地元ドライバーには裏道として知られる百夜街道のコンビニを、高橋要(たかはしかなめ)はじっくりと見渡していた。

 空に向かって真っ直ぐ伸びたランドマークのような看板には緑の線で四角で囲んだ『M』の文字。

 スクウェアM。コンビニ業界では中堅どころではあるが、全国に店舗を持つ有名なコンビニチェーンだ。

何かやけに広いな

 昔は農道や運搬ルートとして活躍した道路も今は国道が整備され、すっかり土地も安くなってしまったという。

 それにしても無闇に大きな一階建ての店舗と子供が野球くらいは出来そうな広い駐車場は珍しい。

ガラガラだなぁ。駐車場に車も停まってないし、店にも誰もいないみたいだし。もしかしてこのチラシってイタズラだったのかな?

 要は手元のチラシに目を落とす。大学の掲示板に貼ってあったものだ。

せっかく大学に入ったけど、なんかいきなり乗り遅れた感じがする

 入学して二週間。憧れの大学生、憧れの一人暮らし。

 それなのに要はどうにも楽しめていない。既に大教室を使った講義でもグループが形成される中、要はいつも最前列で一人ノートをしっかりと取っている。

いや、大学生としては少しも間違ってないんだけど。それにしても想像と全然違うなぁ

 次の講義は一コマ飛ぶため一時間以上の間がある。その間にも友達とカフェでお茶しちゃったりして、優雅なキャンパスライフを謳歌している人間もいるのだろうと思うと、なんだか要は口を尖らせたくなる。

 ふと、アルバイト募集の掲示板が目についた。

 大学生向けのもので家庭教師や短期アルバイトの募集が張り出されている。

バイト、か。何か始めてみようか。もしかしたらそこで気の合う友達だって見つかるかもしれないし

 無造作に張り出されたチラシに目を通していく。家庭教師は自信がないし、引越しは体力が持たない。

 カフェなんておしゃれな場所とは無縁だと思うし、かといって学食でおばちゃんに囲まれて働くのもイマイチピンと来ない。

あ、コンビニ。なんでコンビニのバイトなんかあるんだろう? それに大学からちょっと遠いし、って時給一五〇〇円!?

 思わず要は両目をこすってもう一度チラシに目をやる。確かに大きな文字で白抜きされた時給の表記は一五〇〇円と書いてある。

出勤は一日から応相談。試験前シフト変更可。制服貸与。なんだこれ、すごく条件もいいしなんでこの募集残ってるんだろう? えっとお店は、スクウェアM百夜街道沿い店

 少し距離はあるが、通学に使っている自転車があれば何の問題もない。

どうしよう。でも、このままじゃ何も変わらないような気もするし

 口では逡巡しながらも、要の心はもう決まっていた。

 募集のチラシを掲示板からそっと取り、肩にかけたメッセンジャーバッグの中に忍ばせる。

 午後の講義をきちんと受け、まだ空が赤くならない頃には愛用の自転車にまたがり、百夜街道を走っていた。

 そしてようやく辿り着いたコンビニを見て、想像よりも閑散としていることに不安を覚えているところだ。

時給一五〇〇円なんてよく考えたらコンビニじゃありえないもんなぁ。偽物だったらなんて言い訳しようか

 自転車を駐輪スペースに停めて、要はコンビニ入る。初夏の空気から人工的に冷やされた空間に入ると、すっと汗が引いた。

すみません。バイトのチラシを見て来たんですけど

百手

あぁ、そうなのかい? 嬉しいなぁ

 出てきたのは小太りで眼鏡をかけた中年の男だった。制服の上からでもよくわかる丸々と太った腹が揺れている。少し荒い息を抑えつつ、要ににこりと微笑んだ。

百手

いやぁ、人手がまったく足りなくてね。猫の手も借りたいところなんだ。もしよかったら今日すぐに入れたりしないかな? もちろんお給料は出すからさ

え、面接とかは

百手

働いていれば人となりくらいはわかるさ。それよりも仕事が合うかどうかのほうが大事だからね

でも履歴書とかそういうのは

百手

次に来るときにでも持ってきてくれればいいよ

は、はい

百手

それじゃ、この奥にロッカールームがあるから、入ってすぐ右の棚から自分に合う制服を着てきてくれるかな?

 そう言って要は背中を押されて店の奥へと半ば強引に押し込まれる。

なんかヤバイところにきちゃったんじゃ

 そう思いながらも言われた通りに一番奥に見える扉を目指した。

これ休憩室? 畳敷きだし、こっちは広いキッチン。それにここはシャワールーム? 外から見た建物の割に店内が狭いとは思ったけど、もしかしてあの店長ここに住んでるのかな?

