数分後、迷宮を発った三人の姿は北校舎の一階にあった。
 ダグラスによって届けられたジャケットを抱えたリクシエルは、『献血センター』と書かれた扉をまじまじと見つめている。
 



ここが……献血センター!

俺らはふた月ぶりか、折角だし俺もやってくかな

おれも

それにしても意外と明るいね

どんな所想像してたんだよ

ロウソクと頭蓋骨がいっぱい並んで……
生贄の祭壇みたいな……

学内にそんなんあってたまるか

まあ過ごしやすい感じの所だぞ、あと受付の人が巨乳か美熟女の二択でさ

それは楽しみだね! 失礼しまーす!

 
 くだらない話で盛り上がりつつ扉を開けると、中には保健室に似た空間が広がっていた。
 内壁も棚も寝台も白っぽい配色で統一されており、清潔感がある。
 開いた窓から吹き込む春の風も相まって爽やかな光景だった。
 

 
 ……受付のデスクで頬杖をついていた男を除いては。
 

……おお、いらっしゃい。
まずはここへ座ってくれ……ひひ

失礼しました

 
 ユェヅィオが静かに扉を閉める。
 

ちょ、閉めちゃダメじゃん!
私これから入るんだから!

あ……うん、そうだったな、すんません

何だ、入ったり出たり忙しい奴らだな

すいません、とにかく献血しに来たんでサクッとお願いしたいです

良いだろう……あと、そこの青いの

俺っすか?

 
 受付の男が、リクシエルの後ろできょろきょろと何かを探していたユェヅィオを見て鼻で笑った。
 

いつもの受付嬢はどちらもいないぞ、今日は男だけだ

ハイ

残念だったな

はいすっっっげーーー残念ですね!!

あああーユェヅィオ君の心の傷が更に深く

それより献血するんじゃなかったのか献血

まあ何でもいいからまず生徒手帳を出してくれ、あと座れ

 
 三人は促されるままに生徒手帳を差し出した。ダグラスはいつも通り地べたに、残りは用意されていた椅子に座る。
 受付の男は手帳を見ながらいくつかの書類を取り出し、黙々と何かを書き込んでゆく。
 そして
 

ふむ


と呟いた後、リクシエルだけを呼びつけた。
 

君は初めてだな

はいっ

検査の結果が出ているんだが、君の血は輸血や飲料には使えんよ

えっ、じゃあ献血できないんですか?

できるさ。
これはいい薬になるぞ。
魔除けの類のな

へええ、そんな使い方もあるんだ

こいつを精製したら不死者に良く効く毒になるだろう

えっなんか物騒ですね

うっかり飲用になんぞした日には喉と胃が焼けてのたうち回る吸血鬼が出るぞ

危険物!!!!

 
 少なからずショックを受けている様子のリクシエルの肩を、残る二人がぽんと叩いた。
 

まあその、えーと、なんか事故る前にわかってよかったじゃん

レアだぞレア

とりあえず怪我したときはアルチェザーレ君には手当てさせないようにする……

ってそうだ、ユェヅィオ君あれ聞かないと!
本題!

そういやそうだったな!

 
 本来の目的を思い出し、揃って背筋を伸ばす。
 ユェヅィオの脳裏を愛しい妹と仮想の敵が通りすぎていった。
 

あの、ちょっと教えてほしいんすけど

何だね

飲用になる血ってどんな加工されてどんな風に売られるんすか?

特にこう……俺みたいな、殆どのやつと血の色が違う場合とか

ふむ、その辺りについてはそこに置いてある本を見てくれ……と言いたいところだが

 
 男が顎で指した先には、『セレストラ魔術学校献血センター なぜなにブック』というタイトルの冊子があった。
 順番を待ちながら読んだことがあったっけ、と思い出す。
 

色や味が独特なものの扱いについては書いていなかったかもしれないな

そういやそれ読んだことはある気がする……けど記憶にはないっすね

基本的に採った血は他の生徒のものと混ぜない。
飲用にする場合は、一回で採れるぶんに凝固や劣化を防ぐ薬液と水分を加えて増やす

ふむふむむ

購買に運ばれてからは許可証を持っている生徒にだけ販売するわけだが、
その際に生徒自身がどの瓶にするかを選ぶことはできないぞ

いわゆる変り種であることは教えられるが、どんな種族から採ったものかは明かされない

へぇー

ほー

……と云うところだ。謎は解けたか、少年

 
 男がにんまりと得意げな顔をする。
 ユェヅィオは大きく頷き、笑みを返した。憑き物が落ちたような朗らかな笑みを。
 

ばっちりっす、ありがとうございます!

それでは次、他の生徒の2.5倍血が採れると大人気な献血センターのアイドル

あ、はい

君そういう扱いだったの!?











