1話
おじさまとタマネギのせい




葉山希(はやま のぞみ)17歳の5月。

あれー?


学校から帰ると、唯一の肉親である父が
『徳を積む旅に出ます。探さないで下さい』
の書置きを残し失踪していた。

お、お父さーん!


昔から頼りない父だとは思っていたけど
まさか未成年の私を捨てていなくなるとは思わなかった。

昔は売れっ子だったのに今はすっかり人気を失って
細々とした連載だけで食い扶持を稼いでいた小説家の父。

最近はそれに加えスランプだったのもあって現状に耐え切れず
ついに逃げ出したのだろう。

という訳でいきなりみなしごになってしまった私。

ボーゼンと部屋で立ち尽くしていると、
その来客はやって来た。

竜胆

葉山先生~いますか~?
皐月出版の竜胆です~

なんともかったるそうな声で竜胆と名乗った人物、
それが竜胆創(りんどう はじめ)さんで。

これが私と彼の数奇な運命の出会いだった。



皐月出版は父が連載を持っている文芸週刊誌だ。

おそらく原稿が届くどころか
父のケータイもメールも繋がらなくなった事に危機を案じて
わざわざ家までやって来たのだろう。

とりあえずコトのなりゆきを話すために
私は竜胆さんを家に上げた。

竜胆

はあ!?
葉山先生が失踪?

竜胆さんは私が淹れたお茶を噴き出しそうな勢いで訊ねた。

そうなんです。
と云うわけですみません、次回の原稿は無理そうです

そう言いながら父の書置きを見せると、
竜胆さんは額に手を当てて大きく嘆息した。

竜胆

マジかよ~…
…いや、最近ちょっと様子がおかしいなーとは思ってたんだよ…
もっと早く様子見に来りゃ良かった

もらった名刺によると
竜胆さんはお父さんの担当編集者ではなく
掲載誌の編集長らしい。

今日はなんだか良くない予感がして
わざわざ編集長自ら出向いたところで
この有様である。

ご足労頂いたところ申し訳ないけれど
一歩遅かったと言う訳だ。

竜胆

まいったな~いつ先生帰ってくるかな~
2週以上休載はさすがに……ん?

頭を抱えていた竜胆さんが突然顔を上げこちらを見た。

竜胆

あれ、確か葉山先生ってお嬢ちゃんとふたり暮らしだったよね?

はい、母が10年前に他界してますから

竜胆

…じゃあお嬢ちゃん、ひとり?

……そうなりますね

私の返答を聞いた竜胆さんが
いかにも戸惑った表情を浮かべるけれど、
そんな顔を向けられてもこちらも困る。

まだ私とてさっき失踪を知ったばかりなのだ。
戸惑いたいのは私の方である。

竜胆

それは困ったな…頼れそうな親戚とかは?

生まれてこの方、親戚と云うのを見たことがありません。
父は変わり者だったから、親戚と付き合うなんて器用なマネ
出来なかったんだと思います

竜胆

あー葉山先生らしいな…

竜胆さんは軽く納得したあと
再び困ったような表情を滲ませた。

竜胆

えーと、希ちゃんだったっけ。
これからどうするの?

…まだハッキリ決めた訳じゃないけど、
とりあえずこの家でお父さんの帰りを待とうかなあと思います

少しだけど貯金はあるし、
アルバイトでもすれば自分の食い扶持ぐらい大丈夫かなって

竜胆

頼もしいな…

雨風しのげる家さえあれば、
高校卒業して就職するまでの1年くらい
なんとかなりますよ、多分

そうだ。私にはこの家がある。
住む所さえ困らなければきっとどうにでもなる。

竜胆さんに説明しながら私は自分を鼓舞した。

ところが。

竜胆

……ん?

どうしました?

突然竜胆さんが怪訝な顔をして辺りをキョロキョロと見回しだした。

竜胆

なんか…こげくさくない?

え?

言われて意識してみると、
不穏な臭いがハッキリと鼻腔に伝わった。

と、同時に天井付近に煙が漂っているのが
目に飛び込んでくる。

え?え?ええ!?

驚いてソファーから立ち上がりリビングを飛び出すと、
廊下はすでに白い煙がいっぱいに立ち込めていた。

ウソぉ!?火事!?

