今、いいですか? 篠宮先生

えぇ、構いませんよ

それならよかった……

気分でも悪くなってしまいました? 
せんせ――

保健室に着いたものの、また俺は驚かれた。

まるで幽霊でも見るかのように大きく目を見開いて、
じんわりと涙を浮かべる。

なんだよ、今度は……

頭をグラグラと揺らしながら、ソファに座り込んだ。

痛みがなくならないまま、
保健室の先生の懐かしげに見つめる瞳が突き刺さる。

会ったこともない人が次々と、
俺を知っているように声をかけて――。

楽になるまでベッドは使っていて
いいですからね。新堂先生

えっ、あ、ありがとうございます

どうかしました? 
私の顔に何か付いていますか?

小首を傾げながらも、次の瞬間には優しくベッドへ
誘導してくれるその人は、既に俺のことを知っているようだった。

って、当たり前か。赴任してくる先生の
資料はもう渡ってきてるし……
優也先生が見てなかっただけ

……俺は何も知らないのに――。

いえ、何もついてなんかないです。
そのベッドお借りしますね

えぇ、どうぞ

ありがとうございます

他愛もない会話をしてから、
俺はゆっくりとベッドに横になる。

ふっくらとした掛布団とゆったりと流れる空気が
少しずつ、俺を落ち着かせているような気がした。

あの、……私は篠宮彩月って言うんです。
この学校で保険医をしています。あなたは……新堂英輔先生で合っていますよね?

はい、そうです。
これからよろしくお願いします。篠宮先生

ふふっ、篠宮先生か……
なんだかくすぐったい呼び名ですね

頬を赤らめて微笑む篠宮先生は自分と同じくらいの年齢に見えるけれど、どこか子供っぽくて可愛らしい印象だった。

その上保健の先生になれたことが嬉しいのか、
自信に溢れていて読んで字の如く胸を張っている。

休んでいる間でいいので聞いていて
欲しいんですけど、私ね、
先生になれてとても嬉しいんです

その気持ちはわかります。
夢が叶った! って気持ちもあるんですけど、それ以上に子供たちに夢を与えられるような仕事をしているんだ! って考えると、
嬉しくって仕方がないんですよね

その気持ち、俺も分かりますよ。
なんて……昔からの夢でもなかったし、
二人よりは気持ちは小さいかもしれないけど

って、新堂先生……休んでてくださいよ。
そんな意気揚々と話していたら、また具合が悪くなりますよ。優也君も、
あんまり調子乗らないの

優也君?

優也先生に対する慣れた対応と態度に驚きながら、
俺は首を傾げてしまう。

知り合いなんだろうか……。

あー、俺たち幼馴染同士なんですよ。

本当は先生になりたい! 
って幼馴染がもう一人いたんですけどね……

いた、って……その人は今は何を?

何を、ですか……

……新堂先生は、
えいちゃんじゃないんですね……

えっ? それどういう――

悲しげに呟き始める二人の様子に戸惑いながら、
俺は言葉を待った。

言いずらいことなのかもしれない、
それでも知らなくちゃいけないような気がしたんだ。

どうしても、……何か大切なことを忘れてしまっているような感覚を拭えきれなくて。

あの、お願いします……
聞かせてくれませんか? その人のことを

深々と頭を下げて必死の思いで頼み込む。

お願いします……俺、知らなくちゃいけない
ような気がするんです!

その幼馴染が、
どうして俺をここまでさせるのかは分からない。

ただ一つ言えるとするならば、知らぬ間に心に居着いてしまった男の存在が、無茶苦茶なほどに心を掻き乱したんだ。

……分かったわ……

うん、お話ししますね、英輔先生

真剣な顔つきでお互いに頷き合った先生たちが、
ゆっくりと口を開いた。

それでも何処か過去を懐かしみ、
悲しげに暮れる瞳を揺らしたまま。

私たち幼馴染にはもう一人、
大切な幼馴染がいたんです

その人の名前は新堂英輔。
あなたと同じ名前なんですけどね……

彼はもう生きていません。
この学校が火事で焼けてしまった際に、
たった一人の犠牲者として……亡くなったしまったんです

その日アイツは……珍しく頭痛がするって言って、保健室に向かったんだ

私は一緒に向かおうか悩んだんですが、
次の授業がその年最後の家庭科の調理実習。
どうしても参加がしたくて……早くよくなりなよ! とだけ言って、彼を一人にさせてしまった……それがいけなかったんです

