第5話

可南太

うるさいな。聞こえてるよ


 可南太が幽霊2号に怒鳴った。

 彼は苦笑いした。

申し訳ない。
周波数が不安定でね


 声に雑音が混じっている。

 可南太は首を突き出した。

可南太

あんた誰だ

そんなことはどうでもいい。
まず、聴け

磁性が……た……


 言葉が途切れ途切れになった。

……が……衝突……

……再組織……

このまま……


 そこから全く聞き取れなくなった。

可南太

このままでは何だ

…………
…………

可南太

おい

…………
…………


 幽霊2号は声なしにまくし立てている。

 可南太は床を蹴った。

可南太

聞こえないぞ、全然!


 その途端、彼は一瞬にして消え去ってしまった。

 ドアが開かれた。

 振り向くと母親がいた。

 不安そうに眉根を寄せていた。

母親

どうしたの? 平気?


 可南太は頷き、ベッドに戻った。

母親

話し声が聞こえたけど?

可南太

寝言だよ

可南太

声が大きすぎて自分でも目が覚めた

母親

ならいいけど……


 母親はためらいがちに部屋を出て行った。

 可南太は顎まで布団を引き寄せた。

 幽霊2号の言葉を寝るまで噛みしめた。

 磁性、衝突、再組織――。

桜田

僕、考えたんだよ


 朝、ふたりで廊下を歩いていた。

 桜田が嬉しそうに続けた。

桜田

君が好きなのは2組の△△なんじゃないかってね

可南太

いいや

桜田

じゃあ、1組の☆☆だね

可南太

違うな

桜田

なら本命だ。3組の※※

可南太

外れだ


 桜田は肩で息ついた。

桜田

ヒントをくれないかな?

桜田

イニシャルでいいからさ

可南太

イニシャルなんて、ほぼ答えだ

桜田

頼むよ、可南太

可南太

……


 可南太は歩みを速めた。

 後ろから桜田の声と足音が追ってくれる。

桜田

なあ、可南太ってば……可南太……


 可南太は振り返りながら怒鳴った。

可南太

しつこいぞ!

桜田

あ?

可南太

!?

桜田

何だお前

可南太

桜田……?


 外見も声色も似ても似つかない。

 だが今までそこにいたのは桜田のはずだ。

 だとしたら彼も桜田ではないのか。

 桜田らしき男子はポケットに手を入れ、
 肩をそびやかせた。

桜田

俺が桜田だったら何なんだ?

可南太

あ、いや……

桜田

気安く話しかけてくんなよな

桜田

誰だか知らねえけどよ


 と桜田は気だるそうに離れ去っていった。

 可南太は困惑した。

 隣のクラスの大知を訪ねた。

 桜田の彼女だ。

可南太

大知さん?

大知

はい?

可南太

今朝、桜田に会った?

大知

まだ会っていませんけど……何か?

可南太

いや……

大知

可南太さん大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?

大知

アンタ、誰? 響に告白しに来たの?

大知

よかったら保健室までご一緒しましょうか?

大知

響に話すんだったら私を通してからにしろよな

可南太

大知さん?


 大知はめくるめく喋り方と表情を変えた。

 まるで二つの人格が次々と交代しているかのようだった。

大知

どうしたんですか、可南太さん。そんな驚いた顔して

大知

響は私の友達だ。付き合いたいなら私を倒してからにしろ

可南太

…………

可南太

おい。からかうなって


 可南太は桜田の机に齧り付いた。

 桜田が首を傾げる。

桜田

何の話だい?

可南太

お前と大知さんだよ

桜田

僕らが何かしたかい?

可南太

冗談はよせ。怒るぞ

桜田

いや、何のことだか見当がつかないんだ

桜田

ったく、またかよ。しつけえな


 可南太は思わず飛びすさった。

桜田

だから誰なんだよ、お前は

桜田

僕の問題? それとも彼女の問題かい?

桜田

てめえのクラスに帰れ

桜田

僕は君ともいい友人であり続けたいんだよ

桜田

糞野郎

可南太

…………


 可南太はふらつきながら自分の席にたどりついた。

 教室のなかがちらついて見えるのは、
 気のせいではなかった。

 教壇に教師が立った。

 ひとりであり、ふたりだった。

 数学の男の教師であり、
 そして同時に、英語の女性の教師だった。

 ふたりは、
 かわるがわる現れては消え、消えては現れる。

数学教師

では授業を始める

英語教師

こないだの続きからね

数学教師

前回の演習問題の続きだ。
2012年信州大学前期から

英語教師

はい、じゃあプリント出して。Act3、Scene3ね

数学教師

『-r[5]≦x≦r[5]で定義される2つの関数……』

英語教師

ロミオと修道士ロレンスが会話しているところね

数学教師

『f(x)=r[|x|]+r[5-x^2]』、
『g(x)=r[|x|]-r[5-x^2]』……

英語教師

ロミオの台詞は簡単だから先生が読みます

数学教師

『関数f(x)とg(x)の増減を調べ,y=f(x)とy=g(x)のグラフの概形をかけ』……

英語教師

"There is no world without Verona walls... "

数学教師

『2つの曲線y=f(x),y=g(x)で囲まれた図形の面積を求めよ』……

英語教師

『世界などヴェローナの外にはありません』……

可南太

あ、あの……

数学教師

何だね

英語教師

なあに


 とふたりの教師がいちどきに反応した。

可南太

…………

 可南太は独り帰路を辿った。

 早退したのだ。

 街の景色も揺ら揺らしていた。

 建物が出現したり消滅したりした。

 でなければ佇まいがいきなり変わったりもした。

 とにかく街は混沌としていた。

 


 サイレンが鳴り渡った。



 火災を報せるアナウンスが続いた。


 可南太は或る十字路に差し掛かっていた。

 十字路の真ん中で可南太は立ちすくんだ。



 そこにはあの少女がいた。

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