うちには妖怪が住んでいる。

 なんてことを真顔で言うと、「ああ、こいつ……」って哀れむような顔をされるか、「ウハハ、真顔で言うなよ、ちょっと信じかけたし!」とちゃかされるか、「そういうのがいてもいいかもね」と、生暖かい目で見つめられるか、だいたいそんな反応が返ってくる。

 それでも僕はいう。うちには妖怪が住んでいる。

 はっきりいうが、妖怪はいる。この世界にしっかりと存在している。
 僕はいわゆる霊感ってやつが強いらしく、子どもの頃からそういうのが見えていた。だから、妖怪の存在というのは当たり前のもので、暮らしの中にある日常だ。

 そのために被った面倒ごとはもうどんな言葉で取り繕っても、いい訳が出来ないほどたくさんある。それを否定されるのは非常に腹立たしい。

 だから、僕は記すことにした。妖怪がいる日常というやつを、書き残すことにした。

 だから、これはあくまで僕の日常だ。

 たまに命がけだったりもするが、基本的に妖怪とのなんでもないようなことを綴った、それだけの話だ。
 脚色することも出来るのかもしれないが、起こったことをそのまま記す。
 その方が、妖怪の姿をより知ってもらえるだろうから。

 最後にもう一度言っておく。

妖怪は、いる

貧乏神の話

朝。

ミカ

おーい、朝飯出来たぞ

う〜、あと、五分

ミカ

ほら、とっとと起きろ! 冷めちまうだろうが

うがっ

 無理矢理毛布を剥がされ、ベッドから蹴り落とされた僕は、もぞもぞと床を這いながら、乱暴な手段で僕を起こした少女を恨みがましい目で見上げた。

ミカ

ほら、顔洗ってちゃっちゃと支度しな!

 ぐいっと顔を近づけてそう言う彼女は、顔だけなら美少女、と言ってもいいかもしれない。

 俺は視線を彼女の胸元へ向けた。そこには何の起伏もない。真っ平ら。平原の方がまだ起伏があるんじゃないかというぐらいの見事な平面のその胸。貧乳というか、もう無乳レベル。女っ気などかけらもない

……

ミカ

おい、ほら、ぼーっとしてねぇでさっさと……って、ばっ、おま、どこ見てんだ!

どこって……まな板?

ミカ

ま、ま、ま……!

ミカ

バカヤロー!

……

顔を真っ赤にして走り去った彼女は我が家のお隣に住んでいる幼馴染み——なんていうような存在ではない。

彼女は我が家に憑いている「貧乏神」だ。

ふぁあ

 朝は低血圧でいつもぼーっとしていて大体こんな感じである。ふらついたまま、あくびをかみ殺しつつ、居間へと向かう。
 
 そんな僕の足下に、居間の方から漂ってきたぶわっと黒い霧がまとわりついてきた。

うおっ

 黒い霧が僕の足をすくい上げ、危うく転びそうになるのをなんとか踏み堪えた。黒い霧を足でぱたぱたと払って、居間へと入る。

ミカ

……

 黒い霧は沈んだ顔した彼女の身体から発されていた。
 
 それに対して特に何かを思うことなく僕はこみ上げてきたあくびを、ふわ、とかみ殺した。まぁ、いつものことだ。

 

この霧は、ミカがヘコんだり落ち込んだときに現れる

 貧乏神というのは皆様ご存じの通り、憑いた家を貧乏にする妖怪である。他にも病気やら不幸やら、様々な面倒ごとを運び込んでくる非常に迷惑な神様である。

 そして、そんな貧乏神がヘコんだり、悲しんだりすると、運び込んでくるだけじゃなくて負を引き起こす。で、それが目に見える形となって現れたのがこの霧である

ミカ、どうした?

ミカ

お、お茶碗、落としちゃって……

落ち込んだミカは、普段の調子と打って変わってオドオドとした表情で僕を見る

ミカは非常によくドジを踏むが、これは彼女が貧乏神であるということとはまったく関係が無く、単に彼女自身がドジというだけだ

ほれ、ドジ、動くな。俺がやるから。あと泣くな

ミカ

だ、誰がドジだ! な、泣いてなんか……!

