ガルルルッ
ガルルルッ
ライオンの牙は深く騎士野に突き刺さり、
騎士野を捕らえて離そうとしない。
あっ……ぐっ……!
騎士野オォーッッ!!
俺は叫びながら騎士野に駆け寄ろうとする。
しかし、不意に冷静になって足を止めた。
(素手でライオンに立ち向かって
勝てるわけがないだろう。
何か武器になる物を探さないと)
周囲を見渡して、ある事に気づいた。
…………
…………
その辺の芝生で弁当を広げている生徒たちの動きが
ピタリと止まっている。
それだけじゃない。
俺たちの周辺の時がすべて止まっているのだ。
(どういうことなんだ、これは?)
その瞬間、騎士野の悲痛な叫び声が耳をつんざいた。
ギャアアアーッ!
無残にも、騎士野の片腕は
ライオンに食いちぎられてしまったのだ!
フハハハッ!
食い尽くしてしまえ、
アリアンロッド!!
どうしてこんな事をするんだ!
騎士野を放せ!
どうして、じゃと?
ワシと姫の誓約のキスを、
こやつが邪魔したからに決まっておろう
さっきからキミは
何を言っているんだ?
ふむ。
姿だけは前世に戻ったようじゃが、
記憶はまだのようじゃな
そんな話は後で聞いてやる!
それよりもライオンを引っ込めろ!
ふふ。
それは聞けぬ願いじゃな
(話し合っても無駄か。
こうなったらこの女の子を、
力づくで止めるしかない)
俺が女の子に飛びかかろうとした時、
騎士野のうめき声が聞こえた。
ううっ……姫、様……。
早く、あなたの血を、私に……
くだ、さい……
俺の血?
この期に及んで、
まだそんな馬鹿な話をしているのか?
いいから……早く……っ!
ギャアアッ!!
今度は騎士野の太ももが食いちぎられる。
(一体どうなっているんだ?
理解が追いつかないほど、
常識を逸脱した不可解な出来事が
起きすぎだ!)
姫!
絶対に生き血を渡してはならぬぞ!
なぜだ?
理由を教える必要は無い。
もし騎士に生き血を渡すことがあれば、
姫とて容赦はせぬからな
(騎士野に手を貸しても、
面倒な事に巻き込まれるだけだ。
だが、目の前で苦しんでいる人間を
見捨てるというのか?)
姫様あああぁぁー!!
騎士野は半身を切り裂かれながらも、
瞳に涙を溜めて俺を見ている。
そして俺は、決心した。
近くに有った大きめの石を持ち上げて、
校舎のガラス窓を割る。
そしてガラスの破片を拾うと、
それを手首にあてた。
やめるんじゃ姫!
クッ……!
お構い無しに、俺は思い切りをつけて
ガラスの破片で手首を掻っ切った。
予想だにしなかったほどの大量の血液が、
手首から溢れ出る。
(クソッ、こんな程度で
頭がクラクラとするとは)
肩で息をしている騎士野の前まで、
倒れこむように駆け寄る。
ほら、騎士野……。
これでいい、のか……?
あなた様を信じて良かった……
騎士野が俺の手首に手を伸ばすと、
今までとは比べ物にならないほど
驚くべきことが起こった。
騎士野が血に触れた途端、
その身体は光りのような炎を放ち、
ちぎれたはずの片腕や太ももが復元を始めたのだ。
姫様、もう少し血を拝借します
あ、ああ……
騎士野は俺の手首を握ると、
流れ出る血を剣の形へと変えてしまった。
騎士野はその剣を構え、ライオンに飛び掛かる。
幻惑魔術により生まれし野獣よ、
覚悟!!
ライオンが逃げる間もなく、
騎士野の剣はライオンをバッサリと切り裂いた。
騎士野の攻撃によって
全身が真っ二つに割れたライオンは……。
キラキラとした粒子を振りまき、
元のぬいぐるみへと戻ってしまったのだった。
ポテンッ
アリアンロッドー!!
切り裂かれて綿がはみ出しているぬいぐるみに、
女の子が駆け寄る。
ワシの魔術が破られてしまうとは……。
覚えておれよ!
女の子はボロボロのぬいぐるみを抱きかかえ、
その場から走り去ってしまった。
終わった、のか……?
姫様……?
姫様!?
多量の血を流し続けながら、
俺は意識を失った。
あれから、どれくらい経ったのだろうか。
俺は保健室のベッドの上で目を覚ました。
んんっ……
中庭での出来事を思い出し、
気を失った沙希が心配になって身体を起こす。
すると、すぐ隣りのベッドで
気持ちよさげに寝息を立てている沙希を発見した。
ムニャ、葵ぃ……
(良かった……。
無事だったのか)
よう、お姫さん。
お目覚めかい?
お、お姫さん?
保健医の医師野先生が
俺を『お姫様』と呼ぶのに驚くのも束の間、
自分が出した声によって
身体が女のままであるのを悟る。
騎士野が大慌てで
お姫さんを担いできてさ
お姫さんときたらドバドバ
血ぃ流してんだもんなあ。
驚いちまったぜ
(そうだ、俺は手首を切ったんだ)
ハッとして自分の手首を確かめる。
(どういうことだ?
血が止まっているどころか、
手首には傷が一つもついていない)
回復が早すぎて驚いてんのか?
騎士野が言ってたもんなあ、
前世の記憶がまだ戻ってねえって
そう言いながらも医師野先生はベッドに乗り、
俺に顔を近づけてきた。
あの、近いんですが
俺はな、前世では
王族の専属医だったんだよ
お姫さんは覚えてねえだろうけど、
血を流すたびに回復魔法を
かけてやってたんだぜ?
