メイー、お客さんだよ

はあいー


 店長に呼ばれ、店の奥で皿を洗っていたメイは、慌てて手を拭き、店内に顔を出した。

 店には数人の客がいたが、手伝いがいるほどの数ではなかった。

 そもそも、昼時をすぎ、客数が減ってきたので、メイはたまっていた皿を洗いに奥へと引っ込んだのである。


 それなのに店長直々に呼ばれたのには、ある理由があった。

リックね?

 メイの言葉に、店長は優しく頷いた。

いつもの席。傷心しているふうだよ

 ばかねぇ、とメイはため息をつき、店の隅の席に目をやった。

 そこに、一人の男が見えた。顔を突っ伏し、肩を震わせている。

店長、少し慰めてあげても?

 行っておいで、と店長が笑った。

 メイはその男に歩み寄り、正面に座ると、茶色の短髪を思い切り叩いた。

痛いよ!

リック、また振られたの?

 リックと呼ばれた男は、ぶたれたところをさすりながら、素直に頷いた。

 目は真っ赤、鼻も真っ赤。まるで子供のようなリックを見て、メイは小さく笑った。

 リックはそんなメイの反応を見て、嘆いた。

どうして笑うのさ?

ふふ、ごめんなさい。なんだか幼い子みたいだったから、つい

酷いなぁ、僕は傷ついているんだよ?

ごめんってば。しかし、新記録じゃない? 

この前店に来てから、二週間も経ってないんじゃないの?

忘れたさ……ねぇ、コーヒーちょうだい

 一番おいしいの、とリックが言った。

 はいはいとメイが立ち上がると、傍を通りかかった店員が、私が持ってくるわとメイを席に座らせた。

いいの? アリサ

いいから、お話聞いてあげなさいよ

 そう言って、アリサと呼ばれた店員はリックを横目で見た。目が合ったリックは、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

ごめんね

いいのよ

 アリサは軽く手を振ると、そそくさと店奥にかけていった。メイは木のいすにもう一度座りなおす。リックが小さく鼻をすすった。

……で、どうしたの?

振られた

それは知ってる。どうして

気があわないのよ、さよなら……

 さよならだってさ、と小さくリックがつぶやいた。

 茶色の瞳に、またも涙がたまる。

泣いちゃいなさいよ、すっきりするわよ

泣かないよ

 リックは何度も目をこすった。そして目をぱちくりとさせると、嘲笑してみせた。

 まったく、俺はなんて馬鹿な男なんだと言っているようだった。

この前のときみたいに、諦めがつかないの?

この前の前だろ。この前は僕から振ったんだ

そうだったかしら?

そうだよ……あ、ありがとう

 アリサがそっとコーヒーを差し出した。リックがおどおどと頭を下げる。

どういたしまして。はいこれ、メイにも

 アリサが、メイの前にもカップを置いた。

そんな

いいのよ、店長のおごりだって

 驚いたメイは、席を立ち、店長を見た。

 店長はカウンターで、ぐっと親指を突き出し、ウインクして見せた。

どういう意味よ……もう

 メイはそう言いながらも、微笑み、店長に頭を下げた。

 店長はいいんだよと言う風に、手を軽く振ってみせた。

いい店長よね。私惚れそう

 アリサがこそっとメイに囁いた。ばかね、既婚者よとメイが笑う。アリサはあら残念と舌を突き出すと、じゃぁねと去っていった。

いい店だよ

 リックが言った。もう泣き飽きたようで、目の赤さは少しずつひいていっていた。

そうね。私、この店が大好きよ

僕もだよ。ここに来ると、元気になるんだ

最初に来たのはいつだったかしらね

二年と半年ちょっと前

よく覚えているわね

忘れないよ

 リックがつぶやいた。

 前に振られたのはいつだったかは忘れちゃうのにね、とメイがからかう。

振られて、呆然として、店にやってきたのよね?

そうだよ

それから、振られるたんびに来てるのよね

悩み相談にも来てるじゃないか。そんな頻繁には振られないよ

そうだったかしら?

そうさ

 リックは微笑むと、コーヒーを一口飲んだ。そんな姿を見て、メイは頬が熱くなるのを感じた。

 本当は、リックが初めて来たあの夜のことを、メイは鮮明に覚えていた。

 忘れるわけはなかった。リックに出会えた日なのだから、メイにとっては記念日だった。

素直になれたら 前編

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