さよなら、ロストパイン。

君に逢えたことは、人生で、最も誇らしく思う。



永遠の園で、君に恋をしたんだ。
でもね、ここでお別れだったんだね。


でも、泣かないよ。

寂しさなんて、持ち合わせが無いもの。



それに。




恋をすれば、世界が終わってしまうもの。

完全さについて話そう。




世界の完全さ、についての話。

世界は色んなものでできているらしい。

「世界は原子でできている」のは科学の世界では当然のことかもしれないけれど、古代ギリシャでは「火でできてる」とか「水ででいている」とか「数字でできている」とか、色々なことが言われていた。

それでは飽き足りないのか、最近じゃ「世界は言葉でできている」とか、概念までも世界の構成要素の対象となっている。

「世界は密室でできている」なんてふざけた話もあったけど。


こんなことを言うと、「じゃ、お前は何でできてるって思うわけ?」と眉をひそめて訊いてくる輩がいるかもしれないが、一応、僕も一つの答えを用意している。



世界は、不完全でできている、って。



とある小説に、「神様ってのはお金持ちにも貧乏人にも平等に慈悲深く見守っているだけなんだ」みたいな名言を見つけたとき、感動で震えた。

別に神様とか仏様の話をするつもりは全くなくて、世界が良いモノも悪いモノも含めてできている以上、完全なものってないわけで。

第一、もし世界が完全なものでできていたら、それ以上の変化も、更新も、有り得ないんだから、完全であっては困るわけで。


だから、世界は不完全でできている。


もしかしたら、これでは説明不足かもしれない。

だから、もう一つの説明をしよう。
仮定法ってやつだ。



もし、世界が完全でできていたら。


世界に内包される人間だって完全であるべきだろう?

でも、もし完全な人間しかいないのなら、関係性はいつでも良好になるべきだし、仲たがいなんて有り得ない。

相手の考えていることや、感じていることを理解して、最適な対応を取れるはずだ。

それに、人間は嘘をつく。
悪いことをする。

それで悪に染まっていれば、それはそれで完璧なのに、気まぐれに良いことをする。


そう。
気まぐれ。
感情。


感情によって、ころころと在り方が変わるなんて、全然完全じゃない。

でも、「完全」という言葉があるくらいんだから、「完全」なものも一つくらいはあると思うんだ。


人間が把握できる、完全に理解できるのは、手の届く範囲、感じられる範囲まで。



僕は、それを、「セカイ」と呼んでいる。

三崎竜太

ま、『だから何?』って話なんだけどね

ユリ先生

三崎君?
キミはどうしてここにいるのか……
ねえ、分かってる?

三崎竜太

……先生

三崎竜太

僕は……ただ、写真を撮っただけなんです

ユリ先生

そこが問題なんだろうが!

0.セカイに関する考察

facebook twitter
pagetop