交互に口を開く先生たちを、
俺はやっぱり知っているのか――。

少しずつ明らかになっていく彼の行動が、
俺がさっき見た光景をそのまましているような気がして。

調理実習の際に、火元をきちんと確認していなかったある班のコンロから炎が発生したんだ。その日の実習内容は揚げ物で、みるみるうちに火は大きくなっていった

先生も突然のことで驚いてしまったんでしょうね。炎を消そうとすることなく、私たち生徒を誘導し、スプリンクラーを頼って急いで避難を開始しました

けど、えいちゃんが保健室で休んでいたことは把握していなかった。それに保健の先生はその日休みで、たった一人アイツは保健室にいたんだ

休むべく睡眠をとっていた彼は、目を覚ますことなく……永遠の眠りについてしまいました……

保健室……。

俺がさっき見た不思議な記憶は、それなんじゃ……。

その日を境に、私は保健の先生になることを誓いました。彼のような存在を二度と生み出さないように

俺はアイツの昔からの夢だった先生になるって想いを勝手に継いだんだ。アイツの分まで叶えてやろうと思ってさ

私は今でも後悔しているんです。私が彼と一緒に保健室に行っていたら、彼は死ななかったかもしれない。今もずっと、一緒に生きていたかもしれないんだから……

胸に秘めていた過去を言い終えた二人は今にも泣き出しそうなほどに、重たい表情をしていた。

振り返るにしては辛い過去だろう。

けど、俺にとって――。

はは……、なんてこった……それ、
俺じゃねーか……

じんわりと涙が浮かんでくる。

零れていく雫は、
あの日を境に全く流せなかったモノだ。

不意に濡れた目尻から落ちていく無数の雫は顎を濡らして、更には首元を濡らし続けた。

いくら拭っても乾くことのない目尻に触れながら、
ゆっくりと目を開く。

――そこには見たことがない男の子が
立ち尽くしていた。

保健室の風景ではなくって、神々しく輝く空間に。

それは昔の自分とそっくりで……。

真っ白で、怪我も、
火災の際の時の煙の汚れも何もなかった。

そう、死に逝く前の自分。

生きてたら、
僕はこんな先生になってたんだな

あぁ、そうだよ。
あの日死なずに今の今まで生きてたら、な

ふふっ、大人になった僕を観れるなんて
考えてもいなかったよ

俺もだ。っても……これは
仮初の姿なんだけどな……

仮初? 僕じゃないの?

……この姿は俺であって俺じゃない。
俺はお前と一緒に……天国に行って、
この体は……元の奴に返してあげなきゃ

返すって、なんで……
ずっと生きてたいじゃんか! 大人になって結婚もして、子供もよ……

バーカ。それをやるのは俺じゃない、
コイツだよ。だから、ほら……俺らは帰るぞ

昔の自分の手を掴んで、俺は道なき道へと歩み出した。

目映い光が差し込む、その先へ――。

新堂先生? 大丈夫ですか

えっ……あっ、俺は……

よかった、新堂先生
……無事でしたか、って……え?

俺、新堂じゃないですよ。
新橋英輔、です……

新橋……?

そう、新橋英輔。
今年から赴任することになりました
……って、あれ?

新堂英輔はあの日死んだ俺だった。

新橋英輔は……俺が教師になる夢に突き動かされて
借りた仮初の体。

俺は、先生として生きてみたくて彼の体を
借りたけれど、やっぱりそれじゃいけないか――。

また今度、生まれ変わった時に会いに来よう。

さようなら

俺の親友

誰にも聴こえないさようなら

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