信じられないことに、大昔の世界では赤い服に身を包んだ老人が、生身の動物に引かせた乗り物で暗闇の中を滑空したらしい。
きっと、その空飛ぶ老人からすれば、私の生きる時代こそ御伽噺だろう。
“クリスマス”?
そう、『クリスマス』
私が棚のデータを整理する傍らで、テーブルセットの席に着き優雅にお茶をする彼女は微笑んだ。彼女は私の従姉妹に当たる。少し変わっていて、いわゆる古典の物語でたまに出る占い師のような魔女のような、格好をしている人だった。
何、その行事
え? 読んだこと無い? 本とかでさー
“ほん”? ああ、デッドメディアの名称の一つね
あらゆるものがデータ化された現在で、紙の媒体は存在しなかった。していたとしても、各国に支部を置く『国際保存委員会』が管理していて、一般人が気軽に触れる場所には無い。もし保存委員会の許可無く所持していた場合、厳罰に処されることも在った。
現今の世界では書類も書籍もすべて電子データで、AR、拡張現実機能を内蔵した現代人はメディアへの接触方法も千差万別だ。映像で観るなり音声で聴くなり文字列で読むなり触感を使って体感するなりサプリにして含んで舌の上で転がすなり脳に直接ダウンロードするなり、枚挙に暇が無い。
まぁ、それは世界のすべてが言えることだけど。ファッションとか。服だけでなく髪色とか目の色とか肌の色とか果ては身長体重まで、簡単に変えられる。並ぶ私たちが、一見親が兄弟と言う割と血の濃い繋がりが在るとはわからない程度には。
……で? そのクリスマスとやらが何
私があからさまに気の無い返しするも、従姉妹はまったく気にした風も無くデータを引き出す動作を行って、左側が端から端までぴっちり綴じられた分厚いデータの束を手元に呼び出すと捲る。従姉妹はこのデータ形態を好んで使っているけれど……もしかして、コレが本の形なのだろうか。本物は知らないけれど、前に見た図解とよく似ていた。
昔の人はね、そのクリスマスをいろんな形で祝ったんだって! 『ツリー』って電気の木をキラキラ光らせたり、焼いた鳥の丸焼きの中に野菜を突っ込んだものを食べたり
へぇ
小麦粉を固めて焼いた『ケーキ』? をみんなで分け合ったり、教会で祈りを捧げたり
教会で祈るのは毎週のことじゃないの?
クリスマスは特別なお祈りなんじゃなーい?
従姉妹の弾んだ声に生返事で応えつつ私はデータ整理の手を止めなかった。私の目の前で展開する棚は、物理的に存在する棚ではない。それこそ、ARで空間に表示した棚なのだ。でなければ幾らリビングが吹き抜けと言え、部屋のど真ん中、テーブルの横に二メートル在る棚が在るなんて邪魔だろう。
棚に収まるファイルは全部私の資料だった。従姉妹との会話の際も、一切資料から目を離さなかった。
……で?
え?
何だって、そんな話して来たの?
ちらと、ここで初めて資料から視点を彼女へ移した私の問いに、彼女はきょとんと見返して来た。言われた内容が理解出来なかったみたいだ。
だーかーら、
再度訊くため繰り返そうとした私の口は、
ストップ
彼女によって閉ざされた。限りの悪いところで止められると詰まるのでやめてほしい。口の中がもごもご言う感じがして気持ちが悪い。もっとも、従姉妹は私に様子なんて気にしていないだろうけれど。
何でって。あんたが、新しいジャンルテーマが無いから何かアイディア寄越せ、って言ったんでしょー?
びしっと突き付けて来る従姉妹の指を払いながら、あー、そう言えば言った気もするなぁ、と思い出していた。
私の仕事は、歴史書の管理だ。戦争兵器や環境破壊を極め、拭えなくなった汚染で上には住めなくなった私たち。高層ビルに引き籠もって行き来は地下に潜って、を続け幾星霜。もう、私たちの世代は、空を知らない。砂以外の土を知らない。人工花木以外の緑を知らない。海を、知らない。
地上を歩くには防護服が必要で、空はどんよりと重く立ち込めた雲に覆われ暗く、大地は罅割れ埃っぽく、海は又聞きだけれど赤茶けているのだそうだ。
……
豊かさを追求し過ぎた人類への、罰だろうか。私は、日々回収されては消毒されスキャンされ電子に落とし込められるデータを整理し分類し管理するのが仕事だった。
……昔はさー、こんな棚と本が部屋を埋め尽くしている建物のことを『図書館(ライブラリ)』って言ったんだって
知ってる
己の職業の由来になった建物のことを知らない訳が無かった。
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