俺の知り合いが卒業をした中学校だという。

駅から徒歩十分とほど近いにも関わらず緑に溢れていて、空気がとても美味しい。

過去に火災が起こった校舎からは想像もできないほど、綺麗な校舎だった。

教師人生一年目か――嬉しいような、緊張でいっぱいなような

溜息交じりに門をくぐった俺は
新堂英輔(しんどうえいすけ)、新米教師だ。

ここ10年前に新しく造り直されたばかりの校舎が俺を見下ろしていた。

新設前の校舎は火事で焼けてしまったと、
事前に校長先生から聞いている。

真っ白で汚れが一つとしてなく、
……なんとなく違和感を覚えたんだ。

っても、一部燃えずに残ってくれてた校舎はそのままの形で修理をしてもなお利用。
旧校舎だなんて呼ばれて、生徒たちには少し怖がられている、なんて話を聞いたな

そこだけは木造建築になっていて、
所々舗装はされてはいるけれど、不思議と黒ずんだ跡が残っているみたいだった。

ましてや耳に入ってくる下校途中の生徒たちの会話。
それは不思議な話で――。

学校火災で一人だけ死んじゃった生徒。
その子は今でも死んだことに気が付かなくて、学校中を彷徨ってる、か……

(そんなことが実際にあるのかどうか……)

いや、――ないか。

新校舎に足を運べば、まだ生徒たちが数人残っていて、次から次へと会釈や挨拶をしてくれる。

(しっかりとした教育を受けてるんだな)

突然来訪した俺に驚くこともなく自然な様子を見せた。

始業式から、俺はここの先生になるのか

通り過ぎていく生徒たちのなかに、
たまーに不思議そうに俺を見つめる子供がいる。

どうかしたか? 
なんて言葉をかけたくても、ちょっとまだ恥ずかしい。

こんなんで先生なんてやってけんのかねぇ

生徒の目につかないように空き教室に入った。

来年度から使う予定なのか真緑色の黒板にはチョークが綺麗に並ぶ。

机も30人ほどの物が並んでいて、
壁には既に発行済みの学校新聞が飾られていて、黒板には

『おめでとう』の文字。

進級ムードが窺える。

学校なんてどこも同じかと思っていたけれど、それは不思議と違っていて――各学校ごとに特徴があるようにも感じた。

そう思いながらも、不思議と懐かしく感じたんだ。

教室の香り、窓枠から見渡す風景、
校庭の騒がしい様子。

初めて来たはずだってのに、懐かしいものばかり。

どうしてだ?

軽く椅子を拝借して座り込んでみる。

誰もいない空間、静寂が包む教室内。
廊下の声も何も届かない。

自分だけがこの世界にいるんじゃないかと
不安に思いながらも、その場から離れられなかった。

いや、離れることが出来なかった。

何かを忘れているような気がして――。

あの、新年度から赴任された新堂英輔先生、ですか?

えっ、あっ、はい、そうです!

とっさに呼ばれた声に大きく反応しながら、
俺は頭を下げた。

やべっ、すぐに職員室に行くべきだったか!

後悔しながら、頭を上げざまに言葉を紡いだ。

きっと校長先生や教頭先生を
待たせてしまっているんだろう。

新任の先生は遅刻癖がある。
なんて思われてしまったら、大変だ。

これからの仕事に支障が出るぞ――

すみません、今から挨拶に向かいます!

あれ……もしかして、えい、ちゃん……?

はい? 何を言ってるんですか……って、
ちょっ、と、離して下さい!

えいちゃん、どうして

俺の話を聞かずに、その人は突然抱き付いてきた。

ギュッと胸にうずくまる彼を見下ろす。

俺よりも小さいんだけど……男、だよな?

しっかりとした力で体全体を抱き締められて、
俺はただただ――。

驚いてる!!

離すこともなく、その姿は懐かしむように見えて、
誰かと勘違いをしているんだろうか。

初めて見たその人は、今にも泣き出しそうに体を震わせながらも、俺の顔を見ようとはしなかった。

あの、俺、会ったことありましたっけ?

慎重に言葉を選びながら、体重を掛けられた体を揺らさないように言葉を発した。

なんか、ここで場の空気を壊すのも申し訳ないというか……

どうすればいいのか分からないまま、
抱き締められ続けていた。

こんな瞬間を誰かに見られたら
色々と勘違いをされそうだけどな。

グッと誰も通るな…! 
と心から祈りながら、俺は待った。

彼が満足するまで――。

ドキドキと響く心拍数が
少しずつスピードを上げていく。

男同士で抱擁をしているって行いにじゃなくて、
なんだか懐かしい……温もりを感じるんだ。

心がそう叫んでる。懐かしいと。

以前にも何度も感じたことのあるこの人の熱と、
聞いたことのある声。

初めてじゃ、ない……?

