難しい。ただ、色が違う、というだけでは足りないような気がする。

海の青は、空の青よりも濃いものです。そして、どこか、暗い闇を、果てしないものをはらんでいるのです

怖いのう

 言葉とは裏腹に、姫様はどこか楽しそうに、宙を見つめている。

ええ。空に手は届きませんが、海には触れることができますからね

海は、深いそうじゃな

それはもう、果てがないほどに深い、らしいですよ。私もよくは知りません

なぜじゃ。潜ればよい

潜るのはあまり得意ではありません

ははは!

 大口を開けて笑ってくださる。天真爛漫なその姿に、今度は私が顔を背ける。

顔が笑っておるぞ

 くすくすと笑われ、私も笑うしかない。

誰に聞いたのじゃ

潜るのが得意な友人が、そういっていました。おそらく、果てはない、と

いいの。果てがない空に、果てのない海。

我々はとんでもないものに挟まれて生きておるのう

 姫様は、いつもにこにこと笑っているのに、たまにこうやって切なそうに笑う。それが、辛い。好きな人には、いつでも、心から楽しんで笑ってほしいのに。


 くしゅん、と姫様がくしゃみをした。窓が空いているせいだ。

失礼します

 私は立ちあがり、大きな窓を閉めた。

 窓を閉めただけで、風の音や鳥のさえずりが消え、箱の中にいるのだということを実感させられるほどの静かさが、私たちを包む。

いやじゃ、いやじゃ。窓を開けていることすら、ゆるされぬ

 ああ、と姫様は天を仰いだ。

海が見たい

 そのまま、目を閉じる。

 果てのない空との決別を、遠い海との断絶を、受け入れるかのように。

でも、見れない。どう頑張っても、ここから、出ることができない

 だから私が旅に出ている、とは言わない。それもまた、わかりきっている、要らない返事だ。

 私は黙ったままだ。姫様の言葉は終わっていない。

 その言葉の終着点がよく分からない。彼女はもう、外に出たいと駄々をこねる年齢をとうに過ぎている。

旅に出る方法は、書物と、そなたの話を聞く、それだけじゃ

 また、黙る。知っています、という返事は不要だ。

 姫様は、珍しくいいよどんでいた。

 だからの、つまりの、と。

書物での、読んだのじゃよ。新しい言葉を覚えたのじゃ

……どのような?

 訊くと、姫は頬を紅色に染めて、空に向かっていうのだ。

海のように広い心を持つそなたが、好きじゃ

 今度は私が頬を染める番だった。珍しい、まっすぐな、愛の言葉。

 姫様は立ち上がり、早足で歩み寄ってくる。
 私の前に座り、目を潤ませて、のぞき混んでくる。

海を知ることができたら、言おうと思っていた。果てのない海よりも深く、愛している

 白い手が、私の首にするりと巻き付く。

 口づけをする。返事はいらないだろうか。

 私も、海より深愛していると、伝えた方がいいのだろうか。

そなたは?

 悩んでいる間に、問われてしまった。

もちろん

 すべてを言うのは恥ずかしいと思っていると、姫様は不満そうに顔をしかめた。

皆まで言うのじゃ

……海よりも深く、愛しておりますよ

 満足そうに微笑んだ彼女は、泣いていた。

どうしたのです

 と驚くと、緊張のあまり泣いてしまったとのこと。


 その涙に口付けて、私はあ、と思い出した。

そういえば、海もこんな味がしますよ

どういう意味じゃ?

涙の味が

 姫様は私にもたれかかると、ゆっくりと首をかしげる。

……ますますわからんの

 やはりいつか見に行かなければなりませんね。
 その言葉を飲み込んで、私は彼女を強く抱き締める。

 







頬をつたう海の味 後編

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