一九四四年、十月――。
ダイダラは、かなり複雑な命令を遂行できるようになっていた。
敵のトーチカを模したハリボテを、指示された順番に破壊していく。トーチカからの砲撃を警戒して、遮蔽物に隠れながらの移動も怠らない。人間と同程度の知能を持っているのではないかと思えるほどだった。

そしてそれは、沙紀との会話に関しても同様だった。

沙紀

こんにちは。ダイダラ

手話でそう話しかけると、ダイダラはそのごつごつした指を器用に動かして答える。
――こんにちは。サキ、きょうは機嫌がいいね

沙紀

ええ、兵隊さんの監視付きだけれど、外出することができましたの。
銀座に出かけて、久しぶりにお買いものができましたわ

そういって沙紀は、買ってきた髪飾りを見せる。小さな白いコスモスの花の髪飾りだ。

――花
ダイダラは両てのひらを向かい合わせ、指を広げて花の手話をする。

沙紀

そう。花の髪飾り

ダイダラは、花の話をするとき、沙紀の表情が明るくなることに気づいていた。だから「花」は「良いもの」だと理解していた。

――外って、楽しいところ?
ダイダラは沙紀に尋ねる。外であった事を話すときも、大抵沙紀は嬉しそうな顔をしている。今日は特にそうだ。だからきっと、「外」も「良いもの」なのだろう。

しかし沙紀は、ダイダラの問いに逆に表情を曇らせた。
ダイダラにとって外に出るときというのは、兵器として実践投入されるときだ。それはきっと、ダイダラにとって快い体験にはならないだろう。

沙紀

外に出たら、あなたには辛いことが起こるかもしれない。傷つくかもしれない。
でも、信じていれば必ず楽しいことも起こるから。
いつかお外に出られるといいね

そんな、自分でも気休めにしか思えないような言葉をかけてやることしか、今の沙紀には出来なかった。


一九四五年、八月十四日――。
ダイダラの実践投入までの行程表は、着実に消化されていた。ダイダラの兵器としての成長は目覚しく、もはや通常の兵に対するのと同じように作戦を説明すれば、着実に自分の任務を遂行できるまでになっていた。

しかし、戦況の方がそれどころではなくなっていた。日本本土にまでアメリカの爆撃機が飛来し、空爆が行われるようになっていたのである。東京でも昨年十一月に武蔵野の飛行機製作所が空爆されたのを皮切りに、一般住民の住む市街地もたびたび空爆された。特に今年三月十日の空襲では、何百機ものB‐29が東京中に焼夷弾の雨を降らし、十万人以上の市民が犠牲となった。

沙紀たちも空襲のたびに研究所の地下にある防空壕に避難させられ、爆撃機の主翼が空を切る轟音を聞きながら、震えて夜を過ごした。
研究が現在も続いているのは、三月の大空襲で須田町から研究所のある辺りまでは奇跡的に被害が軽微であったためと、研究所の建物がコンクリート製のため燃えにくく、焼夷弾の直撃でもない限り建物は破壊されないためだが、かといってもちろん、研究に何の支障もないというわけにはいかない。

そもそもいくらダイダラが強力な兵器とはいえ、一機のみあったところで上げられる戦果は限られている。まともに実践で運用するためには量産が必要だが、もはや日本軍にこの巨大兵器を量産するだけの資源や人員が残っているかどうか疑問だった。

沙紀

こんにちは、ダイダラ

そんな暗い雰囲気をダイダラに悟らせないように、勤めて明るく接しようとする沙紀だったが、ダイダラは周囲の重苦しい空気を明敏に察しているのか、元気がなかった。

――外に出たい
手話でそう言葉を紡ぎだすその腕の動きもどこか緩慢だ。ダイダラの鋼鉄で出来た顔は表情を変えることなどできないが、気のせいか沈鬱な表情をしているように見える。

――外に出たら、僕は今まで以上に多くの人を殺さなければいけない?
ダイダラから発せられた純朴な質問に、沙紀は息を呑む。

ダイダラの開発目的は敵兵を殺すためであり、そのための教育と訓練を今日まで続けてきた。それは紛れもない事実である。
敵兵は鬼畜米英であるから殺してもよい、などと言う政府のお題目を信じるほど沙紀は無教養ではなかった。小説が好きだった彼女は、太平洋戦争の開戦前に、アメリカの作家アルカット(オルコット)の小説の邦訳『小婦人』を読んだことがある。
(※沙紀はまだ知らないことだが、この小説は戦後、『若草物語』という邦題で新たに訳され、人口に膾炙していくことになる)

