彼女の細い指が、僕のいた教室を指差す。導かれるように指の先を見て、いやいや、と彼女に視線を戻す。
小動物のような大きな目がこちらを見ていて、あわてて目をそらしてしまう。
なんで名前を知っているかって?
先輩、いつも陸上の練習、見てるじゃないですか、あの教室から
彼女の細い指が、僕のいた教室を指差す。導かれるように指の先を見て、いやいや、と彼女に視線を戻す。
小動物のような大きな目がこちらを見ていて、あわてて目をそらしてしまう。
えっいや、なんで名前がそれで分かって
僕がしどろもどろに言うと、彼女は
あっ
と言って苦笑した。
そうですよね、すみません。実は先輩のこと、図書室で知りました
あ、図書委員
に、彼女はいないはずだ。
彼女はいいえ、と首をふって、ほら、と微笑む。
おすすめの図書の、推薦文のコンテストで
図書室でその推薦文を読んで、たまたま先輩その日図書委員で図書館にいらっしゃっていたから、顔と名前が一致してたんですよ
目を丸くする僕をよそに、彼女は興奮ぎみに言う。
猛スピードで、僕を驚かせる。
先輩の推薦文は佳作でしたけど、私の中では優勝でした。
あの本、すぐに借りて、読み始めたら、すごいスピードで読み終わっちゃいました。
先輩の推薦文、うますぎますよ。本のあらゆるところの面白いポイントをついてて、それでいてネタバレは最小限で。
物語をおっていくうちに、ここが先輩の言っていたところかって、じゃあ次はどこだろうって、止まらなくて!
選んだ人はあの本、読んだことがなかったんでしょうね、惜しいですよ、読んでいたら絶対に優勝です
話し終わると、彼女は両手で頬を押さえた。
頬がほんのりと赤くなっている。
憧れの先輩と話せて光栄です
あっ
口をぱくぱくさせる僕にむかって、彼女はこくこくと頷く。
自分の言葉を肯定しているようだ。
憧れです
言わなければ、と思った瞬間、その言葉は口から転がるように飛び出ていた。
僕も
今度はえっ、と彼女が目を丸くする。
僕は俯きながら、彼女よりも早口で言った。
た、体育祭のとき色別対抗で二年生が、アンカーって珍しいなと思ってて。
でもびりで、君のチームが、でも君が走って皆ぬいて、会場全体の声が聞こえなくなるくらい僕感動して、凄くて。
隣で叶野って叫ぶ声が聞こえて、君が叶野さんだって知って、その、だから外から見てて、いつも凄いなっていろいろ、元気とか、貰って。
君は、僕こそが憧れていて。
その、君には本当に、猛スピードって言葉がぴったりだって思ってた。
凄いよ、君は
何を言っているのかよく分からなかったし、言った傍から何を言ったかよく覚えていなかった。
ただ、最後の部分だけは残っていた。僕のイメージを、彼女に伝えた。僕の精一杯の選択を、彼女に。
どんびきだろう、もう終わりだろうと思ったが、彼女は
うわあ
とため息交じりに言った。視線を上げると、頬を押さえたまま恥ずかしそうに唇を噛んでいる。
私、馬鹿の一つ覚えみたいに走ることしかできなくて――先輩、その言葉、本当に私にぴったりですか?
え?
猛スピード。それって最高の褒め言葉です
僕は何度も頷いた。
もちろん、もちろんと呟いていたかもしれない。
彼女は
そっかあ
と、とろけたような笑顔を見せた。
嬉しいなあ。ねえ先輩、寒いですね!
え?
気温!
今さら気がつきました、風邪引きますよ!
あ、君、えっと、怪我は?
怪我? ああ、そっか、だからとんできてくれたんでしたっけ
彼女は立ち上がり、照れたように笑う。
僕も続けて立ち上がる。彼女は僕より少しだけ背が低かった。
ちょっとねっころがっていただけです、ただのリラックスというか。
ごろごろするだけ、たまにするんです。
先輩がこっち見てない隙をねらってたんですけど
そう、と拍子抜けした声がこぼれた。彼女は笑う。僕も笑ってしまう。
ふたりでひとしきり笑ったあと、さて、と彼女がのびをした。
ありがとうございました、先輩。
寒いですから、帰りましょう、猛スピードで!
明日は図書室にお邪魔しますね、先輩、委員の仕事ありますよね?
レファレンスをお願いします
え、うん、あ、よく知ってるね、レファレンス
好きなことには、猛スピードで向かっていくタイプです
どういう意味だ?
えっ
と小さく呟いたが、彼女はすでに猛スピードで走っていった。
僕はあわてて彼女を追いかけるも、追いつけるはずがない。
ぐんぐん離れていく彼女は、遠くで振り向き、僕に笑いかける。
あのときの猛スピードは照れ隠しだったと知るのは、それから数カ月後の話だ。
了