少女が竜である事を喫茶店の皆に話してから二ヵ月ほどが経った。
店長も先輩も一切怖がるような事なく、俺や少女に接してくれる。
それに、最近は少女が人馴れしてきたのが理由なのか、店長きっての頼みで少女を店に連れて行く事が日課となっていた。
少女は店長や先輩に会うのが楽しみらしく、俺がシフトの日は早く連れて行けとうるさい。
今日も、店に連れて来ている。
少女の役割は皿洗い、らしい。
らしいというのも来客と言えば近所の人ぐらいしかこの店を利用しないから、必然的に注文も少なくなり、それほど量がなく一日の大半を、雑談したり遊びながら過ごしているからだ。

お待たせしましたぁ~!コーヒーで~す!

店長が顔見知りらしい初老の男の人の前にコーヒーを置くと、

ごゆっくり~

と戻って来る。

お疲れ様です

あはは、いつもありがとね!

お、疲レ、さま……ヨク、わからぬ、ガ

今はそれでいいって。その内、わかるさ

ムゥ……ソー、いう物、ナノカ?

そんな風に困った顔を向けられても、答えようがないのだが。

あ、バイトちゃんレジお願い!リューちゃんは空いたお皿下げて来て!

わかりました

ウム

先輩がすたすたとレジへと向かい、少女が嬉々とした表情でおぼんを持って歩いていく。
俺がやっていた事と同じ事ができるのが、そんなに嬉しいのか?
ここに連れて来るようになってからというもの、あいつは今まで見せなかったような顔を見せるようになった。
前はあんな風には笑わなかった。
やっぱり、俺以外の人間と触れ合う事が、あいつを変えている。
喜ばしい事なんだが…………なんでだろうな。
少し、寂しい。
一緒に働いているのだから、必然的に一緒にいる時間はここで働き始める前に戻った筈だ。
それなのに、どうしてか前より短く感じる。
あいつが変わるのが、そんなに怖いのか?
俺は、いつの間にかあいつに……

いらっしゃいませぇ~!

店長の声が聞こえた。
客が来たようだ。
すぐにコップを取り、氷を三個ほどと水を入れて、席に座った新しい客へと運んだ。
綺麗な柄の和服を着た女の人だった。
そこにいるのがおかしいとさえ思うよな、綺麗な人だ。
どっかのお嬢様だとか、そんなんじゃないよな?

ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください

あら、それなら既に決まっているわ。こういう所は……確か、珈琲という飲み物を頂けるのでしたよね。それをお願いするわ

コーヒーお一つですね。ホットとアイス……暖かいのと冷たいのがありますがどちらが宜しいでしょうか?

温かい方を頂きます。そちらの方が、私の体にも良いので

それではホットコーヒーお一つですね。かしこまりました、ただいまご用意するのでお待ちください

なんというか、浮世離れした雰囲気だ。
とても綺麗で、幻想的で……

ム?ど、シタ?ぼけっと、シテ

え?あ、ああ、悪い。ホットコーヒー一つ頼む

?ワカッ、た。テンチョー、ホットコーヒー

はーい

店長がすぐにコーヒーの準備に取り掛かり、少しすると香ばしい香りが漂い始めた。
その間に、少女がコーヒーにつけるシュガーナッツを用意する。
だいぶ、ここでの仕事を覚えたようで俺の出る幕がない。
ま、まあ……楽ができるならそれでいいんだが……
ふと和服の人を見る。
ああ、やっぱり綺麗だな……
なんというか、本当に物語から飛び出してきたみたいな……

……

あ、先輩やめて、そんな目で見ないでください……!
別に変な目で見てたりとかそういう訳じゃないです!

……あの人、綺麗だよね

え?あ、は、はい……そうっすね……

私もああいうの着てみたいな。花柄がいいかな……来年の夏祭り、かな?

先輩が花柄の……?
桜?ひまわり?それとも、紫陽花か?
よくわからんが……とにかくかわいいというのはわかる。

……キモいよ、その顔

え?!あ、す、すみません……

無意識にニヤついてたか……ああ、悪い癖になっちまったな……

ふふっ、君は悪い事は考えない人だから、いいけどね。ま、お客さんの前ではニヤつかないよう気を付けてね

そう言って先輩は、レジへと戻って行った。
俺は……とりあえず、できたコーヒーと小皿に乗せたシュガーナッツの小袋を和服の人に運んだ。

お待たせしました

ありがとう、あなたは優しいのね、人間にしては

え?