『小婦人』の四姉妹の心の成長を読みながら、これを書いた遠い異国の人も、自分たちと同じことで悩み、自分たちと同じく家族を思うのだと感じた。人間である以上日本人にもアメリカ人にも大した違いはない。敵兵を殺すという事は、我々と同じく笑ったり泣いたり人を愛したりしてきた一人の人物を痛めつけ、その生涯を無理やり終わらせてしまうという事だ。

沙紀

大丈夫、きっと戦争は終わるから。
あなたが出られるころには、戦争が終わった、楽しい世界になってるよ

戦争が終われば、兵器としてのダイダラは無用の長物になってしまう。しかし、人工的に脳髄を作り出す研究の成果としての価値は、何ものにも変えがたいはずだ。不要だからと言って解体されてしまうようなことはないだろう。それならば外に出る機会もあるはずだ。
もしもダイダラが解体されそうになったら、解体などせずに引き続き研究を続けるように、あたしからも頼んでみよう、沙紀はそう思った。

その時、隣の部屋から、若林博士と誰かが言い争う声が聞こえた。何事かとその部屋の前まで言ってみると、博士と言い争っていたらしい髭面の将校が、ちょうど退室するところだった。

崎田教授

若林君、何事かね

騒ぎを聞きつけて、崎田教授もこちらへやってきた。若林教授は苦悩の表情を浮かべて頭を掻きむしっている。

若林博士

大変なことになりました。
わが国は、連合国の共同宣言を無条件に受け入れる決定を下したそうです

共同宣言というのは、英米ら連合国が日本に降伏を要求する宣言のことである。それを受け入れるということは、日本の降伏を意味する。

若林博士

明日の十五日正午、ラジオにより陛下の肉声でその旨が全国民に告知されます。その後陸海軍は武装解除、我々の研究も凍結となります

崎田教授

そうか……
我らの研究成果が日の目を見ないのは残念だが、致し方ない。
全てが終わって落ち着いた後、兵器以外の用途で人工脳髄の研究を再開できれば……

崎田教授はそういいながら、研究が再開できる可能性は極めて低いことを悟っていた。そもそも日本国の行く末がどうなるか、戦勝国が日本をどう扱うかという問題がある。もし日本が植民地化され、日本人の人権が大幅に制限されるようなことがあれば、崎田たちはそもそも研究者であり続けること自体が難しいかもしれない。

そうでなくとも、ダイダラの開発のような膨大な研究費用と長期の期間を費やすプロジェクトは、軍事目的でもない限り中々承認されるものではない。研究はおそらく、二度と再開できないだろう。

若林博士

戦争を終わらせず、研究を完遂させる唯一の方法があります。

若林は興奮した様子で、少し震えながら話し始めた。
戦争を終わらせない方法とは、ダイダラを使ってクーデターを起こすことであった。

若林博士

おりしも本日深夜、一部将校がクーデターを計画しているという情報があります。彼らにダイダラを貸し与え、ダイダラの武力を用いてクーデターを成功させます

若林博士

ダイダラの圧倒的な力を見た人々はこう思うでしょう「この兵器を量産すれば、戦況を覆すことが出来る」とね。
陛下にもそう思わせることが出来れば、降伏は取りやめになります

若林によれば、一部の将校たちにより、クーデターにより皇居を占拠し、降伏を阻止しようとする計画があるという。ダイダラを使ってそれに加担しようというのだ。

若林は早速、クーデター首謀者と連絡を取るべく、軍人たちに指示を飛ばしていた。


急に降ってわいた騒動に、沙紀はどうしていいかわからなかった。クーデターの首謀者と思しき人物が研究所をを訪ねてきて、ダイダラを見学したり若林となにやら話し合ったりして去っていった。このままだとおそらくクーデターは実行される。そしてダイダラはそれに加担させられるのだろう。ダイダラはいよいよ兵器として利用されるのだ。それも、敵兵ではなく皇居を守る近衛兵と戦うための。