――火の出所は2階のコンセント。タコ足配線が出火原因らしい。

煙に気づいた1時間後。
私はまるっと全焼してしまった我が家の前で
ボーゼント立ち尽くしていた。

すごい、私。
今日1日で父を失くし家を失くしてしまった。

あまりの悲劇にもはや現実感さえ感じられず
ひたすら立ち尽くしていると。

竜胆

……大丈夫か

すすの付いた私の頬をゴシゴシとハンカチで拭ってくれながら
竜胆さんが声をかけてきた。

…雨風がしのげなくなっちゃった

竜胆

…だな

竜胆さんは、ひたすらボーゼンとする私の顔を拭いてくれていたけれど
やがて困ったように眉を下げると

竜胆

とりあえず、うち来るか。
お嬢ちゃん顔まっ黒だ、シャワー浴びた方がいい。
拭いたぐらいじゃ落ちやしねえ

そう言って、私の頭をポンポンと撫でた。





荷物は竜胆さんが手伝ってくれたのもあって
必要最低限のものは運び出せた。

とはいっても、学校の鞄とその中身。
あとは通帳と印鑑と、ほんの少しの着替えだけだけど。

少ない荷物と一緒に私は
タクシーで竜胆さんのマンションへと連れて来てもらった。


思っていたより随分キレイで立派なマンションだったけど
部屋の中は思った通りわりと散らかっていた。

ひとり暮らしですか?

