基本的に当館『ユアオーダー』に平穏平凡はありえません。
過去、それも原始時代からご主人様がいらしたり、最早人間でも何でもない方がいらしたりと、有り体に言えば何でもありのメイド喫茶。何が起きても驚かないつもりでおりました。
えぇ、おりましたとも。
とはいえ。
基本的に当館『ユアオーダー』に平穏平凡はありえません。
過去、それも原始時代からご主人様がいらしたり、最早人間でも何でもない方がいらしたりと、有り体に言えば何でもありのメイド喫茶。何が起きても驚かないつもりでおりました。
えぇ、おりましたとも。
とはいえ。
わうっ、ばうわうっ!
うひゃあぁ!
館内が光りに包まれ、扉が開くや否や、ご主人様に飛びかかられては回避することもままなりません。
頼みの自らの護身術も構える余裕すらありませんでした。
わふふ、美味しそうな、綺麗な首筋だわん
な、ななな何を
わうぅ、かぷっ
――?!
歯が、歯が! というかコレ、歯というか、牙です! 首に牙が! めっちゃくちゃ痛い!
いっ、いやっ、やめて
思いっきり、齧りついて引きちぎりたいぐらいツヤツヤで瑞々しい身体わふ
床に押し倒され、肩をしっかり取り押さえられてマウントポジション。ようやく相手の風貌が見えてきましたが、私よりも小さい女の子のくせに、ありえないほど強い力で振りほどけないほどです。
いやっ、やだっ離して
んあー……
ギラリと輝かせる牙を十分に見せつけながら……
わふっ、と想像とは遥かに違う緩い音が響きます。
んぅー、んちゅ
ひっ、ひっ、はぁっ
わぅ。んわうぅー。わぉぅ
大口を開いて首に齧りついてきたと思いきや、そこから切っ先鋭い牙の凶刃は通らず、いやにザラザラとした舌で首筋を執拗に舐め回されます。
くすぐったいようなザラついて痛いような、身体中に這いまわるソワソワとしたこそばゆさも、今は恐怖に上塗りされ上手く感じることができませんでした。
はっ、はぁ……んっ――!
悪かったわん、血が滲んで痛そうだわふぅ。待ってるわん、今こうやって
ひぅ……
……わふ?
極度の緊張とそれに似つかわしくないこそばゆさ。自分の首筋を舌で舐められているという状況。抗えない強引さと不快とも快感とも取れぬ否めないやみつきな感覚。
はぁっ、はぁっ……うぅ
やりすぎたわん?
相手がどんな生き物であれ、ご主人様の前でこんな痴態を晒した事実は、重く長く後に引きずられることとなるのでした。
わぅ、さっきは失礼したわん
いえ、私もとんだ情けない姿を……
口ではこう言いますが、一度裏に下がってしっかりと首に包帯を巻いて出て行きました。多少なりともご自身の犯された罪をご認識いただければと思いまして。
改めまして、おかえりなさいませお嬢様。私、アコがお嬢様の願いに叶ってみせましょう
首を押さえながら白々しく改めてのご挨拶。いえ、悪意はありませんよ。本当に。
お願いがあるわん
はい。このアコに、なんなりと
嘘のつき方を教えてほしいわふ
……はて
この先必要になるわん
きゅ、急にそんなことを言われましても
てっきりお腹が空いたからお前を食わせろなんて言われるのかとさえ思っていたらなんとも素っ頓狂なご依頼でございます。
二股でも隠すのですか?
二股とか猫又とかそんな不純な動機じゃないわん! 全ては生き残るために、わん!
冗談も誘導も通じなさそうなので、ストレートに経緯から聞いてみましょう。
嘘。
事実ではないこと。人を騙すために言う、事実とは異なる言葉。とあります。(引用:大辞泉より)
人狼……
“Werewolf”と呼ばれてるわふ
それでそんな牙をしてらっしゃるのですね
上手く擬態できてるでしょ? わふー!
隠しきれていない耳のことについては触れないようにいたしましょう。
しかし、人狼……人狼ゲームとは。物好きとして聞いたことはありますが、やったこともなければ詳しくも知らないのでした。
お嬢様の、人狼の目的は?
