本当にセカイは終わってしまったのだ。

 そのことに気がついたのは朝、目が覚めたまさにその時だった。セカイが昨日までのそれからその姿を変えてしまったことが、僕にはすっかりわかってしまっていた。
 寝ぼけているわけじゃない。大成功だった。
 
 やはり彼女は本物だったのだ。
 何を考えているのかわからないような、どこか遠くを見るような視線を思い出す。ひどく印象的な眼。
 
 少なくとも、あいつは約束を破るような奴じゃなかったってことだ。
 僕にとってはそれだけで十分だった。なにも彼女とお友達になろうってわけじゃないんだ。

 僕はベッドから起き上がった。頭では分かっていても、セカイがどう変わってしまったか、この目で見たかったのだ。こんなにもわくわくするなんて。
 自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。はやる気持ちに苦笑いしながらゆっくりとカーテンを開けた。

 青い空を背景に、遠くへ続いていく屋根たちと、それをつなぐような電線。いくつかの雲。
 期待していたほど変化があるわけじゃなかった。新しいとは言えないマンションの4階から見える風景は、いつもとほとんど変わらない――ほんとうに?
 たしかに景色は見慣れたものだった。でも、明らかに何かが違う。

 静かすぎる。音がないんだ。

 普段なら聞こえてくるはずの、耳障りな音――誰かが話す声、車のエンジン、洗濯機の動作音――そういったものがまるでない。
 不気味なほど静かで、でもそれは嫌いじゃなかった。
 当たり前のことだった。もう、僕と彼女しかいないんだ。セカイは深い、澄んだ水の底に沈んでしまったようだった。ほとんど動くものもない。
 まだ朝早いとはいっても、8月のなかば。目を凝らせば、日差しを受けたアスファルトに陽炎が揺らいでいた。
 ただそれだけだった。

 そろそろ行かなくちゃならないな。
 どれくらいそうしていたんだろうか。僕は振りかえった。時計の針は、僕が起きたちょうどその時間のまま動かなくなっていた。
 これじゃあ時間がわからないじゃないか。全てが終わってしまったそのあとで、僕はもう一度だけあいつに会っておくつもりだった。
 彼女はいつも決まった時間にそこにいた。僕にはこの時計だけじゃなく、このセカイの時計すべてがもうその役目を果たせなくなってしまったんだろう確信があった。
 
 なんにしろ、とにかく行ってみるしかない。僕は待つことがあんまり好きじゃないし、人を待たせることも同じだった。そのせいで、誰かといっしょに何かをするのは得意じゃなかった。
 もうそんなことする必要はないんだけれど、制服に着替える。パジャマのままっていうのも格好がつかないし、だからといって今までの習慣を変えてまで着たい服があるわけじゃない。
 
 そういえば僕はまだ、彼女の名前さえ知らないことを思い出した。短いわけではない時間を一緒に過ごしたにもかかわらず、名前を聞きさえしなかったことがなんだかおかしかった。
 でも、たった2人っきりになってしまったセカイで果たして、そんなものが重要なんだろうか?
 僕は扉に手をかけた。
 
 彼女がやって来た時のことを思い出す。まったく、冗談みたいな話だった。その女の子は、一人でぼんやりと空を見上げていた僕の目の前にあらわれると、唐突にこう言ってのけたのだ。

――ねぇ、セカイを終わらせてみたいと、
             そう思わない?


 その声はあまりにも自然で、しばらくの間、僕には彼女が何を言ったのかわからなかったほどだった。無邪気とそう形容するしかない、子供じみた表情。彼女は微笑んでさえいたんだ。
 少し肩をすくめる。あんまりにも出来すぎていて、いまでもとても現実のこととは思えなかった。

 とはいえ、実際にこうして彼女は僕との約束を果たし、セカイは終わってしまった。大切なことはそれだけだった。
 
 
 僕は扉を開け、彼女に初めて会った場所――学校の屋上へ向かった。
 まぁ、こういう時のお約束みたいなものだ。

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