平日午後のメイド喫茶は退屈な空間だ。「ご主人様」の帰宅もない店内に、壁掛け液晶テレビの音声だけが響いている。
その画面をぼんやり見上げる少女がいた。この店で働くメイドの一人、名を七瀬深春(ななせ みはる)という。
それで、カーミラさんはですね、ヴァンパイア……吸血鬼アイドルというご活動をされているそうなんですけども――
左様。妾は真祖の直系にして夜の王。闇黒に追い遣られし者共は、吾が呪詛により今再び立ち上がる力を得るであろう……。
ちょっとよくわからないんですけども、つまり歌を通して暗い世の中を元気づけたいと、そういうご活動をされてらっしゃるんですね。それから……
平日午後のメイド喫茶は退屈な空間だ。「ご主人様」の帰宅もない店内に、壁掛け液晶テレビの音声だけが響いている。
その画面をぼんやり見上げる少女がいた。この店で働くメイドの一人、名を七瀬深春(ななせ みはる)という。
ふゎ~あ
あくびを一つ。
どうやらあまり寝ていないらしい。
早くシフト終わんないかなあ……楽だからいいけど。
テレビは相変わらず、昼下がりのトークショーを映している。タマネギ頭のベテラン女優が、白と黒の豪奢なドレスを纏った若い女性にしきりにインタビューを続けている。
……大変素晴らしいと思います。ところで、そのお衣装もご自分でお作りなんですよね。
えっ?
その一言が深春の神経を駆け抜けた。
ヒトの作りし装束など、吾が王国には不要。自ら練り上げたこのドレスこそが、妾の魔力を最大限に高め、見る者に畏怖と崇敬をもたらすのだ……。
なるほど、ご自分の世界観を伝えるために、心を込めてお作りだと。んまぁ色々ご苦労なさってるんですねぇ。
そうなんだ……。
深春は、画面の中の女性と、その衣装を改めてまじまじと見た。密度の濃い漆黒の生地が贅沢に用いられ、彼女自身の白い肌と鮮明なコントラストを作り出している。紅白のチャームとレースがふんだんにあしらわれ、厳格さの中に女性らしい可愛らしさも窺える。手間と予算が惜しみなく注ぎ込まれたのは明白だ。
すごいなあ……。
思わず声が出る。もっとも、それだけの理由が深春にはあったのだが。
どれほど経っただろうか、惚けたように画面を見つめていた深春は、突然声を掛けられた。
深春ちゃん? ちょっとどうしたの?
せっ先輩!
慌てて居住まいを正す。そこには、深春より一年ほど早くから働いているメイドが立っていた。「ご主人様」の不在が救いとはいえ、先輩に職務怠慢を見咎められてしまった。何たる失態。
すみません、少し、ぼーっとしてました……。
ぺこりと頭を下げる。
先輩と呼ばれたメイドは、しかし、咎める風もなく。
仕方ないよね。明日は大事な日だもんね。
にこやかに語りかけた。その様子に深春も少し安堵したものの、「明日」という言葉が彼女を再び緊張させる。
はい……実は昨夜もずっと衣装の修正してて……。
そっか。じゃあ今日はもうあがっちゃいなよ。店長には私から話しておくから。
いいんですか!? あ、あの、ありがとうございます!!
だって深春ちゃんはうちのホープだもの。
ばっちり宣伝してもらわなきゃね。
あはは……頑張ります……。
言い知れぬプレッシャーを感じながらも、簡単な感謝を述べ、深春はバックドアから店を出た。
メイド喫茶が店を構える雑居ビル、その最上階の隅の小部屋に、深春は間借りしていた。半ば住み込みのようなものである。
狭く薄暗い室内には日用品がひしめき合うがごとく並べられ、華やかなメイド喫茶のイメージとはまるで対照的だ。
スチールの事務机の上に、小さなミシンが一台。奥の壁には雑誌の切り抜きが数枚、そしてカレンダー。雑多な予定が書き込まれた中で、明日の日付に貼られた大きなヒマワリのシールが一際目をひく。
本当に明日なんだ……。
深春は切り抜きに視線を移す。
「第1回秋葉原メイド+PLUS結果発表」
「ベストメイド 七瀬深春(18)」
「ワンミリオンミュージックよりデビュー決定」
そんな字面が踊る。
大丈夫……なのかな……。
右の壁を見やる。そこには一着のドレスが掛けられていた。メイドドレスを基調としているものの、店の仕事着とは違い、かなり大胆なカットが施されている。明日のデビューイベントのために、深春が自ら縫い上げたものだ。
やっぱり短すぎる……でもなあ……。
スカートの裾に手を触れる。ビロード……ではなくブロードという安価な生地から作られたそれは彼女の普段着に比べて幾分短かったが、これは決して性的消費を目論んだものではない。充分な面積を買うだけの経済的余裕がなかったのである。
そういえば……ヴァンパイアアイドルって言ってたっけ……。
ふと、昼間にテレビで見たカーミラの姿が脳裡をよぎる。あの豪奢な衣装を自ら完成させる技術、白磁のごとく均整のとれた顔立ち、独特の世界観、何より絶対の自信に満ちた立居振舞。
明日、自分はアイドルになる。喜ばしいことだ。幼い頃から憧れた夢だったのだから。でも……果たして自分は、彼女のようにやっていけるだろうか?
深春の肩がぶるりと震えた。
う、いけないいけない。
体の強張りに気づき、深春はかぶりを振った。弱気になっても得なことなどない。
深呼吸を一つした後、カレンダーのヒマワリをじっと見つめる。
頑張るしか、ないよね。
小さく拳を握りしめてから、深春は部屋の照明を落とした。