若林博士

そろそろダイダラを搬出しないと間に合わんな。搬出を開始する。


夜が更けたころ、若林の号令で、ダイダラの搬出が行われた。ダイダラは活動を停止させられた状態で巨大なトラックに載せられ、真っ黒な幌を掛けられて靖国通りを西進した。トラックは駿河台下で左折し、坂下門の前で停止する。そこにはクーデターを起こした将校たちが待機していた。

若林博士

作戦開始だ。ダイダラを起動したまえ

ダイダラのエンジンが点火される。回転音が高まっていくにつれて人工脳髄のダイオードにも電流が供給され、発熱していく。
頭部の温度が一定を超えるとバイメタルのスイッチがONとなり、額にある排気ファンも回り始める。

充分にエンジンが暖まってから、ダイダラは身を起こした。

若林博士

行け! ダイダラ。
日本を英米に蹂躙させようとしている君側の奸どもに、お前の力を見せ付けてやりたまえ

その場にいた青年大尉が、自らの指揮する大隊の指揮下に入るようダイダラに命じた。ダイダラは、一度組織に編入されたらその組織の長の命令に従うように訓練されている。彼は青年大尉の率いる軍に混じって、皇居内部へ進軍すべく、坂下門へと歩いていった。


クーデターが遂に実行に移されたちょうどその頃、沙紀は、研究所内に極端に少ないことに気づいた。
若林博士のみならず、いつも沙紀たちが逃亡しないよう警備していた軍人達すら、クーデターに参加するために出払ってしまっている。
――今なら、脱出できるかもしれない。

正面の出入り口に一人だけ監視の軍人がいたが、窓からこっそり抜け出すのは容易だった。彼女はその足で、皇居へと向かった。

ダイダラがどこにいるのか、沙紀は知らなかった。とりあえず手近な大手門へ行ってみて、いなければお堀の周りを時計回りに探そうと考えていた。

大手門には物々しい警備兵が厳戒態勢を取っているものの、なにも騒ぎは起きておらず、ダイダラがいる様子もなかった。そこから南下して行くと、なにやら言い争う声が聞こえた。

「正午に予定されている陛下の玉音放送を取りやめろ」
「既に陛下による共同宣言受諾の宣言は録音されて、レコードは城内に厳重に保管されている。たとえ貴様らが城内を占拠したとて、貴様らに見つからない場所で秘密裏に放送を行うことは可能だ」
「どうしても取りやめないというなら、ダイダラで城内を破壊しつくしてでも阻止するぞ」

ダイダラという言葉が聞こえたので、沙紀は声のする方へと近づいていった。陸軍の制服を着た人々の集団と、後ろ手に縛られているらしい男性が言い争いをしている。軍服の集団の後ろには、月明かりを背にぼんやりと、巨大な人工物のシルエットが見て取れる。ダイダラに違いない。

「陛下の居城を破壊するなど……、正気の沙汰とは思えん」
縛られている男がうめく様にそう漏らす。
「もちろんそれは最後の手段だ。我々は予定通り、城内を占拠する。ダイダラはここで、鎮圧軍からの防衛にあたれ」

そう言って彼らは、数名の兵卒とダイダラを残し、皇居内に入っていった。沙紀はダイダラに近づきたいが、一緒に残っている兵卒の銃が怖くて近づくことが出来ない。

何も出来ず、沙紀は物陰に隠れてダイダラを見守り続けた。状況が変わらぬまま時が過ぎて、あたりはうっすらと仄明るくなってきた。八月のこの時期で明るくなり始めているということは、今は午前四時過ぎであろうか、そんなことを沙紀が思ったその時、ダイダラの視線がふと下を向き、何かに注意を奪われた。

一瞬の後、ダイダラの両手が動いた。両手のひらを向かい合わせ、指を花びらのように広げる。
――花の手話だ。
沙紀がダイダラの視線の先を見ると、なるほどお堀の脇の緑地に、薄闇でも目立つ白い花が一輪、咲いていた。
やはりダイダラは、私が一年以上、手話を通して心を通わせてきたあのダイダラだ。兵器なんかじゃない。彼に人殺しをさせてはいけない。

