服の中から声がした。と同時に、ぱっと電気がついて、周りが明るくなる。






 俺も彼女も、急な明かりに戸惑いながら、慌てて声の方向を向く。

 彼女の真後ろから、ガチ、と銃のハンマーを引く音がした。

 と同時に、俺の目の前を、下から上へ何かが通り過ぎ、銃が宙へ飛んでいった。

なっ……!

 俺の目の前を通り過ぎたのは、白のピンヒールだった。

 危ない。あんなので蹴られたら、ひとたまりもない……俺は先ほどとは違う恐怖感を覚えた。

くぅ……っ!

 彼女は腕を引っ込めた。右の指を痛めたらしい、うぅ、とうなり、苦痛で顔をゆがめる。


 弾が装填された銃は、彼女のこめかみにあてられていた。

動くなよ。俺はこの男達とは違って、人を殺すことなんてたやすいんだ。なぜだか分かるか?

 先ほど蹴飛ばされた銃が宙を舞う。

 彼女の真横に立っている声の主は、にやり、と意地悪そうに笑った。

俺はこいつらに人を殺すなと命令している。理由は簡単

 ここで声の主はますます意地悪そうに笑うと、ゆっくりと言った。

俺が、殺すからだ


 ぞっ、と。


 彼女の体中に恐怖がわいてでてきたことだろう。


 その落ち着き払った一声は、どんなときでも、どんなやつでも、恐怖へ突き落としてしまうことを俺は知っている。

 だが、特定のやつらには、その声は、神の一言のように重く、そして気高く、優しい。

ご主人……!

 俺の主人は、ゆっくりと俺に目をやった。銃口は相変わらず彼女に突きつけられている。

ごめん、危なかったな。でも、嬉しかったぞ

 黒いスーツ、白いピンヒール。すらっとした女性。

 長い黒髪は、下にいくにつれ、まるで服に溶け込むかのように白くなっている、きれいなグラデーションだ。

くっ……

 彼女は主人の一瞬の隙をつこうとしたのか、逃げようと体を動かした。
 しかし。

おっと

 主人は左手をさっと上げ、そのまま彼女の首に左腕を巻きつけた。

 そこには、先ほど彼女が蹴り上げた銃が握られていた。

逃げちゃだめだろ?

 右手の銃は後頭部に、左手の銃ははゆっくりと下ろされ、心臓に寄り添う。

 彼女は何も言わず、真っ青になってしまった。

 彼女の周りだけ時が止まったように、ぴたりと停止する。

 俺の主人は、何事もなかったかのように、俺を向いてにかっと笑った。

 真っ赤な唇が、嬉しそうに笑う。

ありがとう、お前と出会えてよかったよ

そんな……

 照れながらも、俺は警戒をといた。

 主人が来たなら、もう俺の命は保障された。

 そんな俺とは対照的に、銃を突きつけられたまま硬直している彼女の表情は、恐怖に怯えていた。

 先ほどの美人はどこに行ったのだろう。


 主人は彼女の後ろから、そっと囁く。

残念ながら、緑色のガーネットは頂戴いたしましたよ、あんたがドンパチやってるうちにな。

まったく、俺の可愛い部下をいじめちゃだめだろ? 

まぁ時間稼ぎにはなったけどな。

あんなロック、ないようなもんだ、気をつけろよ

 かたかた、と小刻みに彼女は震えていた。目も潤んでいる。くすくす、と主人が笑う。

裏切りでも、一度は俺の仲間になったんだ。

言ったよな? 

俺の命令を破ったものは、即座に仲間から抜けてもらう。

そして、仲間殺しという大罪を犯そうとしたお前はもちろん……?

ひっ


 彼女が悲鳴をあげる前に、鈍い音が響いた。



















いやー、綺麗だ、俺のガーネット!

 帰り道、助手席に座る俺の主人は、もう五分もずっと、ガーネットに話しかけ、キスをし、褒め称えている。


 俺はボーっと海辺を運転していた。ほんの一時間前、彼女とこの道を通ったのに。海風がやけに冷たい。

主人……

あ?

彼女のこと……

ああ、なんだ?

