久しぶりに乗った、この時間の電車。

前から二つ目の車両の一番前のドアの前に立つ。
 
そして、あの三分が訪れた。
 
向かいの車両の、その場所に、彼女はいた。いてくれた。
 
僕を見つけた彼女は、目を丸くして、それから慌てて鞄からボードを取り出した。

あえてよかったです

うん、俺も

僕も鞄を開けて、そこからあるものを取り出す。

買ったんですか?

僕が取り出したのは、彼女の持っているのと同じボード。

実は、彼女に謝りたかったときに買っていて、今までしまい込んでいた物だった。

もう暖かくなって、電車のガラスには書けなくなったからね

わざわざ? ノートでよかったのに?

あのときのお返し、とばかりに責め立てる彼女に苦笑いを浮かべる。

そういうきみも、ずっと持ってたんだ?

わざわざ、買ったものですから

澄まし顔を作る彼女に、思わず僕の頬が緩む。

受験どうだった?

彼女は、笑顔でうなずいて、OKサインを見せた。

おめでとう

ありがとうございます

それから僕たちは、しばらく何でもない会話をした。

だんだん暖かくなってきたね、とか、花粉がつらくなります、とか。

本当は聞きたいことも、言いたいこともいっぱいあったんだけど、いざ彼女を目の前にすると、何を聞けばいいのか、言えばいいのかわからなくなって、むしろ、彼女ともう一度会えたことで満足してしまっている自分がいて。

まもなく電車が発車するアナウンスが流れた。

それじゃあ

うん、また

そう書いた僕に、困ったように笑う彼女を見て、その瞬間僕は気づいた。
卒業する彼女は、もう通学にこの電車は使わないのだと。

また、はないんだ。今日が最後なんだ

ドアが閉まりが電車が動き出す。

バイバイ

 彼女が手を振った。 
 

このままじゃダメだ。まだ僕は何も伝えていない。このままさよならなんて、絶対に嫌だ。だけど、時間がない。ああ、くそ何を伝えれば——

好きだ

僕はボードにでかでかと書き殴ったその言葉を、動き出した電車ドアに押しつけ、彼女に見せた。

彼女はその文字を見て、驚いたようなあきれたような、よくわからない顔をして——電車が遠ざかり、それ以上のことはわからなかった。

どこの高校に行くのか、彼とはどうなったのか、とか聞きたいことはたくさんあったけど、なんにも聞けなかった。

自分の気持ちを一方的に伝えただけで、答えさえもらえない。
 

それが僕と彼女の別れだった。

四月。

学校が始まって、僕はいつものようにちょっと早めの電車に乗る。

そして訪れた三分間の停車時間、そこに彼女の姿はない。

わかっていたことだけど、少しばかり落ち込む。

やっぱり高校とか連絡先をきいておけばよかった……

そんなことを考えて、ドアに右肩をあずけ、視線を窓から外す。
そのとき。

ひらり、と僕の足下に何かが落ちた。拾い上げてみると、それは通学定期。

そういえば、彼女と話すきっかけも、定期を落としたことを教えたことだっけ。

そんなことを考えながら、落とし主に教えようと顔を上げて、

定期、落としました……よ?

思わず声が漏れた。そこに立っていた人は、後ろ姿だったけど、僕には誰だかわかって。

けど、もう会うことはないと思っていた人で。

ありがとうございます

振り返った彼女は、落ち着いた顔で定期を受け取る。

な、なんで、君がここに……?

戸惑う僕の声に彼女は、定期を示す。定期書かれた行き先は、僕の行き先と同じで、彼女の着ている制服は、僕の学校の女子と同じで。

おはようございます

まさか。そりゃ、彼女の進学先を僕は聞いていなかったけど、そんなまさか——

戸惑う僕にいたずらっぽく彼女は笑った。

今日からよろしくお願いしますね、先輩

6.そうして僕たちを乗せた電車は動き出す

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