脳内で過去の記憶をグルグルと掻き混ぜながら、
思い出そうとする。

この人との出会い、会話、別れ、全てを――。
いや、何も思い出せない。

彼との記憶なんて、やっぱりないんだ。

……ごめんなさい、突然、こんな……

あっ、いや、別に……俺は

すっと離れていく男の人は目を真っ赤にして、
俺の目を直視した。

何かを見定めて、一挙一動を確かめるように。

本当にごめんなさい。何だか勘違いをしていたみたいで……

気にしないで下さい。俺は大丈夫だ、
……いや、大丈夫ですから

ごめんなさい。

……えっと、俺は
相嶋優也です。これから一緒に頑張りましょう、新堂英輔先生

はいっ! 相嶋先生、宜しくお願いします

相嶋先生……。

相嶋?

呼びながらちょっとした違和感に気付く。

違う……こうじゃない――って。

彼に対する呼び名は相嶋じゃない。優也な気がする。

新堂先生、英輔先生と呼ばせて頂いても
大丈夫でしょうか?

えいすけ……? はい、お願いします

俺のことも、優也で大丈夫ですから

分かりました。
優也先生って呼ばせてもらいますね

そう、これで違和感が無くなる。

初対面のはずなのに、呼び名に違和感を感じるのはどうかと思うし、優也先生と呼ぶのはどうかと思う。

けれど、……やっぱり懐かしい。

不思議と心の底が暖かくなって、
ちょっとだけ嬉しくなった。

でも気恥ずかしいですね、
名前で先生呼びなんて……昔はこんなことになるなんて思ってもいませんでしたけど

昔……? 
俺は優也先生とは初めて会ったんじゃ……

あっ、いや、……違うんです。
そういうことじゃなくて……すみません、
なんでもないです

ちょっ! 優也先生!

寂しげに呟いた彼を見ると、顔をしかめさせて
今にも溢れそうな涙を堪えているよう。

何か傷付けるようなことを
言ってしまったんだろうか……。

悩ましげにしていると、
申し訳なさそうに俺を見る彼の瞳に気付いた。

その目は『何も悪くないよ』
そう物語っている気さえして、優しさを感じる。

ごめんね、親友だった奴に似てたからさ、
つい……さっきも抱き締めちゃって

親友だった? 
喧嘩別れとかしちゃったんですか?

昔を思い出すように眼を細めるも、
まだまだ悲しそうで……。

喧嘩なんてしたことがなかったんですよ。
それに喧嘩別れならまだ会える可能性があるわけじゃないですか――

それはそうですけど……その、
もう何があっても会えないんですか?

えぇ、会えませんよ。だって、彼はもう……

……

……っ、……ごめん

ジワリと涙を零しながら、
何度も何度も俺に謝ってくる。

その度にやっぱり申し訳なさを感じてしまう。

俺、来ないほうがよかったんじゃ……

優也先生とともに職員室へ続く廊下を歩けば、
更に懐かしく感じてきた。

初めてきたはずなのに、もう何度も何度もこの場所を
歩いては、走ったこともあって、
怒られた記憶が蘇る――。

蘇る……? そんなわけないだろ

来たばっかりの学校、教室、廊下。

周囲を見渡しても見たことがない生徒ばかりにも関わらず、どうしてか懐かしくもあり、楽しかった思い出が胸を膨らませているような気がしてくる。

なんだって、こんな……! 
うぅっ……うっ、っ、アアっ!

胸のふくらみが幸せに感じているような気がするのに、どんどん頭が痛くなる。

キュッと締め付けられるように、
頭全体が痛めつけられているみたいで。

次々と
見たこともない記憶が逡巡と駆け巡っていくんだ。

緑の道を抜けて真っ白な校舎が俺を見下ろす景色。

美味しそうな香りが鼻をくすぐって、
汚れが一つとしてないまっさらなシーツが皺を生む。

けれど世界は一変して、
真っ赤に覆われたなか焼け付くような痛みと鼻腔を刺激する煙。

漏れ出す空気ばかりで呼吸をしようにも喉が痛くて、
今にも涙が零れ落ちてしまいそうになる。

ごーっごーっとたくさんの場所で火が起こっているような音が大量に耳に届いて、人の悲鳴がかき消されているみたいだ。

助けを呼ぼうとも自分の声も掻き消されて、ついには声を出せなくなったまま倒れ込んだんだ。

真っ白だった保健室から出ることなく、真っ赤に燃え広がった空間から逃げられないまま――ずっと。

ねえ、英輔先生! 大丈夫、生きてる!?

っ、ううっ……な、んだ、今のは……! ……って、へへ、生きてますよ?

よかったああ! うん、安心しました! 
突然苦しみ出したから、
どうしたものかと……

いや、すみません……なんだか、
急に……うわっ!

ちょっ、ほんとに大丈夫ですか!?

立ち眩んだ体を支えるように優也先生の腕が入る。

突然現実に引き戻されて、
訳が分からないまま足は動きを止めた。

何を思い返そうにも、
あの日感じた熱がまだ体を恐怖に染め上げ続ける。

ごめん、平気……なんだ、けどさ……
保健室、行きたい、です……

いいよ、行こう! 保健室!

優也先生に腕を引かれて
俺はゆっくりと保健室に向かう。

その間も気分がすぐれずに、
記憶にどんどん蝕まれていく。

今にも死んでしまいそうなほどの痛みが
全身を駆け巡って、少しずつ意識が遠退いていくような感覚。

ぼくとキミとが再会したようです

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