世の中には色んな名前がある。
 深い意味の名前から全く意味の無い名前。そんな名前の中で、俺の名前はかなりシンプルだ。背が低いからチビ。小学生のあだ名レベルだが、俺は自分の名前は嫌いじゃない。もう一人、俺と同レベルのヤツがいる。そいつは自分の名前が嫌いで良く偽名を使う。
 今回の事件ではアーサーという大層な名前を使っているが、本当の名前は…。

チビ…それほど私に怒られたいのですか?

 首根っこを掴まれて持ち上げられた俺は、勢い良く首を横に振る。

と…とんでもないっ!

それでしたら黙っていてくださいね

 ノ…じゃなくてアーサーはそう言うと、ゆっくり俺を下ろした。
 はあ、怖かった。寿命が確実に一年は縮んだよ。
 ま、まあ、そんなわけで、今回の仕事はアーサーという名前でやり通す事となった。これが原因で面倒事にならなきゃいいけどさ。。

 トウキョウの夏は最悪だ。わざわざ俺が力説する必要なんてないけど、心の底から思う。特に夜。汗ばんだ肌に生暖かい風が纏わりついて、不快指数は軽く沸点を超える。

それでも、今夜の俺は機嫌が良い。不快指数はゼロ! なにせ目の前にはカワイ子ちゃんが座っているからだ!

 彼女は俺達の部屋の中央に座らされ、潤んだ大きな瞳で俺の事をじっと見つめている。涙に濡れたティッシュを固く握り締め、ちょっと濃い目の唇が喋るたびに小刻みに震えていた

サキもねぇ~超ヤバイって思ったのぉ。そんでぇ~やめようって言ったんだけどぉ、ケイ君がやめてくれなくてぇ

 自称・現役女子高生サキちゃんは、甘い声でずっと弁明している。俺としてはもう許しちゃっていいと思うんだけど…。

まあ、サキちゃんも悪い男に引っかかったんだねぇ

そうなの~サキって男運が超悪くてぇ

 そう言って、ティッシュで目元を押さえるサキちゃん。俺はサキちゃんの細い肩を抱いてあげようと近づくが、

いい加減にしなさい!

 鋭い叱咤が飛ぶ。俺は伸ばしかけた手を引っ込め、サキちゃんは大きな瞳を半月にして声の主を睨む。
 声の主は玄関口を塞ぐ様に立っている長身の男。ノッポって名前の俺の相棒だ。さすがに長い黒髪は暑いようで、今は結い上げている。野郎の髪なんてどうでもいいことだけど、見ていて暑い。今度切るように勧めよう。
 ノッポはイライラした様子で俺の横に立つ。白く長い指は固く握り締められている。一見すると繊細な女の手のようだが、こうやって力めば、筋張った男の手だ。俺も仕事柄、なかなか荒らしい手をしているが、やはりノッポには負ける。歳の差か生まれつきかはわからない。

君は自分がやったことの重さを理解しているのかい?

もちろんわかってるわよぉ。お金を取ろうとしたのはぁ悪かったと思ってるわよぉ

言葉が抜けてますね。男と共謀して脅迫して! お金を取ろうとしたのでしょう?

…超ムカツク男ぉ

 サキちゃんは小さく呟いたが、ノッポにはバッチリ聞こえていたらしく、薄い唇の端をきゅっと上げる。

人の秘密をネタにお金を取ることがどれほど危険なのか、本当によくわかっていないようですね

 ノッポはゆっくりサキちゃんに手を伸ばす。

ちょ、ちょっと、乱暴する気ぃ~?

 サキちゃんも危険を感じたらしい。怯えて後ずさる。俺は慌ててノッポとサキちゃんの間に割ってはいる。

お、落ちつけよ! それよりも男の正体を聞かなきゃいけないだろ?

 ノッポは渋々手を引っ込めた。俺はホッとしたが、

ええ~ケンちゃんが何者なんかなんて知るわけないじゃぁん

 サキちゃんの言葉にノッポの目が据わる。俺は有無も言わさず退かされた。

サキちゃんでしたっけ? どうして何にも知らない男と犯罪行為をしたの? おかしいでしょう?

だってぇ~超いい男だったしぃお金をいっぱいくれるって言うからぁ

 ノッポはこめかみを片手で押さえる。片頭痛がしているらしい。

それにぃ、もしヤバイことになっても、サキは可愛いから大丈夫だってぇ~言うからぁ

確かに君なら許す人間が多いだろうね

 サキちゃんはさっきまでの怯えを忘れたらしい。ノッポに甘い笑みを向ける。ノッポもニコリと微笑んでいるが違う。

目がヤバすぎ……

しかし、全てが普通の人間とは限らない。中には少し変わったモノが混じった人間もいるんですよ

 サキちゃんはまだ異変に気づかない。俺は止めに入ろうと思ったけど止めた。別に殺しはしないだろうから。サキちゃんは可愛いけど、自分が一番可愛い。
 髪留めを外し、長い黒髪がノッポの横顔を覆い顔が見えない。俺はラジカセのスイッチを入れ、音量を上げた。

 少女の悲鳴はラジカセから流れる流行の曲に呑まれていった。

 そもそも事の発端は、ノッポがアーサーなんて偽名を使うから悪い。正直者で頭の悪い俺は、いつもの癖でうっかりノッポって呼んじまった。やっちまったと思ったときにはもう遅い。俺達の顔を知らないで名前だけが頼りだった依頼人は、思いっきり不信感を募らせて本物の証拠を見せろと騒ぎ出し、挙句の果てに、ノッポは渋々現した本当の姿を三流雑誌記者に隠し撮りされてしまったのだ。自業自得ってやつだ。

 結局、脅迫状が届き、それを元に捜索したノッポにサキちゃんが捕まり、隠し撮りした『ケン君』も捕まり写真は抹消された。
 その事件から数日後、ふいにノッポが訊く。

私の本来の姿はそんなに恐ろしいでしょうか?

サキちゃんに言われた事が、意外と傷ついてんのか?

 俺は首を傾げて、正直に答える。

さあ? 俺にとっては名前が変わろうと姿が変わろうとノッポだからな。あんまり深く考えたことないや

 ノッポは何故か大きな溜息を吐き、少し笑った。

……まあ、気にしたらきりがないってことですね


       

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