カンナに続き、遼にケガがなくてよかったと保健医が笑う。だが、遼は何がよかったのか検討もつかない。
カンナにケガをさせたのに、自分が一つも傷つかないのはどうかしている。みんなが擁護してくれることが我慢ならなかった。

体育は一時中断するかに思えたが、カンナと遼を抜いて授業は再開された。

カンナのケガは幸い大きなものではなく、軽い骨折で済んだ。
だが、だからと言って遼の胸が軽くなるわけではない。

大事を取って病院へ向かう保健医の車に遼も付き添い、カンナの治療を見届けた。動かさないように大きなギプスを取り付ける姿は痛々しい。
彼女は心配いらないからと笑うが、遼は隣に座って真剣な面持ちで、腫れている足が見えなくなるのを見ていた。

病室ではなく、相談室のような小さな部屋で治療を受ける。ドキドキと胸が鳴り、手はじっとりと汗ばむ。

そんなに怖い顔しないでよ。

小さな手が、遼の手を叩く。
ハッとして顔を上げると、いつもの笑顔のカンナ。

痛みもあるだろうに、普段と変わらない笑顔は遼を安心させる。
これがほかの女子だったとしたなら、痛さで他人のことなどお構いなしにわめきたてるかもしれない。
遼は健気なカンナの姿に俯くしかできない。

大丈夫だよ!
遼くんに元気がないと、私も変な気持ちになっちゃうよ。

でも……

私が大丈夫って言ってるんだから大丈夫なの!心配はなし!

ほらほら、と腕を掴んで揺らす。
遼は求められるがままに笑顔を送るが、上手くできた気はしない。
だが、カンナは嬉しそうに頬を緩める。

直視することはできずに、少し視線を外すと、彼女の足元に屈んでいた看護師が「終わったよ」と立ち上がる。
ガッチリと固められた足は動きにくそうで、重そうだ。
お礼を言うカンナに目礼して、看護師が部屋を出て行くと、入れ替わりで保健医が顔を出した。

どう?固定されてると安心するでしょ。

あ、先生。
ありがとうございました。

あー、動かないでいいからね。
親御さんが来るまで、この部屋で待たせてもらえることになったから。

そう、なんですね。

顔を曇らせるカンナ。遼は、あれ?と首を傾げた。

と、廊下からバタバタと騒がしい足音が響く。
先ほどの看護師のとめる声もむなしく、大きな声で名前を連呼する。
自分の名前を病院中にしらしめさられたカンナは、苦い表情で扉を睨む。

遼も同じように扉に顔を向けると、一度扉の前を足音が通り過ぎ、行き止まりだと知ると戻ってきた。
まずは隣の部屋を開け、次に遼たちのいる部屋の扉を開ける。

ガラリと引かれた扉の向こうに、細身の背の高い女性が立っていた。
薄く化粧を施されてはいるものの崩れ気味で、着の身着のまま飛び出してきたという格好だ。

「カンナ!」

悲痛に顔を歪め、カンナに駆け寄る。

あー……お母さん、大丈夫だよ。
そんなに酷くないから。

お母さん、と呼ばれた女性はカンナの足を厳重に縛るギプスにそろりと指を這わせる。
心底心配していたのだろう。表情からそれが手に取るようにわかる。

遼は彼女たちになんと声をかければいいのかわからず、カンナの隣から身を引いて背後から親子の姿を眺めた。
彼女の母親は苦笑いで応えるカンナの頬を撫で、今度は遼に鋭い視線が送られた。

唐突のことで遼は逃げ場を確保できず、近づいてくるカンナの母親と対する形になる。ベッドの上でカンナが母を呼ぶが、それに応える者はいない。

「貴方がケガをさせたの?」

冷ややかな瞳に、怖気づく。

「貴方がカンナにケガをさせたのかって訊いてるの!」

ちょ、ちょっと貴方……

お母さんやめて!

保健医に被せるように声がした。
掴みかかろうとするのを諌めるカンナに、現実に引き戻された母親は両手を無理やり下に引き下げた。
しかし、遼の口をついて出た言葉はカンナの努力を無駄にする。

俺が、やったんです。

遼くんやめて!

いいんだ望月。
俺がケガさせたのは、本当なんだから。

「やっぱり貴方が……」

憎しみの篭った念が遼を射抜く。
見かねた保健医が間に割り入ろうとしたところで、再び部屋の扉が開いた。
静かに入室してくるのは遼の母親だった。

瞬間的に静まり返る屋内。
誰も発言しようとしない中、一人が口を開く。

遼の母

……私の息子に何してるの?

ふらりと一歩を踏み出した彼女の後ろで、音もたてずに扉が閉まった。

遼の母

私の息子に何してるのって言ってるのよ!!

恥ずかしいことするのやめろよ!
悪いのは全部俺なんだ!

遼の母

貴方が悪いわけないわ!

保健医を押し切り、遼の母親はカンナの母親と対峙する。二人の間で剣呑な空気が滞る。

どうにかしてこの場を乗り切らねばならないと遼は頭を働かせようとするが上手くいかず、口をはぐはぐと動かして酸素を取り込むしかできない。
いつも、母親と話すことなどしてこなかったも同然なのだから。

拳を握り、遼は唇を強く引き結ぶ。

その後ろで、保健医がおそるおそる首を出す。

ここで大声を出すのはやめませんか。
一応、病院内ですので、ほかの患者さんの迷惑にもなります。

「あなた学校の先生なの?だったら、これは傷害罪になるんじゃないんですか?彼に罪をなすりつける気はありませんけど、カンナに後遺症でも残ったら……」

大丈夫だよ。軽い骨折だから。
歩けなくなるわけじゃないの。

立ち上がれないもどかしさを覚えつつ、カンナは上半身を宙に投げ出すようにして母親に訴える。
遼はまったく悪くないのだと。
誰が悪いわけでもないのだと。

しかし、彼女の言葉に耳を傾けるのは保健医と遼の二人のみ。肝心の親たちは、怒りと焦りと動揺に負け、自分以外の者の声など聞こえていない。

遼の母

遼が人を傷つけるわけないじゃない!
この大切な時期に……

そこまで聞いて、遼は顔を真っ赤にして母親を見た。

この人は、この大事な場面で何を言っているのだろう。
カンナの身の無事よりも、遼の、自分の息子の言葉よりも、いったい何が大切だと言うのだろうか。

遼は素早く身を翻してその場を逃げた。

加々見くん!

遼くん!

二人が名前を呼ぶのが聞こえる。
看護師から廊下は走らないようにと注意される前に、少しばかり足を緩めてみたが、ついに母親が「遼」と口にするのは聞こえなかった。

止められない言葉

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