない

秀一

全然否定する気ねえだろ

凛香

今度、育毛剤プレゼントしてあげるわ

秀一

やめろ! 本気で心配になるからやめろ!

凛香

どうしようかしら

懇願する秀一に凛香はいたずらっぽい笑みを浮かべます。
花園は今日も平和です。

翌日。

『高速増殖炉』が言えることを他の三人に自慢しようとした凜香が、またも噛まずに言えなくなってしまい、みんなにからかわれることになりましたが、それはまた別のお話。

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