第19話 微笑む者

日村の自宅

 村の中心付近にある日村の自宅。
 宝来雅史と月野姫星は応接間に通されて日村の説明を待っていた。応接間には対面式の応接セットがあり、日村が一人掛けに座って居る。二人掛けのソファーには、雅史と姫星、山形誠と伊藤力丸爺さんという組み合わせで、座って居た。
 そして日村の後ろには村人が十人程来ている。本当は祭りに来ていた村の全員が、来ると言っていたが日村が止めたのだ。
「恐らく村長の家に匿われていると思う。 僕が村長たちを引きつける。 その隙に美良を見つけるんだ」
 雅史は小さな声で、姫星に美良の探索を頼んだ。
「うん、分かった。 まさにぃも気を付けてね」
 姫星は頷きながらそっと答えた。
「実際に連れ出すのは僕がやるから無茶はしないでくれ」
 雅史は暴走気味な姫星の性格を心配していた。
「だーいじょぉーぶよぉー…… たぶん」
 クスクスと姫星が笑った。


 すると”ヴォォォ~~~ン”と狼のような遠吠えがまた聞こえた。それと共に机の上に在った湯呑みが震える。震えると言っても、湯呑みに入っているお茶に、僅かな水紋が丸く広がるだけだ。普段なら見過ごしているだろう。
 室内にいた誰もが、その兆候に気がついた。
 しかし、今は村長に真実を告白させるべく対峙している時だ。
「ウテマガミ様の観印かもしれんな……」
「お怒りのようじゃ」
「『神御神輿』も失敗してもうたしな……」
「どうするんじゃ」
 老人たちがそうヒソヒソと話をしていた。日村の家にやって来てから三十分近く経過してしまっている。
「そろそろ話して貰えないですかね?」
 村長は両手を握りあわせたまま、押し黙っている。その眉間に刻まれた深い皺が苦悩を物語っていた。
「あの娘は選ばれたんじゃ」
 不意に伊藤力丸爺さんが口を開いた。
「何にですか?」
 美良が日村の家に居るのは分かっている。しかし、相手が素直に逢わせないのも分かっていた。
「ウテマガミ様にじゃ」
 力丸爺さんは事も無げに言った。
「何、馬鹿な事言ってるんですか、単なる拉致・監禁でしょうがっ!」
 雅史は努めて冷静になろうとしていた。

「待ってください。 私たちは美良さんを拉致・監禁などしていないですよ?」
 日村が雅史を制するように手を広げて答えた。
「長老の力丸爺さんがある日突然、コケシ塚の蓋を開けろと言って来たんだ。 それで開けて見たら美良さんが居たんだよ」
 山形がコケシ塚で美良を見つけた経緯を説明した。先週の美良が行方不明になった日付あたりの出来事だったらしい。蓋を開けた時には美良は気を失っていたのだという。
「それで、開けても無駄だと言っていたのか……」
 当事者たちが自白した事で、姫星の推測が正しかった事が証明される。力丸爺さんが開けてみても誰も居ないと言った意味も正しかった。美良をすでに出した後だったからだ。
「見つけた後に村長の家で保護してると、彼女が自分から巫女になる事を言って来たんです」
 誠が話をつなげた。美良が言うには霧湧神社に勤めて、ウテマガミ様の巫女になるという事らしい。そう、お告げがあったんだそうだ。
「くっ…… なぜ、後だしで話を進めるんですか?」
 雅史が来た時には美良は居ないと言っていたのに、今度は自分から来たと言い出す。雅史は”何を話してるんだこの人たちは?”と思い始めた。
 よそ者の自分たちに”異様”に親切だった訳が分かった気がする。
 折角、手に入れたウテマガミ様の巫女を村人は返したくなかったのだ。村人の親切は自分たちを監視する為もあった。


「それなら、まず彼女の自宅に連絡を入れるなりするべきでしょう?」
 雅史は家族にすら連絡を入れない日村に腹が立ち始めた。
「いえ、私たちが知っていたのは、大学の名前と月野美良という名前だけなんですよ」
 初めて訪問した時に、事前に連絡していたのだそうだ。しかし、名前と大学以外は教えていなかったらしい。元より取材の為だったので、村としても気にしていなかったというのもある。
「住所や電話番号を教えてくれと言っても、彼女はニコニコしているだけで教えてくれなかったんです」
 美良は目が覚めてからは、普通に生活は送れているが、どうやら会話が上手くいかないらしい。
「バックの中に免許証とかあるはずですが……」
 雅史は尋ねた。
「年頃の娘さんのバックを探れと言うのですか?」
 日村は自嘲気味に笑いながら返事をしてきた。
「そ、それは…… 不味いですね……」
 女性のバッグの中は宇宙の深淵よりも深い。決して男が立入ってはならない領域だ。
「ですから、大学の方に手紙を出して、”ご家族と連絡を取りたい”と、仲介の依頼をしようとしている所に、宝来先生がお見えになったんです」
 今の学校は、個人情報の取り扱いに非常に慎重なっている。警察ですら中々信用して貰えないと言われている。その為に郵便を使って連絡を付けようとしていたみたいだ。
「電話すれば済む事ではないでしょうか?」
 今は、山奥の霧湧村ですら携帯電話が使える時代だ。美良が事前に大学名を言っているのなら、大学のHPなどで調べる事が可能だったはずだと雅史は言いたかった。

