窓の外で、雪が降っていたのを、メイはぼんやりと眺めていた。店長が店を閉めようとしたとき、入ってきたのがリックだった。

 メイは一目でリックに心を奪われた。

 細い体に、黒い服がよく似合っていた。肩にかかった雪は黒によく映え、とても美しかった。

 肌は、雪に負けないのではないかと思うほど白く、だからこそ真っ赤な鼻と目がとても目立っていた。


 たくさん泣いたのだろうということは、誰が見ても分かったはずだ。

 メイは、そんな姿にも見とれてしまい、いらっしゃいませと声をかけることさえできなかった。

 緊張して固まるメイに、リックは一言、こう言った。

コーヒーちょうだい


 まるで子供のようだった。メイはこくこくと何度も頷くと、駆け足でコーヒーを淹れにいった。

 リックは、店の隅の席に座り、窓の外をただひたすら眺めていた。店はとても静かで、コーヒーを淹れる音と、レコードからお洒落な恋の歌が流れているだけだった。



 リックは、コーヒーを飲むと、すぐに店を出て行ってしまった。何も話せなかったことを、メイは後悔した。

 せめて名前だけでも知れたら……。でも、声をかけられる雰囲気ではなかったのだ。

 運命の王子様だったのよ、残念だわ、と友人に嘆いた。


 しかし、そのわずか五日後、その王子様は店にひょっこりと現れた。

 店員に背中を押されながら、メイはなんとか、名前を聞き出すことに成功し、また来てくださいとまで言うことができた。


 その言葉に従うように、リックは頻繁に店に顔を出すようになった。そして少しずつ、メイとリックは話をするようになった。


 リックは恋多き男性だった。毎度のように恋人がおり、そして幾度となく振られているのだった。

 メイはリックの恋の話を聞き、いつしか恋の相談相手となってしまっていたのだ。



 今更好きだなんて、なかなか言えないわ。



 友人に、メイは笑って言った。そんなんじゃだめよと言う友人に、メイは宣言した。

 大丈夫、彼がね、恋の相談じゃなくて、単純に店に遊びに来たくて来てくれたら、そのときに言おうと決めているの、と。

 しかし二年半、相変わらず恋多き王子様リックは、恋をしては振られ、振られては恋をしてを繰り返しているのだ。

今回はどんな女性?

 メイはコーヒーを飲み、訊ねた。

年上

 リックが言った。

この前は年下だったわよね

うん。年下はもういいやと思って、年上に恋をしたんだ

でも振られたの

まぁ……もともと向こうから告白されたし……傷ついてはないさ

嘘吐きね

嘘吐きだよ

 リックは困ったように笑った。

僕は嘘吐きなんだ。知ってるだろう?

知ってるわよ。本当は告白したし、傷ついてもいるんでしょう

大当たりだ

 コーヒーを小さなスプーンでくるくるとかき混ぜながら、リックがにやりと笑った。

でもいいさ。今回は短かったしね。それよりメイ、君は恋してないの?

してないわよ

どうして

いい人がいないのよ

そうなの?

そうよ

 メイは心の中で苦笑した。

 嘘吐きなのに、嘘を見破るのは下手なのね。

出会いがありそうなのにね、喫茶店なんて

 リックがつまらなさそうに、スプーンを置いた。

 と同時に、音楽が止む。そして次の音楽が鳴り始めた。モダンな曲だ。

そうそうないわよ

誰かメイに恋のカケラを……

 リックが両手を合わせ、祈るようなポーズをとった。うるさいわよ、とメイが鼻を鳴らした。

何よ、元気そうじゃないの

元気が出たのさ

 リックはコーヒーを一気に飲みほした。空になったコーヒーカップを、メイは複雑な思いで見つめた。

じゃぁ、忙しいから帰るよ

 リックが立ち上がった。やっぱりね、とメイは思った。メイも真似るように、コーヒーを飲み干す。

ずいぶん早いわね

メイにちょっと話を聞いてもらいたかっただけだし、実は外で人を待たせているんだ

そうなの? 大変じゃない。女?

男だよ

 そんなにもてないさ、とリックが苦笑した。

 嘘ばっかり、とメイは心の中でつぶやいた。

奢ってあげるわよ、振られた記念に

 メイはカップを手に取り、言った。

女性に奢らせる男にはなるなよって、小さい頃から言われてる

 リックは財布を取り出すと、二人分のコーヒー代を、机の上に置いた。

 そして、メイの手からそっとカップを取る。指先がそっと触れた。

 メイは体が一瞬にして熱くなるのを感じた。慌てて手を引っ込める。

 そして机の上のコインを二枚、そっとポケットに入れた。

常に紳士でありたいんだ。泣き虫だけどさ。片付けるよ

……ありがとう

どういたしまして

 リックはまたも微笑んだ。メイは、リックの微笑みが大好きだった。

 本当に素敵。思わず見とれてしまった。


 リックは店内の音楽に合わせて鼻歌を歌いながら、カウンターに空になったカップを持っていった。

知ってる曲?

 メイが聞いた。リックはうん、と頷いた。

大好きな歌。結構古い歌だと思うよ。

店長もセンスがいいなぁ

 そう言うと、カウンターにコップを二つ置いた。

ありがと店長

いえいえ

 店長は、白ひげを揺らしながら笑った。

じゃぁね、メイ

 リックはメイに言った。メイは頷いた。

あの……また……

 メイが言いかけた言葉を遮るようにして、リックが付け足した。

また来たときは、この音楽かけてね

 そしてにこりと微笑んだ。

う、うん! もちろんよ。でも、また振られるんじゃないわよ

 メイは輝くような笑顔で答えた。

いい女性を見つけるよ。じゃぁね

 リックは手を振ると、店を出ていった。ドアにかけてあった鈴が、小さく二回鳴った。

 メイはそのドアをしばらく見つめると、ふぅとため息をついた。後ろで、アリサと店員がにやりと笑った。

店長?

 メイが元気よく振り向いていった。店長は慌てて真顔に戻した。

なんだい?

今度、リックが来たら、この曲かけてくださる?

もちろんだよ

ありがとう! じゃぁ、お皿洗いに戻るわね

あぁ、よろしくね


 メイは顔に笑みを浮かべながら、スキップして店の奥に戻った。

 そんな後姿を見つめながら、アリサがそっと店長に耳打ちした。

外に誰も待っていませんでしたよ

だろうねぇ

 店長がくすりと笑った。

ついでに彼が目指しているもの、知ってます?

役者

 店長が即答した。そうそう、とアリサが笑う。

彼、メイに僕は嘘吐きだとまで言っているんですよ

もう皆気がついているのにねぇ。

リックは嘘をついてまで、メイになんとか会いに来ているのに。

常連客も知っている、有名な話なんだよ

気がついていないのは、メイだけですよね

本当だよ。リックもいい加減、告白すればいいのに

きっとリックも、メイの気持ちに気がついていないんですよ。

あまりに親身に相談にのってもらっちゃってるから、メイは自分のこと、男として見ていないんじゃないかと思ってる


 はっはっはと店長が笑った。

まったくもって、二人とも素直じゃない!

本当ですよ

 アリサは呆れるように、ため息をついた。

いつになったら、あの二人は結ばれるんだか

 そしてもう一度、二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

素直になれたら 後編

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