――シーエッグ 公園――

幸也

おーい、テト~。ご飯だよ~

瑞留

……お前その気色悪い声どうにかならんのか

幸也

玉慧さんの物真似してるんだよ。似てない?

瑞留

似てない

幸也

そうかなぁ。テト~おいで~


猫がいなくなったという公園の周りを、幸也と一緒に探す。
幸也の指示通り高い声は出さずに目線を落として、狭いところや暗いところを探す。

幸也

テト~


名前は呼んだほうがいいみたいだが、呼びづらい。まあこういうことは頭のいい幸也に任せておけばだいたい何とかなる。経験上。
そう思い周りをつつうろうろしていると、後ろから肩を叩かれた。

椿

何をしてるんですか、瑞留さん

瑞留

……いや、それは俺が言いたいが

椿

私? 私はお買い物に来たらたまたま二人の姿が見えたから

瑞留

……へえ


たまたま通るような場所でもないと思うが。まあ幸也を追って来たのかもしれない。
しかし幸也はともかく、椿に猫の話をするのはどうだろうとためらった。

瑞留

ちょっと、探し物

椿

探し物? 一緒に探しますよ。
何を探してるんですか?

瑞留

いや……

幸也

椿に見つかっちゃったか


助け船というわけじゃないが、そこへ幸也がやってきた。

瑞留

お前の嫁だろ、何とかしろ

幸也

うーん。僕の嫁は頑固者だからなぁ

椿

嫁とか気持ち悪い

瑞留

…………

幸也

はは、メッキが剥がれてるよ

椿

ふふ、そんなことないですよ

瑞留

いや、お前らがそういう性格なのは分かってるから


この二人は外面がいいが、外面だけだ。冷めた顔をしている時の視線の鋭さと毒舌は俺の比じゃない。
椿も幸也が来るまではかなり猫をかぶっていたが、今はそのメッキも中途半端に剥がれている。
善良な二人だなんて思っているのは玉慧だけだ。似たもの同士お似合いだとは思うが。

椿

それで、探し物は?

幸也

猫だよ。テトという名前の猫。この辺りでいなくなったみたい

椿

テトちゃんかぁ。その子を探せばいいんですね? 私、猫は好きですよ。
人間と違って正直だから

幸也

なんで僕を凝視するのかな

瑞留

……まあ何でもいいから、頼む。
早く帰りたい

椿

はーい。テトー、出ておいでー


そうして三人での捜索が始まったが、簡単には見つからなかった。公園から足を伸ばして商業施設のほうも探してみたが、手がかりはなかった。

――シーエッグ ショッピングモール――

幸也

なかなか見つからないなぁ

瑞留

もう誰かに捕まえられたのかもな

幸也

そういう可能性もあるね。かといって施設に問い合わせるのは危険だしなぁ

瑞留

……もう時間も遅いし、明日にするか。
椿は?

幸也

また公園を探してるみたいだけど。
……あ


幸也の視線の先を辿ると、そこには玉慧がいた。

玉慧

探してくれてありがとう

幸也

玉慧さん。水槽に落ちたんだって?
大丈夫だった?

玉慧

うん、全然平気。
水もあんまり飲んでなかったって。一応シャワー浴びてきたから、遅くなってごめん

幸也

平気ならいいんだ。無事でよかったね

瑞留

許可も取らずに悪いとは思ったが、幸也に事情を話した。まあこいつは俺に弱味があるから他の人間には喋らないと思うし……

幸也

うわー、弱味って言っちゃうんだね


ところが俺と幸也の会話を見て、動揺一つせず笑ったのは玉慧だった。

玉慧

幸也はもうテトを知ってるし別にいいよ。
っていうか助かるよ、ありがとう

幸也

え?

瑞留

(知ってたのか?)


意外だと思って横を見るが、幸也も同じように目を見開いて驚いていた。

幸也

……僕、見たことあったっけ?

玉慧

? だってあの時、瑞留の部屋にいたでしょ。あれ、見間違いだった?

幸也

…………いや

瑞留

…………


小さく生唾を呑んだ。
そして横の幸也と目が合う。

玉慧

わたし公園のほうを探してくるよ。テトが逃げていった方角をもう一度たどってくる

瑞留

あ、ああ

幸也

うん。いってらっしゃい

玉慧

あ! 疲れたら先に帰っていいからね!


そう叫んで走って行ってしまった。
が、俺と幸也が気にしていたのはそんなことじゃない。

幸也

……怖いね、気付いてたんだ。
全然そんな素振り見せなかったのに

瑞留

怖ぇのはお前だよ。鍵盗んで部屋に入って暗がりに隠れやがって

幸也

あれはさ、事故だよ。部屋から出ようとしたら猫が入ってきたから咄嗟に隠れただけで

瑞留

そもそも人の部屋にこっそり入るのがおかしいんだよ

幸也

……やだなぁ、その話はもう終わったじゃない? こうやって何でも言うこと聞いてあげてるんだし、チャラにしようよ

瑞留

するわけねーだろ腹黒幸也

『あの時』慌てて俺の部屋から逃げていった玉慧を尻目に、俺は明かりをつけて部屋中を見て回った。

その日俺は、部屋の鍵を紛失していた。どこを探しても見つからなかったので、鍵を取り替えてもらおうと思いながら一度部屋の前に戻った。
するとそこには猫を抱いた玉慧がいたのだった。