「片田舎の村の村長がいきなり大学に電話して、個人情報を教えろと言って教えてくれますか?」
 日村の言い分も的得ている。大学は女子学生の個人情報は第三者に漏らさない。
「…… んー、無理ですね」
 雅史は同意した。さすがに自分の大学の事は良く知っている。公的な書面でなければ応じないはずだった。
「それで宝来さんがお見えになったと、月野さんのお姉さんに言ったのですが”追い返せ”と仰ったんで……」
 郵便使って信用してもらえるかは不明だが、家族へ連絡はしてもらえると日村は考えていたらしい。
「…… 言うとおりにしたと?」
 雅史は、美良がどうして自分を追い返そうとしたのか理解に苦しんだ。
「…… はい」
 日村が頷いた。
”折角、巫女になってくれると言うのに逆らって心変わりされたら困るって事か……”
 村人たちも一緒になって騙す事に加わった理由もそこなのだろう。


 姫星は”何、説得されてるの?”というような顔付きで雅史を睨み始めた。
「どちらにしろ、彼女は一旦連れて帰ります」
 姫星の視線に気が付いた雅史は、美良を連れて帰る事を告げた。
「あ、あんたらは居なくなるから、気楽に言えるんだ」
 一緒に来ていた青年が言い出した。
「この村を出ていけない俺らには他に道なんか無いんだよ」
 もう一人の中年の男性も同意して言い出した。
「彼女が巫女をやりたいのなら、彼女の口から御両親を説得するべきなんですよ」
 雅史は美良が巫女をやる事に反対では無かった。ただ、何も相談せずに勝手に巫女になると決めた事には腹を立てている。
”ヴォォォ~~~ン”
 また、遠吠えが聞こえた。
「近づいている? いや、違うな…… 探しているのかっ!?」
「あんた達が来たからだろう、それからずぅっと変な事ばかり起こっている」
 部屋に居た村人が口々に言い出した。
「村の異変と僕らは無関係だ」
 雅史は話が妙な方向に行こうとしているので牽制の意味で言った。
「なんだと!」
 激昂した一番若そうな村人が顔を赤くして立ち上がった。
”まずい、村人を怒らせてしまったらしい”
 余裕の無い人たちだなと雅史は思った。
”こりゃ、拳での話し合いになるな……”
 などと、雅史が思った時に姫星が立ち上がった。
「ちょっと、お手洗いをお借りします」
 姫星はそういうと中座した。行き成りの行動で勢いを削がれた村人たちは落ち着き始めた。


”ヴォォォ~~~ン” 
 部屋が揺れ、振動で机に載せた湯飲み茶わんが床に落ちてしまった。雅史の置き方が悪かったらしい。
「ああ、すいません……」
 雅史は割れた茶碗の欠片を拾い机の上に置いた。その時、雅史は唐突に思い出した。
「欠片…… そうか、欠片だ!」
 神楽神輿の祭りの間に感じていた違和感の正体に気が付いたのだ。
「ああ、どこかで見た事があると思った。 彼女が取材から帰って大学に来た時に、陶器は何のゴミになるのかと聞いてきたんだ」
 雅史は事前に大学で見ていた。美良はコンビニのビニール袋から出して聞いてきたのだ。
「その時に見かけたのが、あの欠片だったんだ」
 誰に聞かせるわけでもないのにしゃべっていた。自分の記憶が繋がった殊に興奮しているようだ。
「美良は器とは知らずに拾っていたんだ」
 そして美良は神様に魅入られてしまったのだと雅史は確信した。