“人間にしては”……?
急に悪寒が走る。
彼女は人なんかじゃない!
女の目が、スッと細まり、爬虫類の如き眼光を一瞬覗かせた。
間違いない、こいつは……!

フーフー……いたたぎます

淹れたばかりのコーヒーを砂糖もミルクも入れずにゴクゴクと一気に飲み干した彼女は、店内を何かを探すようにグルリと見渡すと俺を見上げて、クスリと笑った。

あなた、わかるのね

……なんとなく

まあ、あの子がいればわかるか

あんた一体、何者なんだ?何しに来た?

フフッ……さあ、何かしら?なんて意地悪な事は言わないわ。私はあの子の関係者よ。それよりあの子を呼んでくれるかしら?お話をしたいの

あいつとお前だけにする訳にはいかない

なら、あなたもくればいいわ。あなた程度、邪魔にはならないわ

…………

……まあ、今は忙しいようですし、また後にしましょう。お好きな時間で構いません。神社でお待ちしますわ

神社

俺はバイトを早めに上がらせてもらい、少女と共に神社にやってきた。
無視しようかとも思ったのだが、どうにも気になって仕方がなかった。
まあ、ヤバかったらすぐ逃げよう。
……そんな軽い気持ちで来てよかったのか……?
階段を昇り終えると……いた。
畳を敷いて、屏風と傘まで置き、座布団に座っている。
なんか普通に。
そこに前々からあったかのように。
さぞ、当然の如く。
茶会の準備がされていた。

…………来たぞ

……アイ、つ、カ

あら、意外とお早いのですね。私の見立てではもうあと一時間ほどは来ないと思っていたのですが

和服の女は目を閉じて、微笑みを浮かべてさあどうぞと座布団に掌を向けた。
……座りたくねぇ……
絶対なんか仕掛けてあるだろ。

そんなに疑わないでください。私、嘘はつきませんから

それが一番信用できねっての……

ムッ……ダイ、丈夫だ。何も感じ、ナイ

そう言って、少女がスタスタと歩いて行って迷う事無く座布団に座った。
そして、こちらを向くと手招きした。
う、うぅん……本当に大丈夫みたいだな……
ま、まぁ、あいつが大丈夫だって言うなら大丈夫なんだろ……
不安はあるが、立っていても何も進まなさそうだし、渋々座る事にした。

はじめまして、ヒイラギと申します。お見知りおきを

どうも……俺は

綱木くんですわね。胸につけていたプレートを拝見させて頂きました

こいつ……よく見てんな……

この度は、その子を保護して頂き、誠に感謝しています

は?

私、その子の保護者ですの

は?なんつった?
保護者?こいつの?
いきなり何言ってんだ、この人は?
あんたもこいつとそう変わらないように見えるぜ?
それがなんで……え?

……お、オカァ、さん……ナノ?

その子は私の娘でして……あの日、私と娘は他の竜達の縄張り争いに巻き込まれ……そして離れ離れになってしまい、それ以来娘の行方がわからず……人の姿を借りて捜していたのですが……こんなにも時間がかかってしまったのです。弱い子ですから……どこかでのたれ死んでいないかと心配でたまりませんでした……今まで世話をしてくださった事、本当に感謝しています」
深々と頭を下げたヒイラギは、

わずかばかりのお礼ですが……

と綺麗な布に包まれた小箱を差し出した。
開けてみると、中には和菓子と一万円札の束、そして小さな牙に紐を通した……たぶんペンダントが入っていた。

そちらのお金は私が人間として働いて稼いだお金ですからお構いなく……その竜の牙の首飾りは、その子の初めて生え変わった歯を使わせて頂きました。どうか、御受け取りください

ま、まっ……待ッテ!

突然の事で、混乱するだろうけど……帰らないといけないの。人間の中で生活するには、若すぎるわ

や、ヤダ!帰り、タク、ない!私、こいつと一緒、ガイイ!

その気持ちはわかるわ。でもね、帰らないといけない時が来たのよ

ヒイラギの手が、少女に伸びる。

ま、待ってくれよ!嫌がってるだろ!ちゃんと聞いてくれ!こいつは……あ、人の子だ……この子は俺と一緒に暮らして……そりゃ確かに最初は、人間生活に慣れてなくて大変だったけど……今は!今はもう人と生きていける!もうそう簡単に竜に戻ったりしないし、俺以外の人間とも仲良くやれてるんだ!だから……だから……!

