裕福な子どもがすべて私のように育っていたら、この世のなかは歪みに歪んでいるだろう。
なんとか形を保っているのは、裕福であろうとそうでなかろうと、まっすぐに、斜に構えずに育つことができた子どもたちのおかげであるように思える。
もちろんそれだけだと、まあ、それはそれで問題が起こるのだが、今考えたいのはそこではない。
毎日、コックさんにありがとう。
コックさんの時間を、つまりは命を、いただいていたのだ。
そしてもちろんのこと、食卓に並べられている命にありがとう。
そんな当たり前のことができない私に、今、罰が与えられている。
子ども心に強烈だった記憶がある。
父には一度も逆らわず、わたしが傍若無人に振る舞ってもいつもにこにことしていた母が、あるとき、塩気が好みではないと食事をほぼとらなかった私に、珍しく怒ったことがあったのだ。
見るにみかねたのだろう。思い返せば、そこで私の心が素直にならなかったのが、人生の分かれ目にも思えてくる。
どこで何が、人生を決定づけるかなど、誰にもわからないことである。
十二回目の輪廻でやっと、私にとってはあそこがターニングポイントだったのだと、確信する。
母は言った。
アフリカでは毎日食事ができない子どもだっているのだから、
残さず食べなさい
とかなんとか、そういった類いのことを。
そして私は、嫌悪感に苛まれたのであった。
何を綺麗事をと思ったのである。
では、この残された食事をアフリカに送るにはどうすればいいのか。あなたはそれを考えるべきではないのか。そもそも、なぜアフリカに限定するのか。この日本にだって、おなかがすいている子どもはごまんといるではないか。灯台もと暗しだなんて、笑えない。
そんなにかわいそうだと思うのならば、飢餓に苦しむ子どもがなぜこの地球上にいるのかを考え、即急に自分ができることをすべきなのだ。
残さず食べるための理由として、飢えに苦しむ子どもを引き合いに
だすのはおかしい、
理論の破綻である。
飛躍論理である。
要するにむちゃくちゃなのである!
そう思い、怒りを覚えつつ、食事を腹いせのように残してやった。
腹は減っていたが、そんなのは苦でもなんでもなかったのである。
狭い世界への抵抗。
今考えれば、なんと小さな世界で生きた、かわいそうな子どもであったか。
その怒りは間違っていないだろうとは思うが、同時に、どんな理由につけても、物を残さずに食べるようにという教育精神は、否定すべきものではないとも、今なら思う。
死の間際に。苦しみの最中に。
食べ物を残してはいけない。
飢餓で苦しむ人たちに、すぐに目の前の食べ物を転送できたらいいのだが、そういう世の中でもない。
たらふく食べられる環境下にいる人たちは、与えられた食べ物を全てたいらげ、健康的に生き、飢餓の二文字を辞書から消せるように、努力すべきである。
そうだ、ひねくれないで、そう考えることのできる柔軟さがあったのなら。
こんな苦しみを味わうことはなかったのだ。
今のこの苦しみは、
あのときの罰なのかもしれない。
神様?
十二回目の輪廻で、なぜ私はあの頃の罰を、今さらに受けることになるのか。
涙を流したいが、流すことができない。
乾いている。海に帰りたい。比喩ではなく、文字通り。
あの大海原で泳ぎ回りたい。
そうして、そうだ、鯨にでも食べられたらよかったのだ。
私は今、テーブルの上の残飯。
生きたまま皿にのせられた魚。
子どもが私を覗きこみ、きもちわるいと眉を潜める。
その子どもの母親は言う。
飢餓の国の、なんたら、かんたら。
ああ、いつでもこのうたい文句は続いていくのか。
そもそも、この世界はいつの世界なのか。
ああ、輪廻で未来に進むとは限らないのだ。
過去に戻っているかもしれないし、生きた年代の違う生き物に転生している可能性もある。
素晴らしい案を思いついたと感動すると同時に、だからこそ、はやくこの苦しみから解放してくれと願ってしまう。
今までのこの魂の生命活動、全てを思いだし、しかしこのような悲しみの最期は初めてだと考える。
こんなに苦しいのだから
はやく、食べてくれ、私を。
どうしてあなたに食べられないまま、誰にも食べられないまま、残飯となり処理されるのか。
いやだ、
死に場所はあなたの腹の中がいい。
テーブルの片隅、皿の上から、死体処理は残飯の中なんて、そんな、そんな。
痛い。
乾いた目、
切られた体、
動かない尾、
意識せずぱくぱくうと動く顎。
そして何よりも、心。
目に見えない、
人間の頃には歪みきっていた心。
大人になっても、そういえばあの心はなおることがなく、歪んだまま、恨まれて、殺された。
かわいそうな魂の、罰。
席をたつ人々を視界の隅で捉えながら、ああ、次は何に生まれるのかわからないけれど、この苦しみが魂に記憶され、何かを残すなどと言う行動にはでないような生きざまでありますようにと願いながら、意識が薄れていくのを実感する。