 日村にトイレは部屋を出て左手にあると言われた。しかし、姫星はそんな事には構わずに家の奥に行こうとした。
「お手洗いは反対側ですよ」
 ところが、日村家のお手伝いさんに行く手を阻まれてしまった。二階に行こうかと思ったが、階段の上にもお手伝いさんが居る。どうやら家の中を探られると不都合な事があるらしい。
 行動を制限されてしまった姫星は、仕方なしにトイレに行った。何気なく見たトイレの窓から、裏庭に不釣り合いな青いビニールシートが見える。”ピン”と来た姫星は、玄関からそっと抜け出して裏庭に周り。青いビニールシートをめくってみた。
「おねぇの車だ…… 買ってあげた刀人形がぶら下がっている」
 日村の家に居るのを確信した姫星は、きっと家の奥に居るのだろう目星を付けた。日村家のお手伝いが見張っていたのが証拠だ。後はどうやって、美良の元に行くかを考えるだけだ。


”ヴォォォ~~~ン”
 今度ははっきりと聞こえる。
「近付いてくる?!」
 誰もがそう思った。
 次の瞬間。凄い地鳴りがして村長の家が揺れた。大体二秒ぐらい続いて振動して急に静かになった。
「ウ、ウテマガミ様がお怒りだ……」
 室内に居た誰かが怯えたように声を出した。
「あ、あんたらが無理に連れて行こうとしているからだっ!」
 先程の若者が怒った口調で怒鳴っている。
 怪音は地面から聞こえて来ている感じだ。豪華客船の汽笛が鳴っているような感じで、時々音源が地面の中を移動しているかのようだ。
”地割れが起きるんじゃないか? この村全体の地面の下で、なにか地下水の流れが変わったとか、心霊現象より現実的に大変なことが起きるかもしれない”
 雅史は現実的にあり得る可能性を考え始める。
「兎に角。 彼女のご両親が心配しております。 一度、連れ帰らせていただきます」
 雅史は日村に宣言した。
「それは困ると言っているでは無いか!」
 村長の横には村の若い衆が何人か一緒に来ていた。その中の一人がいきり立っているのだ。
「彼女が巫女をやるということに反対してるのでは無いのですよ。 彼女がそうしたいと言うのであれば、僕は全面的に協力すると言っておきます」
 これは嘘では無い。雅史は美良が巫女をやるために、村に移住するというのであれば付いてくるつもりだった。
「判らない人だな……」
 先ほどの若い者が怨嗟を込めて呟いている。

「判らないのはそちらでしょう。 最初は村には居ないと言っていたのに、今は村に居て巫女にすると言っている。 自分たちの主張を通したいのなら、筋を通せと言ってるんですよ」
 雅史は正論で押し通すことにしていた。村人たちは雅史の正論に反論できないで居る。そこに長いお手洗いから戻ってきた姫星が合流した。
「おねぇの車を見つけた…… 裏手のビニールシートの下にあった。 車のキーはおねぇのセカンドバックの中に在る筈……」
 姫星が小声で雅史に告げた。雅史は頷き返した。
 後、不明なのは美良の居場所だけだ。雅史が居場所を聞き出そうと言いかけた時。
「私。 おねぇちゃんの処に行きます」
 姫星はいきなり立ち上がってそう言った。前触れも話の脈略にも関係無しにだ。室内に居た人は口をポカンと開けていた。
「おねぇちゃんの所に案内してください。 出来ないと言うのなら自分で行きます」
 姫星は自分の隣に居た日村の奥さんに、姉の所まで案内してくれるように頼んだ。
 日村の奥さんは困った顔をして日村を見返した。日村は仕方が無いと言う感じで頷く。
「こちらへどうぞ……」
 色々と不慣れな悪巧みはしているが、所詮は人の良い村人だ。姫星はすんなりと案内されていった。



 やはり、美良は日村の家に居たのだ。



 月野美良(つきのみら)は日村宅の奥の部屋に居た。そこは客間らしく広さは十畳はあろうかという洋間である。姫星が案内されて室内に入ると、美良は窓から外を見ている所だった。
「おねぇっ!」
 姫星は美良に向かって抗議するように叫んだ。姫星に気が付いた美良はニッコリと微笑んでいる。
「……」
 姫星は泣きながら美良の胸に飛び込んでいった。
「…… ずっと、ずっと心配してたんだよ……」
 いつもそうしてくれるように、美良は姫星の髪を優しく撫でてくれている。
 優しい姉は久々に会った妹の頭を撫でながらニコニコしていた。
「…… ? ……おねぇ? ……ちゃん??」
 姫星は美良の顔を覗き込んで小首を傾げた。何かが違うのだ。


 雅史は日村を追求したい気がしたが、今は堪える事にした。三人で無事に帰宅する事を最優先にしているのだ。犯人の追及は雅史の仕事では無いし、興味も無い事だった。
”ヴォォォ~~~ン”
 心なしか音の間隔が狭まっているような気がする。先程のような大きな揺れは無いが、小刻みな揺れならある。
 そして、怪音は日村の自宅を中心にぐるぐる回ってる様な気がしてきた。

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