寒冷の大地アルス。
 その東部に広がるヒューク砂漠は、降雪も見られる極寒の地域だ。点在するオアシスは凍てつき、本来の用を成さない。

 アルスの中央に存在する王都フィ・アルサスは、王族も街もかつての栄華を失い、活力のない日々を送っていた。

 アルスの地には、太古から伝わる妖精の伝説がある。
 砂漠のどこかにある白銀のオアシスに生息するという妖精。その生き血は難病を治癒し、不老不死をもらたすという。

 一説には、人はかつて妖精と手を取り合って幸福な時を過ごし、またある時は妖精をめぐって戦乱を起こしたと言い伝えられている。
 だが、確たる記録は残っていない。

 少女が、黄金色の髪を揺らしながら王都の市場を歩いていた。
 歳の頃は十三、四か。その身なりは修繕跡のあるブラウスと半ズボンの上に粗末なコートを羽織ったのみで、おしゃれには程遠い。
 たすき掛けに背負った袋には何かがいっぱいに詰まってパンパンに膨れている。
 だがその足取りは軽い。美しい金髪と野花が咲いたような笑顔が、行き交う者を残らず振り返らせていた。
 
 三月初めだというのに雪の舞い散る時節、王都フィ・アルサス。
 その西部に位置するこの場所、サンディ・ストリートは、もっとも盛況な市場通りであった。
 通りの左右に所狭しと並ぶ出店を眺めながら歩く少女に、食欲をくすぐる香辛料の臭いが襲いかかってくる。思わず足を止めた少女に気付き、その店の主人らしき中年の男が快活な声をかけてきた。

そこを行くのはこないだの子じゃないか、元気かあ? 街に出てくるのは久し振りだなあ!

あ、ダリルさん!

どうだい、良質な干し肉が大量入荷だ

うわーお肉、今日のも美味しそう!! ……でも、お値段が。ううぅ

 少女が、ぱあっと笑いながら店頭へと駆け寄るが、値札を見てすぐにしおっとなる。
 ダリルと呼ばれた男は、そんな少女の仕草を見てニヤリと笑う。

そりゃあ相応の値段さ。だけどその背中のバッグを見るに、今日もいっぱいアレを、持ってるんだろお?

ええ、そうですけど。また買ってくれるの?

はは、そりゃあ物によるけどな。こないだのは俺の娘がえらく気に入ってよお。どら、ちょっと見せてみぃ

はーい。んしょっと……

 少女が、苦労して背中からバッグを下ろす。革製のバッグは中身がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、彼女の胴体より一回りも膨れている。
 少女がそっと広げたバッグの口から、自然の素材で出来たたくさんの手芸品が見えた。木材で作られた食器や置物、植物で巧みに作られたリースなどなど。

相変わらず丁寧な造りだな、一流の職人みてえだ。嬢ちゃん、一体どうやって作ってんだか……値段はつけてるか?

値段はいつも適当です。場所を借りて出店するとそれだけでお金取られちゃうから、物々交換しかしたことなくて

じゃあその洒落た写真立てをもらおうか。ちょうど欲しかったんだ

いいんですか!? ありがとうございます! ……って、おいくらに?

自分で決めろよ、嬢ちゃんの商売だ

えっと……じゃあ、そのおいしそうな干し肉二つで!

えらい慎ましいな。ほら、干し肉三つだ!

うわあ、ありがとうございます!

まだまだ寒い季節が続くからな、風邪引くんじゃねえぞ

ええ、大丈夫です。ありがとうございます、ダリルさん

 少女がダリルにそっと笑いかけると、金髪がさらりと流れる。まもなくとことこと歩き始め、市場の先へと向かっていった。

 少女の後ろ姿が喧噪に呑まれていくのを見遣りながら、ダリルはつぶやいた。

……まったく。あれで天涯孤独の身ってんだからな。ひでえ世の中だ

 王都の中心に聳(そび)えるアルサス城。

 その騎士団宿舎の一室で、青年が荷造りをしていた。その横には、腰に手をあてて怒っている様子の女性がいる。
 二人とも歳の頃は、二十に届くか届かないかだろう。騎士団のエンブレムが入った特殊な仕立ての服を着ていた。

ちょっとライツ! あの無茶な任務を二つ返事で受けたっていうのは本当なの!?

声がでかいぞリール、鼓膜が破れる

 ライツと呼ばれた青年の顔へ、ツバをかけるような距離で、激昂中の女性、リールが声を張り上げる。

 机には、『妖精捕獲の密命』と記載された羊皮紙が置かれていた。

うるさい!! ……のはあたしか。
じゃなくて。質問に答えてよ、ライツ

 リールが更に叫び声を上げかけたところで、自分を落ち着けるようにショートカットの赤髪をぷるぷると振った。
 怒る気満々の姿勢をやめ、ライツの顔を上目遣いに覗き込む格好になりつつ問いを続ける。
 女性的なスタイルの良さが、ぴったりした騎士服のラインに現れていた。
 ライツがリールから視線を外しつつ、やれやれという仕草をする。

二つ返事だなんて、そんな簡単に受けられる任務じゃないのはお前もわかるだろう。
たっぷり三分は悩んださ

たった三分!?

 リールがライツへ掴みかかった。
 細身だが鍛え上げられていて重たいはずのライツの体躯が、ずずっと後退する。

仕方ないだろう。フローラの頼みは断れない。
なんたってあいつは、この国の姫様なんだ

でも、命に関わるような、重たい任務になるのに。
……どうせ、姫のためなんでしょ?

そりゃそうだ。フローラ姫は、この国唯一の王位継承者だぞ。
この任務は、成し遂げないとその姫の命に関わることになりうるんだ。なら、できることはやるさ

もう、あたしが聞きたいのはそうじゃなくって、ライツの……。
ああ、そう。もういい。わかった。ライツなんか、砂漠の怖いモンスターに食べられちゃえばいいんだから!

騎士団長をなめるなよ? 最近はろくに闘うような任務がなかったけど、モンスターなんかに負けるほど鈍っちゃいない

ふんっだ。へっぽこライツでも団長になれた田舎騎士団じゃん

ぐぅ……

 図星なのか、唸るだけのライツ。
 ちなみに、リールの襟には副団長を示す隊章が輝いている。

 ライツ・アーセナルは、若くしてアルス騎士団の長になった。
 面倒臭がりながらも手を抜けない性分で、入隊してから地味に剣の稽古を続けているうちに騎士団一の腕前になってしまい、今の立場に就いたた。そのバスタードソードから繰り出される剣技は、大岩をも軽々と破砕する。

 一方のリール・ティアは、ライツと同じ村の出身の同い歳。いわゆる幼馴染み。
 負けん気が強く、ライツが騎士団に入ればリールも入り、フルーレをこれでもかと振り回しているうちに副団長になっていた。加えて、修得が困難な魔法も、攻撃術から回復術まで幅広く身につけていた。

ま、勝手にすればいいんじゃない?
出発は明日だっけ。じゃあね。せいぜい生きて返ってよね

 リールがライツの胸を一発こづき、そのまま数秒間触れていた手をそっと離してから、足早にライツの部屋から出て行った。

リールのやつ……まったく、なんなんだか

 ライツが、頭をがしがしとかきむしる。

あの姫の頼みなら、断れないだろう。俺も、リール……お前も。

 ライツは溜息をついた後、荷造りを再開しながら、依頼を受けた時の事を思い返した。

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