沙紀がそう確信したその時、ダイダラの注意が逸れるのを待っていたように、銃声が鳴り響いた、ダイダラの両脇を固めていた兵卒が崩れ落ちる。

いつの間にか、坂下門はクーデターの鎮圧軍に囲まれていたのだ。そこここの木陰などに隠れていた鎮圧軍たちは門の前に踊りだし、至近距離からダイダラに一斉射撃を行う。

全身を分厚い鋼鉄の装甲で覆われたダイダラは、近衛兵の自動小銃ではびくともしない。彼の額の排気ファンの回転数がひと際早くなったかと思うと、ダイダラは近衛兵の排除に向かった。

――いけない!
沙紀は危険も顧みず、物陰からダイダラのほうへ飛び出していた。

沙紀

ダイダラ!

ダイダラの目が、沙紀を捕らえる。沙紀は両腕で大きく×印を作る。ダイダラを止めなければ。それだけを考えていた。

鎮圧軍たちは、不意に現れた沙紀に一旦銃口を向けたが、相手が丸腰の娘であると銃をおさめ、沙紀のほうへ近づいてくる。
「ここは危ない。近づくんじゃない! あっちへ行け!」

ダイダラのほうは、沙紀の姿を認めたときから、前進をやめていた。鎮圧軍の兵のうち数人が沙紀を腕ずくでその場から追い出そうとしている間、残りの兵はダイダラへ銃撃を続けているが、抵抗する様子もない。

「自動小銃では歯が立たん。戦車の出動を要請する」
小隊長らしき男がそう言って、兵卒の一人が伝令に走った。

沙紀

攻撃をやめてください!
ダイダラはもう抵抗しないはずです。
ダイダラを攻撃するのをやめてください!

沙紀は坂下門から行幸通りの辺りまで連れて行かれながらも必死にそう訴え続けていたが、当然その訴えは聞き入れられなかった。

程なくして戦車が、あちこちから坂下門へと集まってきた。何度か砲撃の音がして、その後皇居の周辺には再び静寂が戻った。
退却していく戦車たちが、どれも傷一つついていないことから察するに、ダイダラは全く抵抗しなかったのだろう。ダイダラがまともに攻撃すれば、九七式戦車の装甲は簡単にひしゃげてしまうはずだから。


「……臣民の衷情も朕善く之を知る。然れども朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て萬世の爲に太平を開かんと欲す……」
――一九四五年八月十五日、正午。
陛下からの直々のお言葉が放送されるので、全国民必ず聞くように、と通知されていたその放送を、人々は様々な場所で聞いていた。

あるものたちは、その地域の名士の屋敷の広間に集まって。またあるものたちは、公園にラジオを置き、音量を最大に調節して。
皆一様にラジオに向かって平伏しながら、静かにラジオを聴いていた。

人々の多くは、陛下のお言葉が何を意味しているか、十分には理解していなかった。「米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」というくだりを聞いたときに、高等教育を受けているものたちはハッと息を呑んだが、それ以外の者たちは訳もわからずただ平伏していた。

玉音放送の後、鈴木首相の内閣告諭や、その他諸々を伝えるニュースがラジオから流れてくるに及んで、ようやく人々は全てを理解した。日本は負けたのだ。
鬼畜米英といわれる連合国軍によって、日本がこれからどの様な扱いを受けるのか、それを思うと不安しかない。しかし帝都に幾度も焼夷弾の雨が降り、人々が逃げ惑う状況が続く限り、いずれはこうなるしかなかったのだ。

今は陛下の言うとおり、「任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け」ることしかできない。そう思って人々は、とにかく今を一生懸命生きることにした。


戦後、ダイダラに関しては緘口令が布かれ、若林博士も崎田教授も、人工脳髄の研究を継続することはかたく禁じられた。玉音放送を巡ってのクーデターに、強力な最新兵器が使われていて、ともすればクーデター軍が勝っていたかもしれないという事実を、新政府は隠したかったのだ。
こうして日本陸軍が開発した驚異の巨大兵器の事は完全に忘れ去られたが、ただ一人崎田沙紀だけが、かつて一輪の花に心を動かす、優しいロボットがいたことを、いつまでも覚えていた。

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