 ロッカールームを開けて言われた通りMサイズの制服を選び出す。名札の入っていないロッカーを開けてそこに服と荷物を詰め込んだ。

あの、着替えてきました

百手

似合ってるじゃない。あ、私は店長の百手(ももで)だ。今日は他のスタッフはいないけどしっかりサポートするからよろしく頼むよ

はい。よろしくお願いします

 元気よく返事をしたものの店内を一望して要は不安に思う。店内には誰一人として客の姿はない。外は裏道ということもあって車が流れていくが、誰一人としてこの店に立ち寄ろうという気配はない。

 それどころか店の前だけ速度を上げているようにすら見えた。

百手

それじゃ、レジの打ち方だけ教えておくよ。他のことはこっちでやるからさ。お客さんの相手だけしてくれればそれでいいから

で、でもいきなりお金の関わるレジ打ちを初日のバイトがやるのは

百手

間違えてもいい。責任は私がとる。だからレジの前に立っててください!

いきなり敬語!?

百手

ほら、とりあえずこれでいいんじゃないかな

あ、はい

 百手からレジ側にあったお菓子が手渡される。

 要は言われたとおりにバーコードを読み取り金額が表示されるのを待つ。後はお代を受け取って打ち込み、おつりを渡す。

百手

そう。バーコードがないものは手で打ち込んでね。大丈夫?

なんとかなりそう、ですけど

百手

よし、それじゃ私は他の仕事をしてるから。後はよろしく!

え、そんな。俺、一人ですか?

 要の驚きに答えず百手は巨体を揺らしてウォークへ逃げ込むように去っていく。

 呼び立てたところでのらりくらりとかわされてしまうのが関の山だ。

できればあまりお客さんが来ませんように

それにしても本当にお客さん来ないな。コンビニなんてどこも忙しいものだと思っていたのに

 コンビニは割に合わない、忙しすぎるという話はたくさん聞いたことがある。

 それがここでは暇すぎて持て余すほどだ。

それに店長、今日は他のバイトがいないって。もしかして一人で店を回すつもりだったのか?

 そうだとすれば異常事態だ。

 要のよく行くコンビニなら深夜でも二、三人は当然に働いている。もしかすると見えないところや休憩中の人員も合わせればさらに増えるはずだ。

もしかして、実はここはコンビニじゃないんじゃ。高い時給に釣られてやってきたバカを捕まえて売り捌くとか

 そうだとしたら今すぐ逃げ出したい。

 でも荷物はまとめて店の一番奥のロッカールームに閉まっていると思い出す。

 それにいいバイトだから他人に取られたくない、と今日は大学から少し遠いコンビニまで誰にも言わずに来てしまった。そもそも大学に友達はいないから要がいなくなったところで気がついてくれる人もいない。

か、完全に逃げ道を塞がれてしまった

 今更後悔したところで遅い。要はレジの前に両手をつき、がっくりとうなだれる。

 その時、ウォークの方で大きな音がした。

店長!? 大丈夫ですか?

百手

あぁ、ちょっと張り切って物を落としちゃっただけだよ

手伝いにいきましょうか?

百手

だ、だだ、大丈夫! 私のミスだからこっちで片付けるよ。店の方を見ておいてくれればいいから

 妙に焦った声に要の妄想はさらに加速していく。

あぁ、やっぱりもう買い手の人間が来てるんだ。どこかに奴隷として売られるんだろうな。できれば優しい人のところがいいなぁ。あ、臓器だけ抜いちゃう人ならそうもいかないだろうし

百手

高橋くん?

は、はいぃ!

百手

どうしたの? そんなにびっくりして

い、いえ、急に後ろから話しかけられたもので

 思わず要は身構える。抵抗したところで武道の心得なんて高校の体育で柔道をやったくらいのもので、体格で勝る百手に勝てる見込みは少しもない。

百手

まぁ、バイト初日なんてそんなものだよね。はい、これ

ジュース?

百手

あ、オレンジジュース嫌いかな? 落としてへこんじゃったからあげるよ。暇なときにでも飲んでくれていいから

あ、ありがとうございます

百手

それじゃ、引き続きよろしくね

 またウォークに戻っていった百手を見送って、要は大きく息を吐いた。

なんだ、やっぱりいい人じゃん。何を不安に思ってたんだか

 ジュースを手に取ると、何かぬるりとした感覚が掌に広がった。

なんだろ、これ?

 指で伸ばすと少し粘度がある透明な液体のようだ。

倒した時に何かがついたのかな。だとしたら片付け大変そうだけど。大丈夫って言ってたしなぁ

 ウォークの方に聞き耳を立ててみるが、物音はするもののそれほど焦ったような雰囲気はない。要は空っぽの店内を見つめて、そろそろ誰か来てくれないか、と外を眺めた。

一話 百の腕を持つ英雄(前編)

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