はいはいはいはい

 ごまかすように、ぐす、と鼻を鳴らすミカにいい加減に答えつつテーブルを片付ける。

 その間にミカは、ひっくり返した分の料理を台所へ行って盛りつけ直してきた。そしてテーブルの上に二人分の食事を並べる。黒い霧はもう霧散していた。

この家に今住んでいるのは僕とミカだけである。両親はすでに他界している……わけではない。両親は今は海外で暮らしている

 以前は一緒に暮らしていたが、貧乏神の憑くこの家で生活をしていたところ、自営業を営む両親の仕事がうまくいかず生活が非常に危うくなった。そこで、ミカの提案で両親とは別に暮らすことになった。

 なんでも貧乏神が憑くのは家あるいは人で、家族であっても違う家で離れて暮らしていればその影響を受けないらしい。

 当時まだ小学生だった僕や、ミカと離れて暮らすことに、最初は渋った両親だが、それでも生活がどうしようもないこととミカの強い説得に押されて、別々の暮らしをすることになった。 

 そして、別々に暮らすようになった両親の仕事は、あっという間に持ち直し、さらにあれよあれよという間に成長、拡大を続け今では世界規模の会社になって、二人は世界中を飛び回っている。

片付けを終え、食器を並べ終わった食卓に着く

はい、じゃあ、いただきます

ミカ

召し上がれ

メニューはご飯と、もやしのお味噌汁と漬け物、以上。実に質素である……貧乏だからしょうがないのだ

 親は非常に裕福で、その親から毎月十分な額の仕送りがされているのだが、僕とミカは相変わらず貧乏である。

 貧乏神の憑く家は貧乏でなくてはいけないらしく、たくさんの仕送りをしてもらって貧乏と言えないような金額を持っていると、なにかと災いが降りかかって使わなければいけなくなる。さらに、新品のものや高級品を買ったりすると、なぜかすぐに長年使い古したもののようになったり壊れてしまう。

 そのためこの家は、廊下はきしむし、テーブルは傷だらけだし、蛍光灯の明かりもなんとなくずっと暗い。雨漏りもするし、停電もしょっちゅう起こる。

 だから、食事もこういった質素なものばかりである。月に一回だけ、贅沢なご飯を食べることが許されていたりするが、それがなおさら貧乏っぽさを醸し出している。

 そんなこんなでミカは、迷惑をかけるだけじゃ悪いってんで、僕の身の回りの世話を焼いてくれているのだが、これがまたドジを繰り返してばかりだから、余計なことをしているような気がしないでもない。でも、料理の腕はなかなかよかったりもするからまぁ悪いばっかりでもない。

 ミカは僕が幼い頃から一緒に暮らしているため、もう家族みたいな存在である。いちいち面倒だとか迷惑だとかそんなことを思う次元はとっくに過ぎていた。

 今日の味噌汁も、僕の好みに味を合わせてくれてあって、さらに安くボリュームを出すためにもやしがいっぱい入っている。

ミカはきっといい奥さんになれるだろう。人間だったらの話だが

ミカ

……

などと考えながら食べていると、ふわりと薄い黒い霧がいつの間にか立ちこめていた

なんだろ、と思いながら漬け物に手を伸ばし、きゅうりのぬか漬けを食べる

ん……ぬか床、変えたのか?

ミカ

あ、ああ、その……ど、どうだ?

ん、うまいよ

新しいぬか床なのか、まだ味が馴染みきっておらず、塩分も若干濃いめだが、酸味の加減が僕好みだった

ミカ

そ、そうか。その、この間ダメにしちまって、新しいで色々と試してみたんだが……そうか、よかった

 ミカはほっとしたように息をついた。立ちこめていた霧がふわっと消えた。
 
 ぶっきらぼうで強気に見せているミカだが、その実とても繊細なのは言うまでもない

昔はこんなにぶっきらぼうでもなかったんだが……いつから変わったんだっけ?

ミカ

おかわりは、いらねえか?

ん、もらうよ

ミカ

ほらよ

 盛り付けてくれたご飯は、いつもよりも多目だった。

ごちそうさまでした

ミカ

おう、おそまつさま

 ご飯を食べ終え、支度を終えた僕は玄関へと向かう。そこではミカが僕の鞄と、作ってくれたお弁当を持って、待ってくれている。

 僕はこれから学校へ行くが、貧乏神であるミカは家でお留守番。家事をしてくれる。

いってきます

ミカ

はいよ、いってらっしゃい

さっきまでへこんでいたミカだが、もうすっかり立ち直ったようだ。まぁそれもいつものことである

 どんな時でも、必ず見送りをするミカに見送られて、僕は家を出た。

これが僕と貧乏神の朝の日常である

貧乏神の話

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