青い空を見上げながら、私は先輩へ不安を打ち明ける。

天音先輩は、悪夢にうなされることって、ありますか?

あるわねぇ

 先輩が優しい声音で、隣を歩む私に答えてくれる。

例えば、どんな?

言葉にはしづらいけれど……試合に出たり、勝ったりするたびに、利き手や視界がどんどんふさがれていく、とかかな

 先輩の語る夢の内容は、私にも恐ろしく感じられた。
 まだ試合にも出れない程度の腕前だけれど、そうなっては竹刀をどこにふるえばいいか、わからなくなってしまうだろう。

見られるんですね、そういう夢

そうねぇ、ちょっと将来のことを考えたり……とかも、あるのかな?

 武道をたしなむ先輩は、日々の練習でひきしまった身体をしている。
 でも、そのスマートな身体つきと調和するように、浮かべているのは優しい笑顔。
 見るものを惹きつける華やかさから、先輩を嫌いな人はほぼいない。
 言うなれば、ゲームのヒロインのような人だった。
 正直、私なんかと比べて、将来への不安なんてないんじゃないかと想ってもいたけれど。

天音先輩も、悩まれているんですね

あはは、当たり前じゃない。それで……あなたの夢も、そういった感じ?

ええと……

 少なくとも、進路や環境での悩み事は、私にはまだ現実感がなかった。
 代わりにあったのは、最近よく見る、不思議な夢のことだった。

そういう夢じゃなくてですね……

じゃあ、どういう?

 先輩の何気ない問いかけに、私は何度か口を開けて。

……

 また閉じて。
 そして、最後には。

いえ、いいんです。なんでもない、忘れちゃいました

 想いきり、ふりきったように笑って、先輩へ謝った。

そう? ……でも、困ったことがあったら、相談してね

 先輩の気遣いに、柔らかくうなずいて。

 ――昨日の夢で見た、先輩の冷たい顔を忘れようとした。

 その後、先輩とは昇降口前の階段で分かれた。
 私たち下級生のクラスは、どちらかといえば低い階にある。
 先輩は大変だと、いつも背中を見ながら想う。
 私たちが通う学舎(まなびや)の大きさは、街の一角を占めるほどに巨大なものだ。一部は一般人にも開放され、街の一部といっても過言ではないかもしれない。
 理由としては、少子化が進んだ影響だとか、土地の有効活用だとか、いろいろな理由はあるようだけれど。

……今日、移動教室あったなぁ……

 わずかな休憩時間での移動にため息がでるほどの広さであることが、私のとりあえずの問題だった。
 そうは想っても、動かなければ始まらない。
 自分の教室へと足を向けることにして、しばし歩く。

でねでね、あそこであんな展開になるなんて想わなくて……!

はぁぁぁ……憂鬱だわ……

嘘でしょ、そんなの聞いてないよー!

 見慣れた同級生の顔が多くなってきた頃合いで、私は自分の教室の表札を見つける。

 廊下で挨拶をかわしながら、扉を開けて教室の中へ入ると。

おはよう、鈴音

おはよう、絵里ちゃん

 人なつっこい笑みで声をかけられる。
 話しかけてくれたのは、絵里ちゃんという仲のよい友達だった。

聞いて聞いて、実は昨日さ――

 絵里ちゃんはいつものように、授業前のとりとめのない談笑を始める。
 彼女の話題は、昨日のテレビ、ウェブでの速報、ファッション雑誌の流行、そして周囲の恋事情など――いわゆる、今風の女の子の情報をとりいれるのがとても早い。
 ちょっと変わってると言われることが多い私にとって、彼女の話題は新鮮な驚きがあって、聞いていて飽きない。
 いつもどおりの、たわいのない、けれど楽しい時間。
 ――そのまま、予鈴が鳴るまで、いつもどおりの時間を過ごせばよかったのかもしれないけれど。

ねえ、あの、絵里ちゃん――

 けれど、ふと。
 私は、先輩にした質問を、彼女にもしてしまった。

絵里ちゃんは、夢を見る? それも、悪い夢

悪夢? そりゃあ、見るよ

例えば、どんな夢?

片思いの相手に断られる夢とか、片思いの相手と好きな子があるいている夢とか……!

そ、それって、本当の話じゃないよね……?

あれは夢よ、そうに違いない! わたしの視界は絶賛、悪夢にとりつかれちゅうなのよ!

 絵里ちゃんの、なかば半泣きに近い話を、私は苦笑しながら聞いていた。
 ほがらかで話し上手の絵里ちゃんなのに、なぜか彼氏との縁は薄いらしい。
 しかし、それは悪夢とは言わない。説明ができるから。
 私が見ている夢は、もっと、日常に近い生々しさがあるのに――日常と呼ぶには、つらすぎる。

で、どんな悪夢なの?

うーん……それが、説明に困るというか……

 そう、説明したいのに、説明できない。だから、みんなに呆れられる理由もわかる。

 けれど、言えない。言えるだけの強さが、私にはなかった。

 ――親しいみんなを、破壊していく夢だなんて。

ご、ごめんね。たぶん、部活で疲れちゃってるだけだと想う

そう? なら、いいんだけどさ

 絵里ちゃんの顔を見て、私は考え直した。
 みんなを不安にさせる夢の話なんて、夢の中だけでいい。だからこそ、悪い夢と呼ばれるのだから。

うん、ありがとう――


 そう、彼女にお礼を言って。
 始業の鐘が鳴る、ほんのちょっと前。
 そんな、一瞬のことだった。

――!

 ////////////

 ―― Reboot...... ――

 ////////////

……ッ!?

 突然、頭の仲で光が何度も鳴った。
 本当に光ったのか、わからないくらい、現実感が一瞬だけ失われた。
 そして、嘘のように脳内のまたたきは引いてしまい、普段通りの景色が視界に戻ってくる。
 息を呑み、周囲を見回す。
 見知った、学園の風景を。
 各々の会話や部活などに熱中する、学友達の姿を。

……

……

……

 けれど、もうそこに、先ほどまでのような快活さはなかった。
 あるのは……場を空気を乱した者に対する、軽蔑のような眼差し。
 そして、彼らが向ける視線の先にあったのは――。

 私、だった。

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