机の上いっぱいに広げた写真。
　笑顔全開で納まっているのは見覚えがあるのに見慣れない、どこか懐かしい顔ばかりだ。
　それもそのはず、この写真は全て、あたしたちが中学の頃の写真だった。

　たまたま同じ中学の子たちが多かったうちのクラス。ある時昔話が盛り上がって、懐かしい写真を持ち寄ろうってことになった。
　何となく気だるい昼休みの教室で、皆で大騒ぎするにはちょうどいい話の種だ。たった三年前の写真なのに、写っている顔はどれもこれもあどけない。まるで別人みたいに変わっちゃった子までいる。

　皆がげらげら笑ってる。
　三年前にはごく当たり前のように見ていた光景と顔が、今はおかしくってしょうがない。だってびっくりするくらい変わり過ぎてる。

　あたしも自分の顔は見慣れなかった。中学の頃の顔は子どもっぽいし、髪型も親に言われるがままにしていた。何の苦労も知らず、悩みもなさそうな笑顔で写真に納まっている自分を見ると、羨ましいとさえ思えてきた。別にこの後三年間に辛酸を舐めるような出来事があったわけでもないけど、こっそり苦笑してみる。
　昔の写真を見るっていうのも、くすぐったいものだ。

　あたしがスナップ写真の一枚を机の上に戻した時、

　能天気な声が聞こえて、思わずそちらを振り返る。

　ふらふらと寄ってきたのは篠宮だった。
　こういう大騒ぎが好きな能天気な奴。だけど今回はお呼びじゃない。

　いつものように腑抜けた声で輪に入って来ようとしたから、他の子が言うより先にあたしが口を開いてやった。

　篠宮がきょとんとする。

　あたしはごく当たり前のことを言ったつもりだったけど、篠宮は不満げに口を尖らせる。

　何をする気だ。あたしの昔の写真なんてよりいっそう見せたくない。篠宮みたいな奴に見せたら、散々からかわれるに決まってる。

　途端ににやにやし始めた篠宮は、一緒に写真を見ていた子たちに、どうなの、どうなの、と尋ねている。馬鹿みたい。

　そんなわけないでしょうが。
　思い切り呆れてしまったけど、あたしが思うよりも篠宮は、他の子たちには人気がある。どうしてかは知らない。

　なんて、優しい声を掛ける子もいて、

　篠宮はあっと言う間に輪の中に溶け込んでしまう。
　喧嘩を売られて買い掛けて、途中で放り投げられた格好のあたしは、口を開けたまま二の句も継げずに黙り込んでいた。

　だから篠宮はお呼びじゃない。
　あたしに向けた拗ねた顔はもう影を潜め、皆にはにこにこ笑顔を向けている。どこにいても楽しげで、周りにいる子たちまでつられて笑わせてしまう。嫌いじゃないけど、どうしてか付き合い辛い相手だった。
　へらへらしてる顔を見ると、何となく苛ついた。性に合わない、こういう軽そうなタイプは。

　篠宮は写真を一枚一枚、丁寧に眺めていた。三年前の写真はまだ色こそ褪せていないけれど、写り込んでいる光景はとっくに古くなっている。
　やがて写真の中を指差した篠宮が、

　皆の昔の顔を見て、次々と当て出した。
　あどけないばかりの顔を見ただけで、それが誰だか当ててしまう。
　篠宮はとにかく目敏いんだ。妙に観察力あるし。そのくせ変なとこで鈍いんだけど、まあそこはしょうがない。馬鹿だから。

　得意そうに胸を反らした篠宮は、他の写真にも手を伸ばす。

　狙われてる。
　まさか本気で、あたしがかつてアフロだったと思ってんじゃなかろうか。篠宮ならあり得る。確かに昔のあたしは今よりずっと野暮ったかったけど、さすがにアフロではない。天パでもない。
　ターゲットにされたあたしを見て、皆がにやにやし始める。篠宮が写真をつぶさに調べている間、あたしは落ち着かない気分でいた。とりあえずそっぽを向いていた。
　篠宮が見つけてくれないといいな、と思っている。
　見られたくない。子どもっぽいだけでしかない昔の写真の顔なんて。

　しばらくして、篠宮が言った。

　それは事実上のギブアップ宣言だ。
　よかった。奴はあたしを見つけなかった。
　あたしは胸を撫で下ろしながら答える。

　篠宮が皆に尋ねる。皆は笑ったまま、答えない。

　首を竦めて、あたしは自分の持ってきた分の写真を回収しようとした。
　篠宮に追及される前にしまっちゃおう。どうせ見つけたら見つけたでうるさいし、見つけられなきゃしばらく言い続けるに決まってる。厄介な火種はさっさと隠しちゃうのが一番だ。
　机の上に広げたスナップ写真を一枚、拾い上げた、――その時。

　あたしの動作を、篠宮の珍しく鋭い声が制した。
　思わずぎくりとする。

　写真を指で拾った姿勢のまま、恐る恐る尋ねてみた。
　篠宮はあたしが拾った、その写真の中を見つめている。じいっと、真剣な表情で。
　あたしが持ってきた写真だ。当然、本人が写り込んでる可能性は大きい。篠宮の目敏さに舌打ちしつつ、あたしは奴を急かした。