だから……?
だから、どうする……?
たまたま出会っただけの俺に……少女を引き留める権利があるのか……?

……そうですか

ヒイラギはそう言うと、少し目を閉じて考えるとまた目を開いた。
トカゲのような瞳が俺を見る。

もう少しだけ時間をあげましょう。その間に、二人で考えてください。ここに残るべきか、帰るべきか……考えなさい。私はここでお待ちしてます

その夜。
珍しくと言ってはなんだが、今日の夕食は少女にはラーメンとハンバーグを作ってやった。
少女の、好物だ。

……イタ、だきま、ス

おう

少女はラーメンを啜り、それからハンバーグを箸で掴んで齧りつく、
いつも通りの食べ方だ。
だが、その顔はまったく嬉しそうじゃない。
そりゃそうか……いきなりお母さんがやってきて一緒に帰れと言われたらな……

……やっぱり、帰りたくない……のか?

……ウン

だよな……

お前、トハ、ずっと一緒が、イイ……ズット、ずっと一緒に……

……俺はな、最初お前を助けた時、いつか仲間のところに帰してやらなきゃなって思ってたんだ

ソ、なのか……?

ああ……でもな、お前と暮らしている内に……お前の事を知っていって……いつの間にか……変わったんだ。なんていうか、家族?みたいな認識ができちまってさ……いなくなってほしくないんだ

ソカ……私も、同ジ?……よく、ワカラ、ないけど……

少女はそう言って、大口を開けてラーメンを一気に飲み干すと、頬を赤めらせた。
くっ……なんだこの空気は……

グググ……私、オ前、家族……ググ……!嬉シイ、な……イヤ、恥かし、イ……?ググ……

は、恥ずかしいのはこっちだ!
なんだこの空気?!
おかしい!
帰るか、帰らないかの話をしようとしていた筈なのになんでこんな話してんだ?!
あれ?
もしかして俺……告白みたいな事……言ったのか……?
全然無自覚だったがそれってつまり……

こいつの事が……好き……?

え?

あっ

しまったああああああああああああああああ!!!!!
ついうっかり口に出しちまったあああああああああああ!!!!!
何これ?!
俺、どうしちまったんだ?!

あっ……ウゥ……ソ、そ、そん、ナ……ス、す、す、ススッ、すっ、好……き……ダッ、だ、ダナン、て……ぁ……あうぅぁぁ…………

やめてえええええええええ!!!!!
そんな表情するなああああああ!!!!!
こっちはもう、恥ずかしすぎる!

グッ、ググッ……グググググッ!

なぜ笑う?!

お、オカ、しい……ナ。ハ、恥ずか、シィ、筈なのに、嬉シ、い……ポカポカ?するし、トッテ、も、カユイ……

少女は両手で顔を覆うと、髪の毛を掻き乱し、今度は体中を掻き始めた。
その口はすっかり頬まで開けて笑っている。
その割には恥ずかしいそうに、キュウゥゥ……なんて声を出していた。
な、なんか、こっちまで痒くなってきたぞ?!

キュウゥゥゥ………………

頭から湯気でも湧きそうなぐらいに顔を真っ赤にして、少女は停止した。

わ、悪い!ごめん!すまん!へ、変な事言って……

ゼ、全然!だい、ジョブ……!変、ジャナイ、から!私……もす、好ク?あ、違ウ、す、好き?ダカ、ら……好キ…………

両手の人差指をツンツンと小突かせながら呟くように言った少女は、照れ隠しなのか、慌てて残りのハンバーグを口に放り込み、凄い勢いで噛んで呑み込んだ。

う、ウマ……ウマ……ウン

……

……

……

……

きっ、気まずい!
ど、どうする?!
もう帰る帰らないの話をする空気じゃねえぞ?!
いやこれもう帰る気ないよな?!

ウム、帰る気、ナイ、な

だから心を読むな!

グググ……

あっはは……

こ、コレ、から、ウッ……そ、その……エト……初夜?ナノ、か?

ブッ!

ワッ!ど、ドシタ、のだ?!

ゲホッ……どこで覚えたそんな言葉!?