状況を見れば『たまたま猫が部屋に入り込んでしまい、玉慧はそれを捕まえた』だけなことは明らかで。そもそも玉慧の性格を考えれば、鍵を盗んで部屋に侵入するなんてことはするはずがなかった。
だから他の誰かが鍵を手に入れ、部屋に入ったのだろう。自分のことを知っている誰かが。
そう思って探れば、相手に逃げ道はなかった。

瑞留

――まあ、お前が何を考えて何をしようとしてるのかなんてどうでもいいけど

幸也

そうだよね、瑞留ってそういう奴だもんなぁ

瑞留

もう部屋には入るなよクソ野郎

幸也

……瑞留は綺麗なものが好きだけど、言葉遣いはちっとも綺麗じゃないよなぁ

――シーエッグ 公園――

俺と幸也がもう一度公園に足を踏み入れたその頃には、玉慧はテトを見つけていた。
3メートルほどの距離をとり、じっと見つめ合っている。

玉慧

テト、ご飯食べる?


取り出したのは煮干しだった。ふんふんと匂いを嗅いで、テトが寄ってくる。
そして玉慧の手から煮干しを食べた。ゆっくりと、味わうように。

瑞留

(本当に飼ってたんだな)


お互いに落ち着いた様子がそれを表しているように思った。

瑞留

食べてるうちに捕まえたほうがいいんじゃないのか


小声で言うが、玉慧は困ったように俯いた。

玉慧

捕まえても、いいのかな

瑞留

そのために探したんだろうが

玉慧

捕まえて、閉じ込めたかったわけじゃない……

瑞留

うぜぇ。だったら改善しろ

玉慧

改善――


煮干しを食べ終わった後、テトは嬉しそうに玉慧にすり寄った。玉慧も嬉しそうに抱きかかえ、そのままテトの捜索は終わったのだった。

――シーエッグ 教室――

先生

いや、猫の毛はすごいね。
一度ついたらなかなか取れない

玉慧

すみません

先生

いやいや、いいんだけどね。
次からはケージを用意しておこう


先生はそう言いながら笑顔で体についた毛をはたき落とす。
先生は一切の体毛がない無毛フリークなので、動物の毛を嫌うのは仕方がない。今かぶっているカツラも教頭に言われて嫌々つけているくらいだから。

先生

まあしばらくは学校で保護ということになるけれど、その間の面倒は君にみてもらうから

玉慧

はい

先生

飼育の許可が下りるように働きかけておくから、今はこれで我慢してくれ

玉慧

十分です。ありがとうございました


この短期間で。
自分の玉慧に対する見方は変わった、変えられてしまった。
自分の改善という言葉にすぐ解決策を見つけてくると思わなかったし、何よりも――。

玉慧

瑞留も、ありがとう。
今まで瑞留は怖くて態度が悪くて嫌なヤツとばかり思ってたけど、そんなことなかったね

瑞留

…………。
生臭い。ちゃんと風呂に入ったのかよ

玉慧

…………嫌なヤツだけどね

幸也

やっぱりパートナー候補は相性がいいんだな

椿

こっち見ないで

瑞留

(いいとも思えないが。でも)

それとは違う、妙な感覚があった。
水面が耳元でさざめいている感じがする。
大量の泡がその音を包み込み、そのまま俺の身体をも包み込んでいった。
そのまま流れ着くのは海の果てか、海底か。

『海の卵』の中に住む俺達には、その感覚が分からない。ここが地上なのか、それとも海の中なのか。

境界線は曖昧だ。
自分と他人との境界も。
好きと嫌いの境界も。
それが思い込みではないと誰に言えるのか。

床に落ち、足をもがれて傷ついた人形を見て、自分が激昂しなかったのは自身でも不思議だった。
大切な人形なのに。
一つ一つを愛し、誰の目からも隠して守ってきたのに。
けれど不思議なことに思ったのだ。

瑞留

(綺麗だ)


人形の白い肌をえぐった傷跡も、絡まった髪の毛も、妙に儚く、美しく見えた。

瑞留

(俺は人形なら何でもよかったのか?)


分からなかった。
美しくきらめく瞳に吸い寄せられるように人形を抱き上げたが、答えは出なかった。

境界線はあいまいだ。
何が美しく、何が醜いかなんて誰に決められるだろう。
時により変化し、朽ちていく。
目線が変わるだけで姿形さえ別物になる。

誰がどういう人間で

椿

私、猫は好きですよ。人間と違って正直だから


どういう風に生きて

幸也

そうだよね、瑞留ってそういう奴だもんなぁ


何を考えているのかなんて

玉慧

ごめんなさい……

瑞留

(分からない)


何もかも、分からなくなった。
俺が引いたはずの線が水に滲んでぼやけていく。
混ざり合い消えていく。
そうなるともう、どこに線を引いたらいいのか分からない。

頭の中がぐちゃぐちゃになった日は、とにかく風呂に入る。
頭の先からつま先まで綺麗に洗い、服は洗濯に出す。部屋の掃除をし、家具や人形の手入れをする。ほどよく疲れを感じたところでもう一度シャワーを浴び、ベッドに入る。

するとそのまま眠気が襲ってきて、閉じた瞼の裏にぼんやりとした光を見る。
それが夢なのか現実なのかは分からない。
境界はあいまいだ。
分からないまま、夢の中にとけていく。そこに線引きなんてものはなかった。
自分と他人の境さえ、分からなくなってしまうのだから。

水面の境界線 第二話 『瑞留』 後編

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