第17話 神御神輿


霧湧神社周辺

 『神御神輿』は毎年の春先に行われ、その儀式を持って五穀豊穣を神様にお願い申し上げるものだ。日本各地に伝わる豊穣祈願で行われる祭りは数多くあり。それぞれの地方色を生かした物だ。この祭りもその一つでさほど珍しくも無い風習であろう。
 ただ、他と違うのは”神様を呼び寄せる”という方法であると思う。普通は神様はすでに居て、そこにお願いするなり、お礼するなりなのだが、この祭りは御神体に神様を呼び寄せるのだという。
 御神体と言っても河原に転がっている只の小石だ。石そのものには意味は無い。儀式を行い御神体として崇める事に意味があるらしい。その儀式を執り行うのが春の祭りなのだ。
 ”山岳信仰と土地神信仰がごっちゃに入り混じっている感じなのかな……”
 宝来雅史は祭りの詳細な手順を聞き、そう感じていた。きっと長い年月で変節して行ったのであろう。住んでいる人間の、入れ替わりの激しい土地などでは、そう云う事も良くある物だ。
 人は信じたい物を選ぶ習性がある、神様との距離が判らない以上は、信じたいやり方を考えるのは仕方が無いことだ。

 儀式の手順を簡単に言うと、最初は霧湧村に流れる我川の上流から、御神体となる小石を拾いあげる事から始まる。それを霧湧神社に伝わる欠片に載せて、神社境内で”神様を呼び寄せる”儀式を執り行う。これだけだ。
 儀式には神様が入る石を持つ「石勿(いしもち)」と、神輿を担ぐ「神楽勿(かぐらもち)」、道を清める「錫杖歩(しゃくじょうぶ)」の三組が必要だ。これは全て村の男衆が担う。
 「石勿(いしもち)」が、石を拾う儀式は村の一番若い者が行う。まず我川の上流で滝に打たれて禊ぎを行う。禊ぎを済ませたら、直ぐに目隠しをして、介添え人と共に河原に赴き小石を拾う。介添え人は目隠しをした「石勿(いしもち)」を手助けするのだ。
 これは、日が暮れて闇夜が訪れる寸前の時間帯。俗に逢魔が時(おうまがとき)に行われる。日中に活動していた神様が、住み家に帰る前に、川に沐浴の為に立ち寄っていると、考えられているためだ。
 河原で目隠しを外したら、最初に目に付いた小石を拾って懐に入れ、誰の眼にも触れないようにして、神輿に載せられ神社に持ち帰るのだ。もちろん、小石を拾う間、介添え人はそっぽを向いているのだそうだ。


 霧湧神社に向かう時には、道を清める「錫杖歩(しゃくじょうぶ)」が神輿を先導していく。
 ”リン” と鈴を鳴らし、神様の通過を知らせる。
 ”シャン” と錫杖(しゃくじょう)の頭部にある六個の遊環(ゆかん)を揺らして邪気を祓う。 
 ”トン” と錫杖で路面を叩き大地の穢れを祓う。
 そして、「錫杖歩(しゃくじょうぶ)」の男たちは一歩前に進み、それに合わせて神輿を担ぐ「神楽勿(かぐらもち)」も一歩進む。何ともゆっくりとしか進まないが儀式なのだが仕方が無い。
 その間は誰もが無言だ。言葉を喋ると神様に気付かれてしまい、あの世に連れていかれるのだと伝えられている。
 石を運ぶ『神御越し』の隊列は誰も見てはならない。河原から霧湧神社までの道は、人払いされており、村人たちは霧湧神社で待っていた。
 空には断片的に雲が浮かんでいる。そこに沈みつつある太陽が紅く照らしていた。
 無人の農道にはかがり火が炊かれており、神を運ぶ『神御神輿』の隊列を照らしている。その中を隊列はゆっくりと時を刻むように進んでいく。あぜ道にいる虫たちが、歌って隊列の行進を見送っていた。