 
 その後、問診を経て献血はつつがなく終わった。
 三人は部室もとい第三迷宮に戻るべく廊下を歩いていた。
 ユェヅィオの柔らかな脚がぺたぺたと床を踏むリズムは軽やかだ。
 

話聞きにいって良かったぜ、ありがとなー

礼を言われるようなことじゃあないさ!
私としても色々勉強になったしね

とにかく狙って買えるもんじゃなくて良かったわ

飲んでる最中の奴うっかり見かけちまったら反射的に締めちまうかもしらんけど

進歩したようで進歩してないなお前

ははは、やっぱり兄バカだねー!

そうそう、あとこれ

 
 リクシエルは貰ったばかりの布袋を差し出した。
 献血センターのマスコットキャラがスタンプされた、シンプルなつくりのものだ。
 

……なんで俺に?

ユェヅィオ君じゃなくて妹さんに。
仲直りのきっかけになるかもしれないよ

……お前ってやつは……!!

…………!!

 
 感極まったユェヅィオが、リクシエルのポケットに食券をねじ込む。
 特に関係のないはずのダグラスもそれに続いた。
 

……えへへー

 
 二倍に増えてしまった献血の謝礼品を撫でながら、少年は照れくさそうに微笑んだ。











 
 一方その頃、第三迷宮入り口では――
 

……人を齧ることはできる、けど

そっそうなのですか

ここにビーフジャーキーがある

合法

はい

こいつを食べながら、購買で買ってきた血液ドリンクを飲む

合法

はい

美味しいので満足

平和!

 
 居残りをしていたプルルカと、後からやってきたアルチェザーレが和やかに談笑していた。
 アルチェザーレが慌しくて昼飯を食べ損ねたからと、机の上でジャーキー入りの紙袋を開けていたことから食生活の話になり、今に至る。
 

それにしてもアルが吸血種登録してたなんて初めて聞きましたですよ、さっき話題になってたんですけどこんなに身近にいたなんて

僕は血より肉食べてるイメージのほうが強いだろうし……ところで、これ

 
 などとぼやきながら、ゾンビの少年は鞄から牛乳瓶に似た形の瓶を取り出した。
 その内容物に、プルルカが絶句する。
 

今日は変わったの入ってるよって言われて渡された。
色は凄いけど味は普段のものとそう変わらないって

 
 瓶の中で、紫色の液体がちゃぷんと揺れた。
 先ほど迷宮を出て行った、青い肌の学友の顔が脳裏に浮かぶ。そして何度か廊下ですれ違ったことがあるだけの、彼の妹と思しき少女の顔も。
 

そっそれはあのそれは

大丈夫、購買で売ってるものだから毒じゃあないはず

 
 プルルカが慌てる理由など知るよしもなく、アルチェザーレは瓶の蓋を開けてその中身をぐいと喉に流し込んだ。
 部室を出ていた三人が元気良く扉を開けたのは、その直後だった。
 

おかえり

あっあのおかえりなさいあばばばあわわわわ

ただ

あーーーー!!

 
 ユェヅィオの顔から表情が消えてゆくのを見て、プルルカが右往左往し始めた。
 何も知らずに紫の液体を飲むアルチェザーレのもとに、兄バカが静かに歩み寄る。
 相手が握っているそれは、先ほど採られたばかりの自分の血でないことは明らかだ。
 

……それ、は

これ?
ジュースじゃなくて実は

知ってる

そ、そう

あーーー

あーーーーー

 
 ユェヅィオは虚無を湛えたような眼で目の前の男を見つめ続ける。
 その気迫に、見つめられている当人も何かが起こっているのだとようやく実感した。

 話題を変えなければ、と思い舵を切る。
 

あっあの、さっき文芸部に行ってきた

文芸部

前から気になっていたから、掛け持ちで入部することにして

掛け持ち入部

ユェヅィオの妹がいて、お兄ちゃんをよろしくって言われた

 
 全力で舵を切った会話の船は、見事なまでの勢いで座礁した。
 

そうか……知ってるかあ……俺の妹を……

え、何、何その顔

何でもないさ……。
まあ飲めよ、それ、美味いか

事情を説明してよ

美味いっつっても不味いっつっても

俺はお前にヅェヅェカの民秘伝の足技をかけなければならない

事情を説明してよ!?

待て、そいつの細身じゃお前の足技には耐えられない……俺が受けよう

そうか!!
うおらぁああああーーーーーーーッ!!!

来いやああああああああああッ!!

だから事情を説明して!!
しろ!!

 
 行き場を求めて暴れる衝動を発散するために。そんな友に悪乗りするために。
 突然取っ組み合いを始めた軟体男と筋肉男を前にして、アルチェザーレはただ唖然とすることしかできず、リクシエルもまた、
 

まあ色々あったんだよ……

 
 と何かを悟ったようなことを告げることしかできなかった。

 プルルカは慌てすぎてつまづき、床に転がっていた。
 


つづく!
 






#07 迷宮のごとき血の絆(後編)

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