村から人間を全て食い殺すことだわん
ここまでのルールはなんとなく想像はつきます。聞くだけであれば非常に簡単そうです。
ただ、人間も馬鹿じゃないわん。狼の噛み痕が残った死体が見つかれば、その晩から処刑が始まるわん
ふむ……
そこから細かいルールを少しずつ聞いていきます。
基本的には村人陣営、狼陣営に分かれること。第三勢力として狐がいること。
村人陣営は人狼を全滅、狼陣営は村人を狼の人数以下にすれば勝利。狐は、生き残れば勝利となること。
村では一日に一人、投票による多数決で処刑をすること。狼は一日に一人、村人を襲撃できること。狐は、狼から襲撃されても死ぬことはない特殊な役職であること。
村人陣営には、狼を見つけるためのいくつかの役職があること。
その役職が、重要なわけですね
まぁ、あいつらさえいなければ村一つの壊滅なんて簡単だわふ
代表的な役職その一、占い師。
一日一人、占いにかけることができる。占った人間が、狼か、狼ではないか、を見分けることができる。そして、万が一狐を占いにかけた場合、狐は死体となってしまう。
役職その二、霊能者。
処刑にかけた人間が、狼だったか、狼ではなかったか、を見分けることができる。
役職その三、狩人。
一日一人だけ、襲撃から護衛することができる。
護衛先と襲撃先が被った場合は護衛成功、護衛された人も、狩人本人も生き永らえる。しかし、自分を護衛する、ということはできない。
なるほど
おおよそのルールは分かりました。
村人側に占い師や霊能者という、狼を見つけ出すことができる役職がいる以上、狼も嘘をついて村人たちを騙さなければいけないわけですね。黙っていればただ見つかるだけですし。
あとはまぁ、占うまでもなく確実に村人だ、ということが保証されている、共有者というのが二人、それと、能力はただの人間なのに、人狼の勝利を目指す狂人、というのがいるわふ
共有者となった二人は、お互いだけに伝わる共鳴が、また狼は狼同士のみに聞こえる囁きが使える。狼の囁きは、狂人には聞こえない。
以上が、人狼のルールであるようです。
それで、お嬢様は人狼でいらっしゃるわけですね
わふっ!
ご立派なお耳と鋭い牙が模倣か真かはさておき、“役割”としてはそのようでいらっしゃいました。
嘘のつき方……ですか、そうですね
多少のゲーム好きとして心震える依頼です。
一般的によく言われる嘘のつき方は、『真実の中に一つだけ、嘘を混じえる』ですね
おぉっ! なんだか一気に悪女感漂う発言だわふっ! 黒いわふっ!
おだてても何も出ませんよ。私、清廉潔白ですし。
例えば、偽物の占い師として出る場合はどうしても嘘をつく必要がありますが、全部が全部、逆のことは言えないですよね
うん? どういうことわふ?
村人全員に『あいつは狼だ』と言いふらしても信じてもらえないわけですよ
ゲーム上、人狼の数は決まっています。つまり、定まっている人狼の数以上に、占い師が人狼を見つけることはありえません。
例えば人狼が三匹いたとしたら、占い師が見つけられる狼の限界数も同じく三匹。それ以上の嘘をつくことはできないのです。
それこそ、オオカミ少年になって一切信用してもらえないことでしょう。
嘘をつくタイミングは間違えないよう、よぉく見計らって、行うべきですね
ふむふむ
勿論、仲間の狼を占うことになってしまった、また、仲間の狼が処刑されることになった場合は、嘘つきの占い師や霊能者は、『その人は狼ではなかった』とかばう必要もあります。コレも、一つの嘘ですね
それは勿論だわふっ
愚問だったようです。
まぁ、ここまでは誰でも分かりそうなゲームルール。問題はここからなのだろうと思っております。
もう一つ、ココが重要なのですが、『人狼は嘘をつく』というスタンスや先入観に、嘘をつくことですね
……わふ?
まぁ何でしょう、簡単に言いますと、セオリーを破ってしまうのです
嘘つきというレッテルを貼られると、言われたこと全てが信用されないものです。
そう、例えば嘘つきの占い師がそれまで占った人間の中に狼がいた場合。それは嘘だと思われ、占い結果で狼だと言われたものは自動的に村人だと分類されてしまいます。
何の、確証もなく。
こういった情報が、後々に、効いてきます
よ、よく分からんわん……
何らかの理由で偽物だと判明した占い師がいたとしましょう。その占い師は、Aは狼ではない、Bは狼である、と占い結果を出していた場合、村人たちはBを狼だと思うでしょうか?