 かなりの時間を使って『神御越し』の隊列は神社の境内に入ってきた。境内の中は要所に設置されたかがり火で照らされている。もはや時刻は真夜中に近い。
 境内に集まった村人たちは、皆示し合わせたように境内の外を向いていた。
「境内の中も見ては駄目なんですか?」
 いつの間にか隣に居た伊藤力丸爺さんに尋ねた。
「私たちも同じようにするんですか?」
 吉良も続けて聞いてみた。
「まあ、出来ればそうしたほうが良いのぉ でも、神様は気まぐれだで、ちょっとくらいなら気にはせんでも良いよ」
 宝来雅史と月野姫星もそれに習って外を向いていた。しかし、雅史は時々振り向いて儀式の進行を盗み見てい。民俗学者の本能がそうさせるのだ。
「隊列が境内に入ってしまえば振り返って見てももええよ」
 雅史の隣にいた力丸爺さんは話していた。


 霧湧神社境内の真ん中では、ふんどし姿になったの「石勿(いしもち)」が大地に寝そべっている。肝心の小石は、臍の辺りにある欠片の上に載せられていた。そして、「石勿(いしもち)」の周りには、火を灯した蝋燭が立っていた。時より吹く微風に蝋燭の明かりがゆらめいている。
 「石勿(いしもち)」を運んで来た「神楽勿(かぐらもち)」と「錫杖歩(しゃくじょうぶ)」は手に竹の棒を持って、ろうそくの周りに立っている。彼らもいつの間にかふんどし姿になっていた。
 やがて、村の男衆たちは竹の棒で地面を叩いて回り始める。
 竹の棒が地面を叩く音は聞こえてきている。そして、誰も合図しないにも関わらず、地面を叩く音は全員が揃っていた。
 一定の間隔で叩くのかと思ったが、そうでは無くて三歩歩いたら三回叩く、全員が一斉にクルリと逆向きになって一歩歩いたら一回叩く、また、逆向きなって四歩歩いたら四回叩くをなど、見た限りでは出鱈目に動いているように見える。
 普通なら何がしかの祝詞を唱えるなり、おまじないを唱和するなりやるモノなのに、その祭りでは終始無言で地面を叩いて回っていた。
 男衆のまわりで、祭りを見ている村人たちも、全員が無言で見ている。
 竹の棒で地面を叩く音と森から聞こえる虫の音だけが境内に響いていた。
 そして、地面を叩く儀式自体は物の十五分程で終了した。男衆全員が「石勿(いしもち)」に身体を向けた。
「 おっ! おっ! おっ!」
 男衆は竹の棒を空に向かって掲げた。薪がパチリと爆ぜる音が聞こえる。
「 えーー-いっ!」
 村の男衆が一斉に竹の棒を地面に突き立て、それに合わせる様に掛け声をかける。それが祭りの終了の合図のようだ。
 掛け声が終わると「石勿(いしもち)」を、取り囲んでいた男たちは静かに回りにどき、「石勿(いしもち)」の若衆が通れるだけの道を作った。
 円陣の真ん中に居た「石勿(いしもち)」は、臍の前に掲げていた小石を載せた欠片を、うやうやしく両手で頭の上に掲げて進み。そのまま神社の本殿の前に進み出て、神前に供えようとした。


”パキンッ”


 何か小さな音が境内に響いた。見ると、今しがた儀式を行ったばかりの小石が、割れて二つになってしまっている。
 一瞬、静まり返る境内。
「ああぁぁ……」
 境内に村人たちの嘆き声が響いた。そのざわめきが境内に広がってゆく。
「駄目なのか……」
「ウテマガミ様はお怒りのままじゃないか……」
「罰当たりどもは三人供持って行ったじゃないか……」
「略式では無理だったんじゃないか?」
「今年は不作になりそうだな……」
 村人たちが口々に言い合った。そして村長を始めとする、祭りを行った村人たちが深いため息を付いた。力丸爺さんに至っては目を瞑っている。何か思うところがあるのかもしれない。
 小石が割れたという事は、神様が降りて来てくれなかったという所だろうか。そうなら村人が嘆くのも分かる。
「不作って…… 吉兆を占う儀式だったのか?」
 雅史は村人たちが残した言葉が気になった。天然の石はそうそう割れる物では無い筈だ。そんな物で吉兆を占っても意味を成さない。
 それよりウテマガミは、土着の神様の事だったのでは無いのかと気になった。
「まあ、みんながっかりするな。 今回は間に合わせの略式でやったから駄目だったのに違いない」
 村長が皆を励ます様に言った。泥棒騒動から始まった怪音騒動や空き家の崩壊などで浮足立ってしまった霧湧村の人達。
 折角、皆のやる気を出させるために特例で行った儀式だ。それなのに結果が意気消沈させたのでは本末転倒だった。
「また次の新月に、正式なやり方で執り行おうじゃないか」
 村長は成功するまで執り行うつもりだ。


