駅についてから、ようやく電車が動いているはずがないことを思い出した。
 毎朝いやになるほど混雑している駅には当然誰もいない。電気もついておらず、日陰になっているホームは薄暗かった。
 少し考えればわかることだ。セカイには、もう二人だけしかいないのだ。いったい誰が電車を動かしてくれるっていうんだ。
 僕は彼女が運転席に座っていることを想像してみた。似合わない制帽の下の、困ったような表情が少し滑稽だった。僕は少し笑った。
 

 馬鹿馬鹿しい。こんなことをしていたってどうなるわけじゃないんだ。他に方法がないなら歩いていくしかない。
 

 いつもならすべてがせわしなく動き回っているような朝の時間帯――たぶんそうなんだろう、家を出てから結構な時間がたったにもかかわらず、太陽は相変わらず低い位置から動いていなかった――僕は線路の上を歩いている。
 普段なら入ってはいけないところを歩くのは落ち着かないものだ。来るはずのない列車が来るんじゃないかと何度も振り返りながら歩く。
 見慣れているはずの線路沿いの景色がひどくゆっくり通り過ぎていく。どうしてここに生えているか、ぽつりとひまわりが一本、太陽にむかって鎌首をもたげようとしていた。
 まだその位置からじゃ、太陽は見えないんだろう――まだ?

 そのひまわりは決して立派だとは言えなかった。背だって僕の腰ぐらいまでしかない。
 それがなんだっていうんだ。そのひまわりは――何のかかわりもない花に対してここまで言うのもおかしいかもしれないけど――懸命に背伸びをしているように見えた。
 この見栄えのしないひまわりはいつか太陽を見つけられるんだろうか? まさか。
 
 
 どうやら僕の直観は裏切られなかったようで、道の途中にあった時計はすべて止まっていた。一つ残らず同じ時刻を指したまま。
 ひまわりはもう二度と日光を浴びることもないだろうし、雨にぬれることもない。
 風に倒されることも、ちょうど今の僕のように、たまたま見つけた誰かに見られることもない。
 
 
 花弁に手を伸ばす。
 思っていたよりも、それはずっと乾燥していた。

 だからなんだっていうんだ。僕は再び歩き出した。
 時間は止まってしまったようだった。比喩ではなく、推測として。
 こちらに歩調を合わせる自分の影を除いては他に動くものもない。
 夏とはいっても、この時間ならまだそれほど日差しも強くはなく、気温だって風さえあれば涼しいと感じられるほどだった。
 もちろん風なんて吹いちゃいないんだけれど。僕はひたいの汗をぬぐった。
 もし、真昼にセカイが止まってしまったとしたら。
 僕は暑さに強いわけじゃない。想像したくもなかった。
 
 
 いつもならば開いた文庫本をたいして読み進めるまでもなくついてしまうけれど、歩いてではずいぶんとかかってしまった。汗まみれのシャツが張り付いて気持ち悪い。
 ぬるいスポーツドリンクを一口含む。途中の駅の自動販売機はどれも動いていなかったから、わざわざ家から持ってきて正解だった。
 一度、自動販売機を壊してみたかったのだけれど。何が必要だろうか? バットか、あるいはなにか丈夫な工具みたいなものか。
 

 最寄りの駅から学校までは大した距離じゃない。しょうもないことを考えているうちについてしまう。
 彼女はそこにいるんだろうか? まぁ。いなかったらいなかったでしょうがない。
 
 
 僕にはあいつが何を考えて、セカイなんてものを終わらせてしまおうとしたのかさっぱりわかっていなかった。
 お互いにそういう話はほとんどしなかった。でももしかしたら、あいつは僕が考えていたことを了解していたのかもしれない。そう思えるほど彼女は僕の理想を体現していた。校舎に入る扉の鍵は一か所だけ開いていた。思わず安堵の溜息をつく。彼女は来ているのだ。
 彼女がそれを願ったのは僕と同じ理由からかも知れなかったし、ひょっとすると全然違うのかもしれない。
 あいつには、ほんの気まぐれでとてつもないことをしてしまいそうなふわふわとしたところがあったから、別段何も考えていなかったのかも。

 さすがにそれはないかな。建物の中は外に比べればまだ涼しかった。分厚い壁が熱をさえぎってくれるからだ。
 彼女は聡明だった。たとえいくらか、天然と評してもおかしくはないところがあったとしても。
 なにより彼女は約束を守ったのだ。絵空事のような約束を。僕は少しだけ足を速めた。
 

 屋上の、少しくすんだ白い床が反射する陽光は目に痛かった。彼女は朝日を背負うように立っていた。

「やあ。おはよう」

 こんな時に僕の口から出てきたのはなんてことない挨拶だった。あるいはもっとこの場にふさわしい、何か感動的な言葉があったのかもしれないけれど、思いつかないものは仕方がない。

おはよう。いい天気ね

 彼女はごく自然に挨拶を返してくれた。不自然なほど自然で、何一ついつもと変わらない。昨日とも一昨日とも変わらない態度だった。もしかしたら、『おはよう』だなんて言葉を二度と口にすることはないかもしれないことを忘れてしまうような。
 彼女にとってはセカイが終わってしまうことなんて、どうでもいいことなのかもしれない。

 それとも、僕と同じように強がっているんだろうか?

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