イグニス

おはようございます!

肩までしっかりとかけた布団が思い切り剥がされる。行儀良く寝ていた竜也にとってはこれほど理不尽な仕打ちもない。幸いこの裁きの間においては適温が保たれているので寒いということはないが、それでも不快な起こされかたに違いはない。

竜也

何しやがる!

イグニス

せっかく吉報を持ってきましたのに、そんな怒らないでください

ベッドの傍らには満面の笑みを浮かべたイグニスが布団の端を持ったまま竜也の方を見下ろしている。休日の母親のようなことをしやがって、と無性に腹が立った。

竜也

その吉報ってのは相当なものなんだろうな? 合格です、くらいじゃ俺の怒りは静まらないぞ

イグニス

おやおや、ずいぶん殺気立ってますね

竜也

誰のせいだ

怒りを隠すことなくぶつけてみるが、イグニスの表情は少しも崩れる気配がない。やはり無駄か、と諦めて、竜也はベッドから這い出る。

竜也

それで、どんな吉報を準備してきたって?

一応流れに乗って聞いてはみるが、検討はついている。吉報という言葉はイグニスが竜也をおちょくるための方便であって、内容はなんだっていいのだ。つまり彼のもっていているものは試験の合格通知だけだ。

イグニス

はい、まずは一つ。機能の試験は合格です。お二人とも

竜也

それはどうも

イグニス

おや、反応が薄いですね。あれでもエリート中のエリートしか合格できない難関なのですが

そう言われても竜也にとっては容易い問題だった。つい一、二週間ほど前まで竜也は人間として暮らしていたのだから、英語圏の人間に日本の英語検定を受けさせるようなものだろう。

しかし、イグニスの言葉に引っ掛かるところを見つけて、竜也は聞き返す。

竜也

一つ?

イグニス

はい、まだありますよ。あなたにお伝えする良いお知らせが

何もないと思って期待していなかったのに、表情一つ変えずに微笑んだままのイグニスはさぁ聞いてくれ、と言わんばかりに竜也の方ににじり寄ってくる。

竜也

なんだよ?

イグニス

いえ、聞きたくないのかと思いまして

つまり聞きたければお願いの一言でも言えということか。面倒というか回りくどいことを言うものだ。

竜也

別にどっちでもいい

イグニス

そう遠慮なさらず

そんな不毛なやりとりをしていると、半分閉じた目を擦りながらふらふらとした頼りない足取りでタナシアがやってくる。後ろを歩くフィニーがそれほど心配していないところを見ると、緊張でよく眠れなかっただけのようだ。

タナシア

こんな時間から何の用よ? もうちょっと空気読んでよね

イグニス

早く採点しろ、と言われたので急いで済ませてきたのですよ?

タナシア

誰もこんな時間に叩き起こせとは言ってないんだけど?

あぁ、面倒だ、と竜也は二人のやりとりを先刻の自分と重ねて見ていた。こんな風に反応してしまうからイグニスのちょっかいが止まらないのだろうとはわかっていても、あの微笑みには絶妙に人をイラつかせる何かがある。

竜也

それで何を言いに来たんだ? できれば二度寝したいんだが

二人の間に割って入るように口を挟んだ。ある程度冷めている竜也と違って、タナシアでは放っておくといつまでも文句を並べて話が進まない。事実それがわかっているフィニーは一人離れたところで竜也のぐちゃぐちゃになったベッドを綺麗に整えなおしている。

イグニス

そうでした、そうでした。目的を忘れてしまうところでした

わざとらしく両手を叩き、イグニスは怒ったままのタナシアを無視して竜也に向き直る。

イグニス

人間界に帰ることができますよ。おめでとうございます

竜也

は?

頭に浮かんだ疑問がそのままに口に出た。隣にいるタナシアからもまったく同じ音が出たからには、竜也の聞き違いではない。

タナシア

ちょっとそれどういうこと?

イグニス

言葉通りですが?

想像した通りの反応が見れて満足だとイグニスが笑みの色を濃くしている。

イグニス

次の試験の内容、タナシアはご存知ですよね?

タナシア

実地試験でしょ? 死神が人間界できちんと振舞えるかの試験

これまでの試験もそうだったが、死神の試験というのは人間の世界に溶け込むことが出来るかを試すものだ。イグニスやフィニーと話したり、部屋に入ってみたりしても竜也が違和感を覚えずに接することができるのは彼らがそもそも人間と交流するための様々な知識を得ているからだ。

それはタナシアにも言えることだ。多少わがままではあるが、人間である竜也といても違和感はない。この辺りがフィニーが合格間違いなしと太鼓判を押す拠り所でもある。

竜也

それで、俺にもついていけ、ってか?

イグニス

物分かりがよくて助かります

人間界に帰る、と聞いたときからなんとなくは予想がついていた。イグニスと、それからキスターが何も用意せずに竜也に死神の試験を受けさせようなどと言うわけがないことくらい、本当に短い付き合いでも竜也は薄々気付いている。

裁きの間で審理中の人間が人間界に一時帰省する。それがどれほど特殊なことかまではわからないが、彼らは竜也に決断を迫っているのだ。

竜也

いつからだ?

イグニス

準備がありますので、明後日からということでいかがでしょうか?

竜也

わかった

タナシア

ちょっと勝手に決めないでよ!

タナシアの声はもう竜也には聞こえていなかった。ここから先はタナシアの付き合いではない。自分の選択が問われているのだ。

人間界という言葉を聞いても素直に受け容れられるほど竜也はこちらの世界に慣れてしまっている。それは自身が望んだことでもある。

タナシア

何でそんな深刻そうな顔してるの?

喚いていたタナシアもさすがに察したようで押し黙った竜也を不安そうに見上げている。その顔を見返そうともせずに竜也は微笑むイグニスの顔を睨みつけていた。

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