殺しませんでしたね

 主人は、あいつを殺さなかった。後頭部を、思いっきり殴りつけ、気絶させただけだった。今頃はもう、意識を取り戻しているはずだ。


 主人ははっ、と鼻で笑った。

ったりまえだろ。俺は殺しはしないよ

だって彼女に殺すのは俺だとかなんとか……

あんなの脅しに決まってんだろ

ですよねー……

 といいつつ、俺はふう、と安堵のため息を漏らした。

 そんな俺を横目に、主人は、ん? と首をかしげる。

まさか俺が殺しをするとでも?

いえ、そんなことは思いませんでしたけど、あまりにさらっと言ったもんで、焦りましたよ

俺が殺すから、または主人が殺すから、ってのは脅し文句で使うだけだからな。

俺だけ特別に、なんて、そんなの許せるわけねぇじゃん。

しっかし、味方までだませるなんて、俺演技派だな。こんど皆で劇やろうぜ

やですよ

んだよー

 俺はくすりと笑った。それを見て、主人も笑う。
 主人がゆっくりと手を伸ばし、ハンドルを握る俺の手の上に、そっと手のひらを重ねた。白い、小さな女性の手だ。

 俺の心臓は跳ね上がった。

しゅ、主人!?

ここ右!

え!?

 主人はえい、とタイヤを回した。

わああああああ!

 悲鳴のようなタイヤのすれる音と共に、俺の愛車は九十度右に曲がる。

 海辺の道から一転、小さな小道に入った。












あはははははは

 主人は楽しそうに笑っていた。ありえねぇ。

主人! 何するんですか急に!

ちょっと遠回りして帰ろうよ。お前と二人っきりなんて、なかなかなれないからなぁ

なんですかそれ……

 ふふふ、と主人は意味ありげに笑うと、ガーネットを月明かりに照らし、小さくつぶやいた。

なぁ

はい

宝石言葉って知ってる?

え?

花言葉とかあるだろ、あれの宝石バージョン

そんなのあるんですか

あぁ

 主人は相変わらずガーネットを月明かりに照らしながら、ぼんやりとそれを見つめている。

 ガーネットは月明かりに照らされ、綺麗に光り輝いている。

ガーネットの宝石言葉はなぁ、『真実』なんだよ

……へえ

 主人はガーネットを眺めるのをやめ、ぱっと手のひらににぎりしめ、その拳を俺の前に突き出した。

これ、やるよ。また女に惚れたら、プレゼントしてやるがいいさ

……お見通しっすか

あぁ

ついでに、彼女がスパイだったっていうのもお見通しですね?

じゃなきゃあそこで俺が現れるはずねぇだろ

ですよね……

ま、今回のは運が悪かったんだよ。たまたま惚れた女が敵だったんだ

ですね。どんなに嘘だ嘘だと嘆いても、それが『真実』だから……って、慰めてくれるんでしょ、主人は

 主人はあっはっは、と空を仰いで笑った。

お前もなかなか詩人じゃないの。そして推理力もあるね。

そうなんだよ、俺はそれが言いたかったんだ。これは真実だ。

どうしようもなくな。

だから、真実を受け止めろ。絶対に否定するな。

そんで、散々真実にずたずたにされた後は……泣いちまってもいいからな

ったく……

 俺の頬を、涙がつたった。

ホントに何でもお見通しなんだから……

 主人は何も言わず、すっと拳を引き、そのままその拳を俺のポケットの中に突っ込んだ。

ま、次ぎ惚れた女にプレゼントを贈るときには、宝石言葉で、ガーネットは真実と言う意味なんだよ、俺、お前に俺の気持ちを伝えるよ、この気持ちは紛れもなく真実そのものなんだよ……とか言ってみ? 

かっこいいから

そっすか? なんかくさくないすか?

ばっか、お前、少々くさいほうが、女は案外落ちちゃうもんよ。おっ……

 裏路地を抜け、家が見えてきた。

よーし、じゃぁ今日は、失恋残念でしたパーティーでもすっかな!

しましょうしましょう、酒がばがば飲みたい気分なんすよ

お、乗り気だね、じゃぁ急げ急げ!

 主人は俺の脚を踏んづけた。俺の脚が、アクセルを踏み込む。

いってぇ!

 主人はまた、嬉しそうに声を上げて笑った。

 ポケットの中のガーネットのように、湧き上がってきたばかりの、小さな想いだったかもしれない。儚いものだったかもしれない。

 しかし、俺にとって、やっぱりあの気持ちは真実だった。





 あれは久しぶりに見た、小さな恋のかけらだった。







                          

緑のかけら 後編

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