竜胆

ああ、だから遠慮しなくていいぞ

それを聞いてホッと安心する。

見知らぬ他人に挨拶をして
色々遠慮したり気遣いをする余裕なんか
今の私にはちょっと無理そうなので。

竜胆

ここが風呂場だ。なんでも使っていいから

バスタオルは残念ながら持ち出せなかったので
竜胆さんが貸してくれた。

ツヤツヤとした浴槽や床はいかにも今どきのマンションぽい造りで、

私のうちの古いお風呂とは全然違うなー
…もう無くなっちゃったけど

などと考えながら
顔のすすをゴシゴシと洗い落とした。




お風呂から出るとなんだかイイ匂いが廊下に漂っていた。

竜胆

なんだ、また制服着ちゃったのか。
せっかく風呂入ったのに汚れた服着てちゃ意味無いだろ

明かりのついていた部屋に入るとそこはダイニングで
竜胆さんがちょうど出来上がったパスタのお皿をテーブルに置きながら
私の姿を見て話し掛けてきた。

でも着替えがなくて

竜胆

あーそっか…
待ってな、今Tシャツ貸してやるから

竜胆さんはそう言うとバタバタと部屋を出て行く。

私はダイニングテーブルにふたつ置かれたカルボナーラを見て

おいしそう…

なんて呑気なことを思った。

竜胆

ほら、やるよ。
サイズは合わないけど、まあ、新品だから
我慢してくれ

再びダイニングに戻ってきた竜胆さんは
袋に入ったままのTシャツやスエットを幾つかくれた。

竜胆

制服はあとでクリーニング出してやるよ。
急ぎで出せば朝までに間に合うだろ

何から何まですみません

彼の心遣いにありがたいと思いながら
着替えに行こうと部屋から出ようとすると。

竜胆

パンツもいるか?
ボクサーブリーフでよければあるぞ

不必要なおせっかいが背中に投げ掛けられたので
それは聞かなかったことにした。




着替えてくると、竜胆さんは
ダイニングの椅子に座り

竜胆

腹減ってるだろ、とりあえず喰いな

と言って、テーブルの上のパスタを食べるように促す。

…すみません。お風呂も着替えも、
ご飯までお世話になっちゃって

竜胆

子供が遠慮すんな。
それに、目の前で火事にあった人間に
優しくできないほど、俺は非道じゃねえよ

竜胆さんて見た目はあまり誠実そうな感じしないけど
中身はとってもイイ人みたいだ。

私は彼にペコリと頭を下げると
美味しそうなカルボナーラに手をつけた。

竜胆

しっかし参ったな。
家がなくなっちまったうえ
葉山先生は行方知れずだし

…私、これからどこへ行けばいいんでしょうか

自分のことなのに、あまりに予定外過ぎて
これからどこへいき何をすればいいのかサッパリ分からない。

竜胆さんは眉間に皺を寄せ考えると

竜胆

お嬢ちゃんはまだ未成年だしなあ…
身寄りがいないんじゃ
児童養護施設…になるのかなあ

首を傾けながらそう答えた。

でも、そこへ行っちゃったら
もしお父さんが帰ってきたときに
私の居場所が分からなくて会えなくなっちゃわないかな…

竜胆

うーん

それに学校はどうなるんだろう。

この町に児童養護施設なんてあっただろうか。
もしなかったとしたら、きっと私は遠くの町へ連れて行かれてしまう。

家も家族もなくしたうえ、
転校して学校の友達ともわかれるなんて…

そんなのはあまりにも悲しい。

…燃えた跡にテント張って暮らしちゃダメかなあ

すっかり落ち込みながら呟くと、
竜胆さんはもう1度

竜胆

うーん

と首を捻ってから、

竜胆

まあとりあえず、今夜はうちに泊まっていきな。
ぐっすり寝てから、明日また考えりゃいい

どこか開き直ったように言って、
フォークに巻きつけたパスタを口に運んだ。




食事が終わると、竜胆さんは
リビングのソファーをベッドに開いてくれて
そこに布団を敷いてくれた。

いくら父の仕事相手とはいえ、
今日初めて会った男の人の家で寝るなんて、と
少し緊張もあったけど。

色々あってよっぽど疲れていたのか、
私は布団に潜ると考える間もなく
あっという間に眠ってしまった。




そして翌朝。


スマホのアラームが鳴る前に目覚めた私は
時計を見てまだ7時前だと知る。

…昨日は随分お世話になったもんね。
せめてものお礼代わりに
朝ごはんでも作ろうかな

部屋にも廊下にも明かりがついてないところを見ると
竜胆さんはまだ寝ているみたいだ。

お布団をたたんでソファーベッドを直すと、
私はキッチンへと向かった。

食パンがある…
ってことは、竜胆さん朝はパン派かな

失礼して冷蔵庫を開けてみると
ハムに玉子、それに野菜なんかが入っていたので
ハムエッグと野菜スープを作ることにした。

竜胆さんの家のキッチンはピカピカで
うちの年季の入った台所とは全然違う。

包丁だってよく切れるし
コンロだってスベスベのIHヒーターだ。

キレイで便利なはずなのに、
慣れてないせいか、なかなか手が進まない。

……へんなの……

なんでだろう、まだ1日しか経ってないのに
私の家の台所がすごく懐かしい。

おぼろげに覚えている
お母さんのお手伝いをした思い出まで
なつかしく蘇る。

…なにこのタマネギ。すごく染みる…

もうあの台所には立てないんだと思うと、
今さらなんだか悲しくなってしまった。

・・・・・・・っ

私は手にしていた包丁を置くと
いっしょうけんめい手の甲で溢れてくる涙を拭った。

困ったな…早く作らなくちゃ竜胆さん起きてきちゃう

そう思うのになかなか涙は止まらなくて、
必死でグイグイと目元をこすっていたとき。

あ…

竜胆

・・・・・・

いつの間にか起きて来ていた竜胆さんが、
後ろから私の頭をポンポンと撫でた。

お、おはようございます。
すみません、朝食作ろうとしたら
タマネギが目に染みて…

竜胆

ああ、タマネギは目に染みるもんなあ。
だからもっと泣いていいぞ

竜胆さんはそう言って大きな手で
優しく包むように私の頭をなでる。

すみま…せ…

こんな風に頭をなでられたのは小さな子供のとき以来かもしれない。

そんなことを考えたら、
もう涙はどうしようもなく止まらなくなってしまって。

…わあぁん、うわぁぁあん

竜胆

よしよし、もっと泣け。
泣かねーと前に進めないこともあるからな

ついに声をあげて泣き出してしまった私を、
やがて竜胆さんは小さな子供でもなぐさめるのように
優しく優しく抱きしめてくれた。



私はいなくなっちゃったお父さんのことや
死んだお母さんのこと、燃えちゃったお家のこと、
それから小さかったときの自分のことなんかを思い出して、

竜胆さんに甘えながらいっぱいいっぱい泣いた。

さんざん泣いて、ようやく涙が出なくなると、
竜胆さんはニッコリ笑ってもういちど頭を撫でてくれて。

その笑顔を見て私は
今まで知らなかった安心感と、
胸の奥がキュッとしめつけられる何かを
生まれて初めて感じた。





つづく

第1話・おじさまとタマネギのせい

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