　拒否したにもかかわらず、篠宮の無遠慮な手はあたしからそのスナップ写真を奪い去って行ってしまった。
　何人かが笑顔で写っている、ごくありふれたワンシーンの写真。あたしたちにとっては思い出いっぱいの写真でも、篠宮にとっては何の変哲もない写真でしかないはずだ。
　なのに篠宮はいつになく真面目な顔で、それに見入っていた。

　奴がなかなか写真を返さないから、あたしは少し苛立ってくる。
　見つけられてなるものか、と言う思いもあった。

　篠宮が、写真を指差して尋ねた。
　爪の伸びた人差し指が示したのは、見覚えのある制服を着た女子生徒だ。長い髪をおさげにして、幼い笑顔で写ってる。

　あたしは咄嗟に聞き返し、真顔の篠宮から、驚くような言葉を貰った。

　可愛い？
　どこが。
　写真の中にいるのは化粧っ気もなければ髪なんて三つ編みの中学生だ。篠宮が目を輝かせる必要はどこにもない。
　ないはずなのに、篠宮は言う。

　篠宮の口調は熱っぽい。本気か。むしろ正気か。
　随分変わった好みの奴もいたもんだ。まあ篠宮だし、妙な好みってのもあり得るかもしれないけど。
　誰かが口を開く前に。あたしは少し焦りながら応じる。

　きっぱりと篠宮は言って、その後で写真に頬擦りさえしてみせた。止めろ、人の写真に！

　篠宮はしつこい。軽い奴だってことは知ってたけど、女の子のことでこうも執着してみせるのは初めてじゃないだろうか。昔の写真だって散々言ってるのに、長々食い下がってくる。

　そこまでしてお近づきになりたいってか。物好きめ。
　いい加減呆れたあたしは、隙を見て篠宮の手から、その写真を取り上げた。

　素早く写真を制服のポケットにしまう。さすがの篠宮も、ここから取り出そうとは考えまい。
　篠宮は恨めしげな目でこっちを見ていた。

　素知らぬふりで他の写真も片付ける。篠宮がご執心のその子の顔が、何枚か重ねられて、あたしのポケットに収まった。

　何だそれ。自惚れもいいとこだ。
　あたしは篠宮を睨んだ。篠宮も、あたしを睨んでいる。

　恋路と来ましたか。
　最早、恋か。写真見て数分でもう恋だと言い切るか。さすが篠宮。短絡的。

　もちろんジェラシーなんてことはない。断じてない。あたしは首を竦めて奴をあしらう。
　ちょうど昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ってくれたから、

　皆を促しつつその場を離れた。篠宮はまだぶーぶー言っていたようだけど、知るもんか。どうせ少しすれば忘れるだろう、馬鹿だから。

　自分の席に戻ってきた時、ほんの少しほっとした。
　溜息をついたあたしは次の授業の教科書と、ノートを机から取り出して――。

　歌うような節をつけた、篠宮の声に呼ばれた。
　今度は何だ。視線を上げれば、やけに機嫌のよさそうな顔がすぐ目の前に立っている。

　いい加減こいつの相手も疲れた。あたしは投げやりに応じる。
　すると篠宮はこちらの顔を覗き込みながら、言った。

　ぎょっとして、あたしは篠宮の顔を見返す。
　得意げで、楽しそうな笑顔が浮かんでいた。

　篠宮が、言う。

　畳みかけるように尋ねてくる。

　声が出せなかった。
　言えるはずがない。あんなに、可愛いだの清楚だのと言われて、あたしが切り出せるはずがない。一目惚れだとかあり得ない。照れるし、おかしいし、第一そういうのってあたしのキャラでもないから。
　それに本当のことを聞いたら、篠宮だって、がっかりするだろうし。

　篠宮が笑う。
　別に照れてるつもりはないけど、かっと頬が熱くなった。
　思わず顔を背けると、篠宮は耳元で囁いてくる。

　優しいその声が、飛び上がりそうになるほどくすぐったかった。

　あたしが反論しかけた声は上擦り、

　結局、篠宮の言葉に遮られてしまう。

　可愛いなんて言われたの、多分、初めてだ。
　しかも男子から。
　しかも篠宮から。あり得ない。

　篠宮が聞いた。
　あたしはそれには答えなかった。答えられなかった。
　代わりに篠宮の身体を押して、ここから追い払おうとした。

　だけど篠宮は、いつもはあんなにふらふらしているくせに、あたしの力じゃ押し切れない。
　ぐらりともせずにあたしの手をかわして、

　なんて歌うように言いながら、席へと戻っていく。
　その背中を横目で見送ったあたしは、ふと溜息をついた。

　篠宮のことは嫌いじゃない。
　だけど苦手だ。へらへらしてて、軽くて、気安い台詞を口にしてきて。ずけずけと踏み込んでくるくせに、あたしの気持ちなんて考えもしない。
　そうしてあっと言う間にあたしの中にも溶け込んでしまった。
　髪、伸ばしてもいいかななんて、迂闊にも思わされてしまった。

　呟きたくもなる。
　そんなことをしたら、篠宮にも、皆にも、にやにやされるに決まってるのに。