ガルルルッ

 ライオンの牙は深く騎士野に突き刺さり、
騎士野を捕らえて離そうとしない。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

あっ……ぐっ……!

姫野 葵(ひめの あおい)

騎士野オォーッッ!!


 俺は叫びながら騎士野に駆け寄ろうとする。
しかし、不意に冷静になって足を止めた。

姫野 葵(ひめの あおい)

(素手でライオンに立ち向かって
勝てるわけがないだろう。
何か武器になる物を探さないと)


 周囲を見渡して、ある事に気づいた。

生徒A

…………

生徒B

…………

 その辺の芝生で弁当を広げている生徒たちの動きが
ピタリと止まっている。


 それだけじゃない。
俺たちの周辺の時がすべて止まっているのだ。

姫野 葵(ひめの あおい)

(どういうことなんだ、これは?)


 その瞬間、騎士野の悲痛な叫び声が耳をつんざいた。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

ギャアアアーッ!

 無残にも、騎士野の片腕は
ライオンに食いちぎられてしまったのだ!

女の子

フハハハッ!
食い尽くしてしまえ、
アリアンロッド!!

姫野 葵(ひめの あおい)

どうしてこんな事をするんだ!
騎士野を放せ!

女の子

どうして、じゃと?
ワシと姫の誓約のキスを、
こやつが邪魔したからに決まっておろう

姫野 葵(ひめの あおい)

さっきからキミは
何を言っているんだ?

女の子

ふむ。
姿だけは前世に戻ったようじゃが、
記憶はまだのようじゃな

姫野 葵(ひめの あおい)

そんな話は後で聞いてやる!
それよりもライオンを引っ込めろ!

女の子

ふふ。
それは聞けぬ願いじゃな

姫野 葵(ひめの あおい)

(話し合っても無駄か。
こうなったらこの女の子を、
力づくで止めるしかない)


 俺が女の子に飛びかかろうとした時、
騎士野のうめき声が聞こえた。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

ううっ……姫、様……。
早く、あなたの血を、私に……
くだ、さい……

姫野 葵(ひめの あおい)

俺の血?
この期に及んで、
まだそんな馬鹿な話をしているのか?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

いいから……早く……っ!
ギャアアッ!!


 今度は騎士野の太ももが食いちぎられる。

姫野 葵(ひめの あおい)

(一体どうなっているんだ?
理解が追いつかないほど、
常識を逸脱した不可解な出来事が
起きすぎだ!)

女の子

姫!
絶対に生き血を渡してはならぬぞ!

姫野 葵(ひめの あおい)

なぜだ?

女の子

理由を教える必要は無い。
もし騎士に生き血を渡すことがあれば、
姫とて容赦はせぬからな

姫野 葵(ひめの あおい)

(騎士野に手を貸しても、
面倒な事に巻き込まれるだけだ。
だが、目の前で苦しんでいる人間を
見捨てるというのか?)

騎士野 流遊(きしの るゆう)

姫様あああぁぁー!!


 騎士野は半身を切り裂かれながらも、
瞳に涙を溜めて俺を見ている。


 そして俺は、決心した。


 近くに有った大きめの石を持ち上げて、
校舎のガラス窓を割る。


 そしてガラスの破片を拾うと、
それを手首にあてた。

女の子

やめるんじゃ姫!

姫野 葵(ひめの あおい)

クッ……!


 お構い無しに、俺は思い切りをつけて
ガラスの破片で手首を掻っ切った。


 予想だにしなかったほどの大量の血液が、
手首から溢れ出る。

姫野 葵(ひめの あおい)

(クソッ、こんな程度で
頭がクラクラとするとは)


 肩で息をしている騎士野の前まで、
倒れこむように駆け寄る。

姫野 葵(ひめの あおい)

ほら、騎士野……。
これでいい、のか……?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

あなた様を信じて良かった……


 騎士野が俺の手首に手を伸ばすと、
今までとは比べ物にならないほど
驚くべきことが起こった。

 騎士野が血に触れた途端、
その身体は光りのような炎を放ち、
ちぎれたはずの片腕や太ももが復元を始めたのだ。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

姫様、もう少し血を拝借します

姫野 葵(ひめの あおい)

あ、ああ……


 騎士野は俺の手首を握ると、
流れ出る血を剣の形へと変えてしまった。


 騎士野はその剣を構え、ライオンに飛び掛かる。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

幻惑魔術により生まれし野獣よ、
覚悟!!


 ライオンが逃げる間もなく、
騎士野の剣はライオンをバッサリと切り裂いた。


 騎士野の攻撃によって
全身が真っ二つに割れたライオンは……。


 キラキラとした粒子を振りまき、
元のぬいぐるみへと戻ってしまったのだった。

 

ポテンッ

女の子

アリアンロッドー!!


 切り裂かれて綿がはみ出しているぬいぐるみに、
女の子が駆け寄る。

女の子

ワシの魔術が破られてしまうとは……。
覚えておれよ!


 女の子はボロボロのぬいぐるみを抱きかかえ、
その場から走り去ってしまった。


姫野 葵(ひめの あおい)

終わった、のか……?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

姫様……?
姫様!?


