表座敷にて、久成は見知らぬ顔の女と向き合っていた。

　女は年の頃十七、八というところだった。
　ぱっと目を引くのは赤い色をした双眸、緊張に強張る表情、美しく豊かな髪は束ね慣れていないと見えた。そしてその耳の隙間から、人のものではない尖った、ふさふさの耳が覗いていた。
　鮮やかな色の着物を着たその女は、二人きりでいる表座敷にきょろきょろと視線を彷徨わせていた。
　田舎の貧乏屋敷が珍しいのか、それとも住居そのものが珍しいのか、辺りを見回しながら時々、匂いを嗅いでいる。

　久成は嘆息する。
　明け方に叩き起こされたかと思えば奇妙なことになっていた。この女が妹と二人で暮らす家を訪ねてきたのだ。
　聞けば嫁入りに参ったのだと言う。急な話に困惑したが、それ以上に驚いていたのは妹の佐和子だった。一言も発さずにただただ目を瞠っていたので、湯を沸かすようにだけ告げ、久成は女を表座敷へと通した。

　そして向き合ったまま、ややしばらく黙っていた。
　どうしたものかと思う。

　やがて意を決して口を開けば、女は瞬きをした。
　あどけない表情に苦笑しつつ、久成は彼女に尋ねる。

　答えを聞けば、やはりこの女が普通の女ではないことがわかる。

　さも当然と言った口ぶりの女が、そこで小首を傾げた。こちらの顔色を窺うように続ける。

　是非にとまで言った覚えはなかったが、久成の方から誘いをかけたのは事実だ。
　もっとも、半ば戯れ事のような誘いだった。本当に嫁に来るとはよもや思いもしなかった。その上、女の言う通り随分と急いだ嫁入りとなった。昨日の今日で現れたのだから、さまざまな意味で驚かされる。手を借りたと言ったが、一体何者が手を貸したのか――想像もつかなかった。

　しかし一方で、久成はどこか泰然としていた。
　嫁に来いと言ったのは他でもない自分自身だ。それが現実になっただけのことだ。驚く必要もなく、むしろ願った通りと喜ぶべきなのだろう。

　唸る久成は、しげしげと女のいでたちを眺めやる。
　身にまとう着物はこうして見る限りは本物のように見えた。眼前の女自体がそうだ。顔も肌も髪も身体つきも本物のようで、紛い物とは思えなかった。唯一耳だけが人とは違っていたが、髪飾りだと思えば気にならない。

　この時初めて、女を女として捉えた。
　顔立ちは可愛らしいが、二十七の久成にとってはいささか若すぎた。身体つきもしなやかながらほっそりしていて色気に乏しい。若い娘らしく頼りなげな容貌をしていて、特に腰の細さと来たら抱き寄せただけで折れてしまいそうだ。
　もちろん贅沢を言うつもりもなく、それらの率直な感想は胸の内にしまい込む。

　本音はさておき、久成は女を誉めた。
　当の女は恥じ入るように頬を染める。夫となる男の目に照れているのかと思ったが、そうではないことがすぐに知れた。

　女は酷く恥じたそぶりで、上目遣いに見やる。言いにくそうにもう一つ添えてきた。

　驚きよりもむしろ呆れた。奇妙にも程がある。
　久成の表情から内心を察してか、たちまち女の顔が曇る。

　久成は一瞬、答えに詰まった。
　人ではない嫁との暮らしはどんなものだろう、皆目見当もつかない。
　だからと言って、こうして訪ねてきてくれた女を追い返す気もさらさらない。そこまで薄情でもないつもりだった。

　溜息まじりに言い返す。

　久成は強く念を押す。

　せつせつと説けば、女は迷わず、間髪入れずに顎を引いた。

　何とも健気な態度だ。
　久成は安堵しつつ、向き合う女の表情の硬さに、どうやら手厳しいことを言ったかと今更のような罪悪感を持つ。

　諸々の奇妙さはさておき、気立てのいい女のようだった。
　こちらの言うことを素直に聞き入れ、受け止めるそぶりは好ましい。そもそも戯れ事のような誘いを聞いて、こうして嫁に来るような女だ。世間知らずでもあるのだろうが、だからこそまずは婿として、慈しみをもって扱ってやらねば。そう思った。

　久成は生まれついての唐変木で、女の扱いには元来不慣れな男だった。それでも唐変木なりに、誉め言葉の一つもかけてみる。

　誉められたはずの女はきょとんとし、まとう着物を見下ろした。途端に長い髪が顔を覆い、慌てて手で直している。
　所作の一つ一つが初々しい。正体はさておき、眺めている分には可愛い女だった。

　屈託ない女の言葉を、久成はあまり深く考えぬようにと努めた。着物ごと化けるだの、奇妙さを突き詰めると訳がわからなくなる。
　ともあれ無知ではあるが愚鈍ではない女のようだ、それだけの認識でひとまずは十分だろう。女の奇妙さを呑み込めるようでなければ夫としても務まるまい。

　女はあどけなく語を継ぐ。面妖という言葉の意味を知っているかどうか、そこからして怪しい。

　それも知己とやらから教わったのだろうか。習いたての物言いで、すらすらと諳んじるように続けた。
　その後は何かを待ち侘びるように唇を結んだ。表情はやはり強張っており、先の言葉が暗誦されたものであっても、女に嫁入りを望む意思はあるらしいと読み取れた。

　久成は、奇妙な嫁が齎すという事柄にはさほど関心もなかった。
　気がかりは二つ。一つは、女が人里に慣れていないという事実。
　そしてもう一つは――。

　率直に述べた後、問い返した。

　いくらかは面映そうに女は答え、それから確かめるように続ける。

　女が訪ねてきた時、佐和子も女の顔を見ていた。この顔が明日には変わっているかもしれぬと聞けば、妹はどんな反応をするだろうか。

　女はたちまち明るく笑んだ。やはり他の家人については気になるものらしい。
　しかし久成はその時別の、大層重要な事柄に気づいた。あたふたと話を変えた。

　小首を傾げる女は、どう答えようか考えているそぶりに見えた。

　女の名を聞き、それを声に出してみたくなる。
　味わうような慎重さでぽつりと口にした。

　しみじみと思う。これほどに、この女に相応しい名もそうないだろう。
　誉められたとわかってか、初音は一層嬉しげに笑んだ。

　久成は居住まいを正して続けた。

　初音は深々と頭を垂れ、それからゆっくり面を上げた。すると長い髪がまた顔にかかり、慣れない手つきでそれを払おうとする。そんな姿を見た久成は懸命に笑いを噛み殺す。
　およそ模範的ではないが、そもそも人ですらないのだが、これはまたとびきり可愛らしい嫁を迎えるものだ。
　この時には既に、そう思っていた。

　囲炉裏で湯を沸かしていた佐和子は、久成が戻ってくるのを見るや、物問いたげな顔を向けてきた。

　その妹に久成は告げる。唐変木らしい単刀直入な物言いに、妹はみるみる眉根を寄せた。

　しかし久成は問いにも答えず、早口にまくし立てた。

　ぽかんと、佐和子の唇が開く。
　久成は自らの急きように気づき、込み上げてくる面映さを覚えた。緩む口元を引き締めつつ、妹に説明を添える。

　兄の問いかけに、妹はしばしの間困惑していたようだ。何を考えているのかわからぬ顔つきが、やがてふと和らぎ、腑に落ちた様子になる。花開くように微笑む。
　そして、改まって告げてくる。

　恐らくは兄の表情からおおよそを悟ったのだろう。一度笑むとそれ以降はもう、戸惑いも不安も見せなかった。