「…… 円周率だよね……」
 祭りを黙って見学していた姫星は唐突に言い出した。
「え? え? 何が??」
 雅史が聞き返した。雅史は男たちの仕草が、どうウテマガミを敬う事に為るのかを考えてたのだ。棒で地面を叩くのは、大地に残った穢れを祓うのだとしても、それを繰り返す意味が分からなかった。
「神御神輿の時に地面を叩くじゃないですか?」
 村の男たちがやっていた仕草をまねて、姫星は地面を叩く仕草を行った。
「ああ…… ? 」
 雅史が頷いた。まだ、姫星の言っている事がピンと来ないのだ。それに無言で黙々と地面を叩くさまは、ちょっと不気味だったのだ。
「その叩く回数が円周率なんですよ。 3141592653589793…… と、続いているの」
 姫星はスマフォで撮影した動画を再生しながら数えていた。
「あっ、円周率は学校で習いました…… そう言われてみればそうですね」
 誠が続けて言った。物心付いた時から、ずっと行っていたので、特に不思議には思っていなかったらしい。
「円周率ねぇ…… 無理数を数えさせる為なのかな……」
 姫星のヒントを受けて、雅史がある可能性を思いついた。


「無理数?」
 誠が聞き返して来た。日頃使う計算で無理数など聞いた事が無い。無理からぬことだ。
「はい、正解が出て来ない計算結果の事です。 無限に数が出て来るので無理数と呼ばれています」
 他にも平方根などが無理数であると説明した。
「なんで、無理数が関係するの? それに、どうして昔の人は円周率を知っていたの?」
 だが、姫星は無理数とウテマガミ様との関係が分からない。それより昔の人が円周率を知っていた事の方が驚きだった。農業にも狩猟にも円周率が関わり合いになるとは思えなかったからだ。
「ん? …… 普通、考え事をする時って立ち止まるじゃないですか?」
 雅史が二、三歩動き、腕を組んで片手を顎に当てて、考える人の振りをして止まった。
「そうですね……」
 誠がぼんやりと答えた。まだ、意味が繋がっていないようだ。
「あっ、神様が無理数を数えている時には、神様は他所に行けなくなっちゃうんだね」
 姫星が閃いた。
「つまり、その間は現在地に留まって豊穣の恵みを下さると…… あ、なんとなく判るかもしれないです」
 誠が手をぽんっと打つ真似をした。納得がいったようだ。雅史は姫星の模範的な答えにニッコリしながら頷いている。姫星は自分の閃きを誉めて貰えたようで嬉しかった。


 境内に掲げられている松明が”パチパチ”と爆ぜていた。村の男たちは、日村を中心にして今後どうするのかを話し合っているようだ。
「ん?」
 雅史は山が光るのを目撃していた。見ていられないほどの眩しさでは無く、蛍が仄かに光るような感じで、山全体がぼぅっと光ったのだ。
 しかし、光はすぐに闇に飲み込まれていった。雅史は周りを見たが、山を注視している者はいない。目撃したのは雅史ひとりのようだった。
「なんだったんだ? 今のは……」
 すぐに思いついたのは、地中のメタンガスが、空中に漏れ出てきて、それに火が付いた可能性だ。
 しかし、地中のメタンガスが、何らかの原因で火がついたとかならば、一か所だけが燃えるだけだ。山全体が光るほどに、燃えるというのは聞いたことが無い。火が付く前に匂いで気が付いて大騒動になっているはずだ。
”狐の送り火? あれもメタンガスとか、静電気によるプラズマ現象とか、言われているからな……”
 後は人為的に光で照らされたなどだが、それも違っているだろう。車のヘッドライトや、特殊なサーチライトは部分的に光る。山全体がぼぅっと光った感じに見えたからだ。
 雅史はそんな事を取り止めも無く考えていた。
 一方、姫星は祭りの片づけを黙ってみていた。
「あっ……」
 姫星は何かを見つけたようだ。山の様子を伺っている雅史の服の袖を盛んに引っ張ている。
「……どうしたの?」
 小声で隣に居る姫星に尋ねた。姫星は真っ直ぐに正面を見たままで、雅史に小声で言った。


 おねぇがいる…… 

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