……あ、嘘だと思う、わん
コレもまた、ひとつの嘘でございますね
ほぉー……
感心したようにお嬢様は頷きます。
勿論、今申し上げました嘘はノーリスクではありません。仮に占い結果を信じられた場合は、本物の狼を危険に晒してしまうためです。
……最後にまとめますと
わふ?
嘘は、取り返しがつきません
全て、この一言に集約されます。
嘘を本当のことだと言い張るために必要なもの、それはただ一つ、信用です。
占い結果一つをとっても、後で撤回など行えばたちまち信用はされなくなるでしょう。
敵を陥れるにも、自らの身を守るにも、ついた嘘は、最後まで自分で責任を持たないといけないのです
わぅ……
あはは。ちょっとプレッシャーになってしまいましたかね
人狼ゲームという特性上、嘘はつきものにはなってしまいますが。
そんな他人も自分も欺くような嘘、つきたくはないものですね……。
わたくしに答えられることとすれば、こんなところでしょうか
わうっ! とても参考になったわふっ!
それはそれは。お役に立てたようで何よりでございます
見た目こんないたいけな少女に嘘のつき方を教えるなど、本人のためになろうとも、世間的にどう見られたものか分かったものではありませんが。
アコは物知りだわふねぇ
コレは、物知りといいますか、何と言いますか……
アコも、人に嘘をつくわふ?
えっ
突然の問いかけに、思わず動揺してしまいます。
そんな、常日頃から嘘を言う訳ではありませんが……
嘘ついたこと、あるわふね?
えぇ、確かに
嘘つきの問答に、嘘はつけませんでした。
それは仕事上でメイド長についた嘘でしたり、友人との待ち合わせに遅刻した嘘の理由でしたり、昔の話からつい最近まで数々ありますが。
嘘は、苦手だわん
得意でいるよりは、いいことだと思います
そうわふ?
私も、人に言えぬような嘘を突き通したこともあります。ずっと胸につっかえて、ふとした時に思い出して、辛いものですよ
わふ……
狼として生き残る。そのためには積極的な嘘も必要かとは思いますが、なるべく、使いたくはないものですね
嘘は、自らの首を絞めます。
ついた嘘は自分で責任を取らなければいけません。コレは、どんな嘘でも、バレてもバレなくとも変わらぬ、嘘の真理でしょう。
その枷は、嘘が嘘でなくなる時まで――“どうでもいいこと”になるまで、ずっと繋がれたままです。
アコは、強いわふね
まぁ、とんでもない
勉強になったわん。助かったわん!
ありがとうございます。それでは――
たった今から、嘘つきのお時間でございます。
お会計をお願い致します
わふ?
ひとまず私が現在進行形でついている嘘。
当館『ユアオーダー』でお客様へご提示しております、嘘のような実際嘘のお会計。それと、肉親にココで働いているのを伏せていることです。
いつか、こんな時代もあったなと思い返せる日がくればいいですね。
うふふ
何を笑っているわふっ?!
いいえ、確かに私、お嬢様の仰る通り、強いかもしれませんね。さて
わなわなと震えるお嬢様を尻目に淡々と電卓を叩きます。
いつもの接待料金に加え、このアコの個人レッスン、さらには首元の傷跡の保障と致しまして……。
わっふーぅ!
うひゃあぁっ!
お会計? そんな単語、知らないわん。わうわうっ!
やっ、ちょっとやめっ
再び勢い良く飛びかかってきたお嬢様。ばたん、と後ろに押し倒され肩口を押さえこまれ……って、コレ先ほどの状況と全く同じです!
お金、ぜぇんぜん持ってないわふっ。だから同じぐらいの愛でお支払いするわんっ!
おっ、お嬢様っ! しっかりお会計の意味ご存知ではありませんかっ!
わーふっ
ひっ、いやあぁぁっ!
数字の桁数だけが長く打ち込まれた電卓も虚しく床に転げおち、その後私は提示する予定だった金額を大幅にペイするほどの寵愛をいただきまして。
余計な嘘はつくものではございませんね。と息も切れ切れに思うのでした。
――その御姿、その御言葉、真偽の程を
〆