 多量の血を流し続けながら、
俺は意識を失った。



 あれから、どれくらい経ったのだろうか。
俺は保健室のベッドの上で目を覚ました。

姫野 葵(ひめの あおい)

んんっ……


 中庭での出来事を思い出し、
気を失った沙希が心配になって身体を起こす。


 すると、すぐ隣りのベッドで
気持ちよさげに寝息を立てている沙希を発見した。

只野 沙希(ただの さき)

ムニャ、葵ぃ……

姫野 葵(ひめの あおい)

(良かった……。
無事だったのか)

医師野 桐生(いしの きりゅう)

よう、お姫さん。
お目覚めかい?

姫野 葵(ひめの あおい)

お、お姫さん?


 保健医の医師野先生が
俺を『お姫様』と呼ぶのに驚くのも束の間、


自分が出した声によって
身体が女のままであるのを悟る。

医師野 桐生(いしの きりゅう)

騎士野が大慌てで
お姫さんを担いできてさ

医師野 桐生(いしの きりゅう)

お姫さんときたらドバドバ
血ぃ流してんだもんなあ。
驚いちまったぜ

姫野 葵(ひめの あおい)

(そうだ、俺は手首を切ったんだ)


 ハッとして自分の手首を確かめる。

姫野 葵(ひめの あおい)

(どういうことだ?
血が止まっているどころか、
手首には傷が一つもついていない)

医師野 桐生(いしの きりゅう)

回復が早すぎて驚いてんのか?
騎士野が言ってたもんなあ、
前世の記憶がまだ戻ってねえって


 そう言いながらも医師野先生はベッドに乗り、
俺に顔を近づけてきた。

姫野 葵(ひめの あおい)

あの、近いんですが

医師野 桐生(いしの きりゅう)

俺はな、前世では
王族の専属医だったんだよ

医師野 桐生(いしの きりゅう)

お姫さんは覚えてねえだろうけど、
血を流すたびに回復魔法を
かけてやってたんだぜ?


 石野先生にペロリと耳を舐められる。

姫野 葵(ひめの あおい)

ひっ!


 全身に鳥肌が立った俺は、
全力で医師野先生を押しのけた。

姫野 葵(ひめの あおい)

前世設定はもうわかりました!
諦めて受け入れます!

姫野 葵(ひめの あおい)

ですが、なぜ耳を舐める
必要があるんですか?
王宮の医師が姫に
セクハラをしてもいいんですか?!

医師野 桐生(いしの きりゅう)

はははっ。
お姫さんが寝てる間に
もっとすごい事したんだけどねえ?

姫野 葵(ひめの あおい)

すごい……こと……?

医師野 桐生(いしの きりゅう)

そりゃもう、
口では言えないくらいに
ヤラシーことを

姫野 葵(ひめの あおい)

俺に何をした?!
はっきりと言え!

医師野 桐生(いしの きりゅう)

お姫さんの貧血ってのは特殊でね。
一般的な医療技術じゃ
回復させることが不可能なんだよ

医師野 桐生(いしの きりゅう)

だから俺が高等魔法をかけてやった、
っていうこったな

姫野 葵(ひめの あおい)

そんな事を
聞いているんじゃない!

医師野 桐生(いしの きりゅう)

照れるなって。
それより、久しぶりの再会なんだから
感動の抱擁といこうぜ

姫野 葵(ひめの あおい)

ち、近寄るな!
そもそも俺は身体が女になっているが、
中身は男なんだぞ!

医師野 桐生(いしの きりゅう)

あ、俺はそういうの気にしないから。
お姫さんも、葵くんも、
どっちもイケるし

姫野 葵(ひめの あおい)

な、何を考えているんだお前は!
まさか、こんな変態教師だったとは……


 授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったかと思うと、
壮絶な足音がこちらへ近づいて来た。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

医師野!
姫様から離れなさい!



医師野 桐生(いしの きりゅう)

チッ、もう授業が終わっちまったか


 騎士野の鋭い眼差しを受け、
医師野先生は渋々俺から離れる。

姫野 葵(ひめの あおい)

(た、助かった。
しかし、女子に守られるとは情けない……)

騎士野 流遊(きしの るゆう)

姫様、遅れて申し訳ございません。
ご無事でしたか?
お怪我は大丈夫ですか?


 ベッドに腰掛ける俺の前に、
騎士野がひざまずく。


 騎士野があまりにも悲壮な顔で見上げるものだから、
思わず笑ってしまった。

姫野 葵(ひめの あおい)

ははっ。
そんなに心配しなくても大丈夫だ。
ほら……


 手首を見せてやると、
騎士野は心底安心したように胸を撫で下ろした。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

良かった。
医師野から授業に出席しろと言われて
追い出されましたが、
正直なところ不安だったのです

騎士野 流遊(きしの るゆう)

医師野は前世では
有能な医者でありましたが、
現世ではこの体たらく

騎士野 流遊(きしの るゆう)

魔力が鈍って性欲だけが強い
単なるクズになったのではないかと、
気が気でなくて……

医師野 桐生(いしの きりゅう)

おーい。
悪口なら本人に
聞こえない所で言えよ~?

