海の話をすると、間髪いれずにそう問われた。
海! 海について知りたかったのじゃ。
海とはなんじゃ
海の話をすると、間髪いれずにそう問われた。
たくさん、水がある場所ですよ
と答えた。
姫様はふうん、と目を頭上に持っていく。
何かを想像しているときの癖だった。
水がたくさんあるということは、あの池よりも多いということか?
姫様はそう言って、自分の庭にある池を指差す。
あんなものではありませんね
私が笑うと、姫様は不満そうに眉根を寄せた。
何倍じゃ、あの池、いくつぶんじゃ
あの池が、いくつあっても足りないほど。
船を、何日こいでも、何日こいでも、景色が変わらないほどに、一面の、水ですよ
想像がうまうできないようだ。
それもそうだろう。
池がいくつあっても足りない、そんな規模の話を、彼女が想像できないのも無理はなかった。
何日こいでも景色が変わらない?
前に進んでいないのではないのか?
そこで、そうか、と思う。
海を知らない姫は、波も知らない。
波というものがあります。
波は、海にある、流れ。放っておくと、船は流れていくのですよ。
だから海では、前に進まないなんてことはないのです
時間のようじゃのう
素敵だ、と思った。素敵ですね、と言葉にするのはやめた。
まだまだだ、と思う。こういった、彼女の言葉を耳にするたびに。
自分は、やっぱりまだまだです
なんの話じゃ?
いえ
ふむ、まあよい。それで、波、波。
前に勝手に進んでしまう、それが波か
そうです
きれいなのか?
難しい質問だ。私は少しだけ考えて、結局そのままを伝える。
きれい、そして、こわい。
船をのみこむこともあれば、船を運んでくれもするんですよ
味方でも敵でもない。いや、味方でも敵でもある。まさに、自然じゃの。そして時間と、やっぱり一緒じゃ
姫様はそういって、静かに立ち上がった。
何かと思ったが、黙ってみている。長い長い着物をすいながら、姫様は部屋のすみに歩んでいった。
大きな窓を開ける。青すぎるほどの空が広がっている。姫様は、窓の外を見ているようだった。
私は、目を凝らしてやっと、彼女が何を見ていたかを理解する。
この間の台風で折れてしまった桜の木の枝だ。
姫様は手を伸ばす。届くはずもないが、それでも、指先を目一杯伸ばす。
そして、ため息をつく。
だからこそ、美しいのじゃろう
なんの話だったか。そうだ、波も、自然も、時間も、怖くて、だからこそ美しいという話だ。
その通りです。この言葉は飲み込む。要らない返事はしない。それが、私たちの距離感だ。
しかしよくわからんの、波とやらも、海とやらも
今度絵をもってまいりましょうか
いやじゃ
姫様は眉をよせて、静かに歩み、私の前に戻ってくる。
い、や、じゃ
存じております、冗談ですよ
嫌な冗談じゃ
ふん、とそっぽを向く姫様は、しかし笑っていた。
いつか本物を見るんじゃ。海も、山も、一面の空も
独り言のように、姫様は言う。
返事はしない。
もちろん、私もそこに一緒にいる。その日まで、私は何日でも待つ。
そういえば、魚じゃ。魚も海からとれるときいたぞ。どれくらいじゃ
海の大きさをいうくらいに、それは難しいことだった。
場所によって、種類が違います。季節によっても違いますし。数も違います、大きさも
なんじゃ、海については分からないことばかりか
姫様は、にやりと意地悪く笑う。
そなたは本当に、海を見たことがあるのか?
知っておりますとも。この目で見て参りました。荒れる海も、穏やかな海も
本当かのう!
山の花も海の魚もすべて知らないのに
うーん……
姫は知らないのかもしれない。この世界には、言葉で説明できないことが、きっと、言葉で説明できることよりもたくさん、ある。
言おうか言うまいか迷ったが、それとなく伝えることにした。
姫様。この世の中には、言葉で説明できないことが
言いかけた言葉を、姫様が手をすっと前に出したことで制される。
私は、すぐに頭を垂れた。
申し訳ございません。失言でございましたね
姫は愉快そうに笑った。無邪気な笑みは、しかし、少し不満そうだった。
それくらい知っておるわ
ばかにするなということか。素直にもう一度頭を下げて謝ると、まあよい、と姫は微笑んだ。
それを知っておるから、人は様々な言葉を使い、様々な表現をするのじゃろ。
でなければ、魚は魚でいいし、花は花でいいんじゃよ
なるほど。私は静かに目を閉じる。その余韻を味わうように。優しい、いとおしい、言葉の余韻。
静かに黙っていると、海についての質問はまだある、と姫は言った。
海は青いのじゃろ。この空よりも青いのか
青の種類が違います
ほう、どう違うのじゃ