第一話  岸壁のきみ

……~~~~……!!

標(しるべ)は釣竿の先端を見つめながら、さっきからずっと苛立っている。
 この胸の中のどうしようもないイライラは、一匹たりとも上がらない釣果のせいではない。まして海鳥の啼く声が煩いからでもない。

だからあたし、そこで言ってやったんだよね。
あたしをただの娘だと思ってたら、あんたら明日あたり鮫の餌になるよ♪って

 海猫以上に、鴎以上に、潮騒以上に、

なのにそいつときたら、まだあたしに言い寄ろうとするわけ。
だからあたし、しょーがなく犬を呼んで、そいつをぼっこぼこに

 くそやかましい女が、目線の先でのん気な顔をして小舟に揺られているせいだ。

あーうっせえ!

 釣竿を勢いよくしならせて引き上げると、標はやおら立ち上がった。

危なっ。
うっせえとは何よ!

 釣り針が鼻先をかすめたのか、少女は片手で顔の中心を押えながら猛然と抗議する。標は一瞬心配げに目をこらしたが、すぐに唾を吐いて声を荒げた。

うっせえものはうっせえんだクソ桃!
てめえがそんなところに舟寄せるせいで
魚が一匹も釣れねえじゃねえか。
カモメみてえにピーピーギャーギャー、
用が済んだらとっとと帰れ!

言われなくても帰るわよ!
何よ、せっかくカワイソウだから会いにきてやったのに

 標の額に、ぴくりと黒い血の筋が浮かぶ。

俺が。一度たりとも。てめえに会いたいと言ったことがカワイソウだったことが

そんなこと言ってあたしが来ないと
あんたそわそわそわそわ入り江のあたり行ったり来たりしてんじゃない

してねえゴルア!!
これで鼻ッツラ釣るぞゴルァ!!

おお釣ってみろゴルア!!
釣竿でひっかけて引き寄せて抱きしめてみろゴルア!!

ここは鬼ケ島である。

小舟に乗っている少女は桃と言う。

このあたりを統べている海賊の統領の一人娘で、つい先日三代目桃太郎を襲名したばかりだ。

対して、今にも崩れ落ちそうな断崖絶壁から身を乗り出し、少女と本気になって怒涛の口げんかを繰り広げている標(しるべ)は、族長の息子である。


この島の土着の民は、島から外に出ると鬼と呼ばれる。


何故この土地の民だけが頭に角を持つのか、陸の民をはるかに凌ぐ強靭な肉体を持つのか。

島長代々の口伝では、もともと人間だった島の一族に、神が「いでんしそうさ」の術をほどこし特別なチカラを与え、自分たちの宝物庫の番人としたのだという。
が、標はそのチカラとやらをありがたいと思ったことは一度もない。

伝説はどうあれ、この見てくれと有り余る力のせいで、島の者たちは島に縛られて生きている。


鬼が出たよ!
みんな家にお入り!

村はずれに鬼がいるらしい。
討伐に行くぞ!


島から出たら鬼だと言って打ち殺されてしまう。
そして万が一鬼ヶ島の存在を知られたなら、島ごとみんな殺されてしまう。


鬼ヶ島は金の島だ。


周囲をぐるりと囲む切り立った山々には金脈が走り、中央の活火山からは紅玉や蒼玉が沸き出てくる。

入り江には真珠貝と珊瑚が群れ、洞窟に入れば転がる石ころはみな玻璃や瑠璃――そういう島なのだ。


今はまだ、海から突き出る刃物のような無数の岩と、悪夢のように渦巻く海流が島を守っている。

だがもしこの地がひとたび陸人の知るところとなれば、彼らは千艘の舟が砕け散ろうとも万艘の舟をもって押し入るだろう。

やっぱり殺す次こそブチ殺す! 
標、あんた今一番喰いたいもの言ってみな!

この島と交易できる陸の人間はただ一人。

桃太郎の名を持つ者、つまりこのちっぽけな小舟に乗る、ちっぽけな少女だけなのだ。

喰いたいものだとぉ~……

桃太郎は月に一度、陸の反物や珍らかな食べ物を小舟に満載させてやってくる。
島長はその代価として金を渡す。
そういう小さな交易を、もう百年もの間続けている。

そんなもん決まってんだろ、
てめえがこさえた黍団子だゴルア!
毒でも何でも入れて持ってきやがれ!

毒なんか入れるかボケェ…

 桃太郎は腕組みをすると、よく張った腿で小舟に立ち、びしりと標に人差し指を突きつけた。

毒の代わりに文を入れてやる!
開いたら桃の花びらが零れ落ちて、
「これでいつでも一緒だね」って書いてやる

――……

――……

萌え死ねやボケェェェェェ!

死ぬかボケェェェェェ!

第一話 岸壁のきみ

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