て、店長が……フーフ、なったら、スルッテ……!

何、中途半端な情報を吹き込んでんだ、あの人!

アノ……なに、カ、私違った、カ?

ああ……他に店長に教え込まれた知識は何かあるか……?

ムゥー……ダーナ様、と呼ぶ、トカ、朝は下着、デ、上に乗る、トカ……

もう一度言う、なんでそんな事吹き込んでんだあの人は!?

こいつが何も知らない事をいいことに、中途半端な知識を吹き込みやがったな!?
というか下着で上に乗るとか何なの?!
くっそぉ……どうすりゃいいんだ……ってあれ?
あいつなんで、立ち上がって……

ツべ、こべ、ユーナ。間違って、タラ、ごめん。デモ、安心しろ。少シ、痛い、ダケダ

のわっ!

こいつ本当に理解してるのか?!
やばい!
というか、重っ……!
こんなに重かったっけ?こいつ?!
うわっ……涎たらしる!
何、その手!
指をそんな風に動かすな!
それも店長が吹き込んだのか?!

ちょっ、まっ、待て!落ち着け!

ダイジョブ、任せ、ロ

任せられないから言ってんだろおい!?

黙れ

アバッ!

ぶん殴られた。
それDVだかんな?!

ググ……デハ、では……

顔が近付いて来る。
薄開きの口からだらしなく涎が垂れて、俺の頬に落ちる。
待て待て待て待て待て待て待て!
お願い神様!助けて!
押し退けようとしても、びくもしねえ。
どうなってんだ、いつもなら簡単にどけられるのに!
頬に手が……!

あー……

舐められた。
ザラリとした感覚とぬるりとした感覚が同時に頬を伝った。
……あれ?
キスじゃないの?
ま、まあ……こいつにとっては舐めるのが愛情表現だと言うし……あれ、でも舐め過ぎじゃね?
ちょっと痛い。

あの……痛いです……

ソカ、それは、イイ……

少女は頬まで裂ける口を開けた。
無数の鋭そうな歯が覗く。
あっれぇ、なんかこれいつもの……

いた、ダキ、ます

少女の牙が首筋に、突き立てられた。
ズブリと一気に突き刺さる。
ドクッと血が溢れ出た。

い゛っ゛……!

少しずつ痛みが薄れていく。
その度にガブガブと噛み直して、新しく痛みを作っていく。
あれ……これ、ただの喰事じゃ……

ウマ……ウマ……

くそっ……どうなってんだ……
こいつやっぱ、理解してないだろ……

え?!今日バイト休むの?!

受話器の向こうで、店長が素っ頓狂な声を上げた。

はい、突然すみません……

あぁ……まぁ……店はバイトちゃんと私で回せるし……いつも来てくれてるしね……しっかり休みな~

はい、ありがとうございます

ん?あ、ちょっと待って。バイトちゃんが代わりたいって

……代わりました

あ、先輩……おはようございます。すみません、突然休んで……

それはどうでもいいわ

は、はい

……

……あの、先輩……?

先輩は少しの間何も言わなかった。
その無言が、俺の何かを見透かしているようで……少し怖かった。

……リューちゃん元気?

え?ま、まぁ元気……ですけど

そう、良かった……あの子、少し心配だから……

そ、そうですか。まあ、昨日も元気にハンバーグとラーメン食ってましたし、今もパン食べてますよ

現に、後ろでは少女が座って食パン一片丸ごとに齧りついている。
ん……?丸ごと?

うおい!俺の分は?!

す、スマヌ……

どうすんだ俺の朝飯!

ふふっ……楽しそうね

先輩は

またお店に来てねって伝えて

と言って、店長に代わった。
結局、それを言いたかっただけなのか……?

後輩くん、バイト辞めるならちゃんと会って挨拶してきなよ

いや辞めませんけど?!ただ今日は休むってだけです!

あはは、わかってるよ。あんたがいるとほんと楽しいからさ……んじゃね

あ、はい……失礼します……

電話を置いた俺はとうとう食パン一片を丸ごと食べ尽くした少女を見た。
少女は俺の目を見ると小さく頷いた。

……仕方ねえ、行くか

……ワカッ、た

さて……今日はこいつの母さんに俺達の答えを言う事になるが、はたして穏便に済むかどうか……
まあ、行けばわかる。

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