姫野 葵(ひめの あおい)

なあ。
少し質問をしても
いいだろうか?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

はい、なんなりと

姫野 葵(ひめの あおい)

俺を『姫』と呼ぶ人間が三人も現れ、
俺が女の身体になっている以上、
お前の前世設定を認めざるを得ない

姫野 葵(ひめの あおい)

しかし、中庭で起こった事は
どうにも理解ができないんだが

騎士野 流遊(きしの るゆう)

あの少女は、
前世から姫様を狙っていた敵国の王です。
現世では『王野 真帆(おうの まほ)』と
名乗る、幻惑魔法の使い手なのです

姫野 葵(ひめの あおい)

幻惑魔法……?
あの蛇も、ライオンも、
幻だったというのか?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

はい。
私の肉体が食いちぎられたように
見えたのも、
すべて錯覚です

姫野 葵(ひめの あおい)

どうしてその術を
破ることが出来たんだ?

医師野 桐生(いしの きりゅう)

それはお姫さんの
生き血の効力ってやつだな

姫野 葵(ひめの あおい)

俺の生き血?

医師野 桐生(いしの きりゅう)

騎士野と誓約のキスを交わしたから、
お姫さんの血は
騎士野に利益をもたらした

医師野 桐生(いしの きりゅう)

もし王野とキスしていたら、
王野にとって都合のいい効力を
発揮していただろうな

姫野 葵(ひめの あおい)

それで騎士野は、
命を懸けてまで
王野と俺のキスを阻止したのか

騎士野 流遊(きしの るゆう)

おっしゃる通りです

姫野 葵(ひめの あおい)

もう一つ質問だが、
周囲の時間が
止まっていたのはなぜだ?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

王野真帆は時間を操る魔術も
会得しています。
結界から外側の時を
止めることができるのです

姫野 葵(ひめの あおい)

何なんだそれは……

医師野 桐生(いしの きりゅう)

ところで、そろそろお姫さんの
身体を戻したらどうだ?
もう放課後だぞ

騎士野 流遊(きしの るゆう)

ああ、そうでしたね。
では、姫様……


 騎士野は立ち上がると、俺の両頬に手を添えた。

姫野 葵(ひめの あおい)

ま、待て。
またキスをする気か?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

はい。
誓約を解くキスです

姫野 葵(ひめの あおい)

恋人ではない者同士で、
何度もキスをするというのは
いかがなものかと思うんだが……

医師野 桐生(いしの きりゅう)

嫌ならしなくてもいいんだぜ?
お姫さんの身体は
そのまんまだけどよ

姫野 葵(ひめの あおい)

それは困る。
女の身体のままでは、
沙希や家族に説明がつかない

姫野 葵(ひめの あおい)

第一、
これからの生活に支障が出る

騎士野 流遊(きしの るゆう)

では、姫様。
よろしいですか?

姫野 葵(ひめの あおい)

うっ


 騎士野の感触の良い手が、
俺の頬にそっと触れる。


 覚悟を決めてじっとしていると、
騎士野は鼻と鼻が擦れ合うほどに顔を近づけてきた。

 騎士野の髪がサラリと流れて、
女の子らしい華やかな香りが鼻腔をくすぐった。

姫野 葵(ひめの あおい)

(懐かしいような、
優しい匂いだ……)

騎士野 流遊(きしの るゆう)

チュッ


 俺の唇に、
騎士野のしっりとした柔らかい唇が触れる。


 端から見れば女同士でキスをしているのだ。


 それを思うと、
身体の奥から火が出るような気がした。



只野 沙希(ただの さき)

あ、あ、あんた……!
何やってんのよ!


 いつの間にか目を覚ましていた沙希が、
わなわなと震えてこちらを見ている。

 

(まずい、沙希に見られた!)

 

(いや待て。
沙希には俺が見知らぬ女に見えているはず。
このまま他人の振りをすれば、
場が丸く治まるだろう)

医師野 桐生(いしの きりゅう)

お姫さん。
ほれ、鏡

 医師野先生が鏡を差し出し、俺の姿を映した。


姫野 葵(ひめの あおい)

男に戻ってるじゃないかーっ!

只野 沙希(ただの さき)

騎士野さん……。
とうとう葵にキスしたわね?
絶対に許さないんだから!


 ベッドから起き上がった沙希は、
俺が止める間もなく騎士野に平手打ちをした。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

…………

姫野 葵(ひめの あおい)

沙希!
なんて事をするんだ!!

只野 沙希(ただの さき)

だってコイツ、
私の葵にっ!


 その時、騎士野の目が鋭く光った。

騎士野 流遊(きしの るゆう)

田舎娘……。
貴様を成敗する

只野 沙希(ただの さき)

な、何する気よ?

騎士野 流遊(きしの るゆう)

覚悟ッッ!!

只野 沙希(ただの さき)

いやああー!!

姫野 葵(ひめの あおい)

沙希!?


第3話へ続く

第2話 現世では困った保健医

facebook twitter
pagetop