石野先生にペロリと耳を舐められる。
ひっ!
全身に鳥肌が立った俺は、
全力で医師野先生を押しのけた。
前世設定はもうわかりました!
諦めて受け入れます!
ですが、なぜ耳を舐める
必要があるんですか?
王宮の医師が姫に
セクハラをしてもいいんですか?!
はははっ。
お姫さんが寝てる間に
もっとすごい事したんだけどねえ?
すごい……こと……?
そりゃもう、
口では言えないくらいに
ヤラシーことを
俺に何をした?!
はっきりと言え!
お姫さんの貧血ってのは特殊でね。
一般的な医療技術じゃ
回復させることが不可能なんだよ
だから俺が高等魔法をかけてやった、
っていうこったな
そんな事を
聞いているんじゃない!
照れるなって。
それより、久しぶりの再会なんだから
感動の抱擁といこうぜ
ち、近寄るな!
そもそも俺は身体が女になっているが、
中身は男なんだぞ!
あ、俺はそういうの気にしないから。
お姫さんも、葵くんも、
どっちもイケるし
な、何を考えているんだお前は!
まさか、こんな変態教師だったとは……
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったかと思うと、
壮絶な足音がこちらへ近づいて来た。
医師野!
姫様から離れなさい!
チッ、もう授業が終わっちまったか
騎士野の鋭い眼差しを受け、
医師野先生は渋々俺から離れる。
(た、助かった。
しかし、女子に守られるとは情けない……)
姫様、遅れて申し訳ございません。
ご無事でしたか?
お怪我は大丈夫ですか?
ベッドに腰掛ける俺の前に、
騎士野がひざまずく。
騎士野があまりにも悲壮な顔で見上げるものだから、
思わず笑ってしまった。
ははっ。
そんなに心配しなくても大丈夫だ。
ほら……
手首を見せてやると、
騎士野は心底安心したように胸を撫で下ろした。
良かった。
医師野から授業に出席しろと言われて
追い出されましたが、
正直なところ不安だったのです
医師野は前世では
有能な医者でありましたが、
現世ではこの体たらく
魔力が鈍って性欲だけが強い
単なるクズになったのではないかと、
気が気でなくて……
おーい。
悪口なら本人に
聞こえない所で言えよ~?
なあ。
少し質問をしても
いいだろうか?
はい、なんなりと
俺を『姫』と呼ぶ人間が三人も現れ、
俺が女の身体になっている以上、
お前の前世設定を認めざるを得ない
しかし、中庭で起こった事は
どうにも理解ができないんだが
あの少女は、
前世から姫様を狙っていた敵国の王です。
現世では『王野 真帆(おうの まほ)』と
名乗る、幻惑魔法の使い手なのです
幻惑魔法……?
あの蛇も、ライオンも、
幻だったというのか?
はい。
私の肉体が食いちぎられたように
見えたのも、
すべて錯覚です
どうしてその術を
破ることが出来たんだ?
それはお姫さんの
生き血の効力ってやつだな
俺の生き血?
騎士野と誓約のキスを交わしたから、
お姫さんの血は
騎士野に利益をもたらした
もし王野とキスしていたら、
王野にとって都合のいい効力を
発揮していただろうな
それで騎士野は、
命を懸けてまで
王野と俺のキスを阻止したのか
おっしゃる通りです
もう一つ質問だが、
周囲の時間が
止まっていたのはなぜだ?
王野真帆は時間を操る魔術も
会得しています。
結界から外側の時を
止めることができるのです
何なんだそれは……
ところで、そろそろお姫さんの
身体を戻したらどうだ?
もう放課後だぞ
ああ、そうでしたね。
では、姫様……
騎士野は立ち上がると、俺の両頬に手を添えた。
ま、待て。
またキスをする気か?
はい。
誓約を解くキスです
恋人ではない者同士で、
何度もキスをするというのは
いかがなものかと思うんだが……
嫌ならしなくてもいいんだぜ?
お姫さんの身体は
そのまんまだけどよ
それは困る。
女の身体のままでは、
沙希や家族に説明がつかない
第一、
これからの生活に支障が出る
では、姫様。
よろしいですか?
うっ
騎士野の感触の良い手が、
俺の頬にそっと触れる。
覚悟を決めてじっとしていると、
騎士野は鼻と鼻が擦れ合うほどに顔を近づけてきた。
騎士野の髪がサラリと流れて、
女の子らしい華やかな香りが鼻腔をくすぐった。
(懐かしいような、
優しい匂いだ……)
チュッ
俺の唇に、
騎士野のしっりとした柔らかい唇が触れる。
端から見れば女同士でキスをしているのだ。
それを思うと、
身体の奥から火が出るような気がした。
あ、あ、あんた……!
何やってんのよ!
いつの間にか目を覚ましていた沙希が、
わなわなと震えてこちらを見ている。
(まずい、沙希に見られた!)
(いや待て。
沙希には俺が見知らぬ女に見えているはず。
このまま他人の振りをすれば、
場が丸く治まるだろう)
お姫さん。
ほれ、鏡
医師野先生が鏡を差し出し、俺の姿を映した。
男に戻ってるじゃないかーっ!
騎士野さん……。
とうとう葵にキスしたわね?
絶対に許さないんだから!
ベッドから起き上がった沙希は、
俺が止める間もなく騎士野に平手打ちをした。
…………
沙希!
なんて事をするんだ!!
だってコイツ、
私の葵にっ!
その時、騎士野の目が鋭く光った。
田舎娘……。
貴様を成敗する
な、何する気よ?
覚悟ッッ!!
いやああー!!
沙希!?
第3話へ続く