僕の見えている世界
第2話
「……参ったよ。どうやらおかしいのは僕の頭の方みたいなんだ」
水色の髪の女の子に、今日も僕は話しかける。
「どうもね、みんないるらしいんだよ。人も動物も、虫だって。そこら中にいるんだってさ。
ただ僕は事故で大けがを負って、その後遺症で生き物を認識できなくなったって言うんだ。
ねぇ、そんな話信じられるかい?」
…………
信じられるわけがなかった。
僕の目には、人も動物も虫も、誰も居ない静かな町並みが広がっている。ここに実は大勢の人がいるだなんて、信じられるわけが無かった。
居るのは、目の前の水色の髪の女の子だけなのに。
「じゃあ僕が話している女の子は誰なんだって言ったら、それはただのポストだって言うんだ。そこらにある郵便ポスト。
はは、面白いジョークだよね。だったらせめて髪の色は赤くしないと、擬人化とも言えないよ」
…………
そんな馬鹿げた話をしても、彼女は無反応。
ポストだから。ポストは喋ることが出来ない。無反応なのは当然。
そう言われれば、彼女が実は無機物だって話もわからないでもないけど……。
艶やかな水色の髪。滑らかでまるで透き通るような美しい髪だ。
柔らかそうな白い頬に、可愛らしい小鼻、そして深い悲しみを湛えた瞳。
これがポストだって?
そんなわけがない、どう見ても人間だよ。
「ねぇ、君はクオリアって知ってる? 僕も最近知ったんだけどね。
その人がどういう風に見えているか、感じているか、ってことらしいんだ。つまり人それぞれの『感覚』のことなんだって」
…………
「わかりやすく言うと……そうだね。
例えば、君の髪の色は確かに水色なんだけど、でもそれは僕がその色は『水色』だと認識しているからそう答えることができるんだ。
実は赤色に見えているのに、その色こそが『水色』と認識しているから、水色と答えているのかもしれない。
もし他人と見ている色を共有できたら、その人は『赤色』と答えるかもしれないってこと」
…………
「でも実際は、他人の感覚を覗き見るなんてことできないよね? だから答え合わせができない。
他人が見ている世界の色と、自分が見ている世界の色は違うかもしれないんだ」
…………
他人の感覚は、クオリアは、共有できない。
だからこそ、僕が見ている世界は……。
「つまりね……。世界に誰もいなくなってしまったように見えているのは、僕のクオリアが狂ってしまったから、ということ。
ただの郵便ポストなのに君が女の子に見えるのも、そのせいなんだ」
…………
「……なんてね。いくらなんでもあり得ないよ、そんなの。
世界にはやっぱり人がいなくなっていて、目の前の君はポストじゃなくて女の子だよ。そうとしか思えないし、見えない。
クオリアだかなんだか知らないけど、僕には僕の見えている世界しか信じられないよ」
…………
クオリア。僕が見ている世界。誰も居ない世界。
それが間違っているなんて、誰にも証明できない。
誰にも答え合わせなんてできないんだから。
世界が終わって、すべての人がいなくなったのか。
僕が狂って、世界が終わったように見えているのか。
信じるなら、どっち?
「僕が狂っただけなら……世界は終わってないし、一番いい。僕一人が狂っているだけで、世界は平和なんだから。
……君は、そう思う?」
…………
「そんなの嫌だよ。誰だって自分が狂っているなんて、認めたくないでしょ?
ましてや人や動物……生き物を認識することができないだなんて。それこそ狂うよ。頭がおかしくなるよ。生きていけないよ。そうでしょ?」
…………
「だから僕は、僕が見ている世界を信じたい。僕が狂っているなんて話は、おかしくなりかけた僕が産んだ妄想だ。
……確かに、これが本当なら世界は終わりかもしれないけど、でも、現実は受け入れなきゃいけないんだ。
だから……君も、僕を信じて、僕の言葉に応えて欲しい」
僕は女の子の顔をじっと見つめる。
すると女の子は、深い深い緑がかった瞳を潤ませて、すっと目蓋を閉じた。
……うん。
この世界は、あなたの見えている世界だから
「あっ……!」
やっと、やっと……女の子が、喋った。
少し高めの、繊細な声。その水色の髪のように、透き通るような声だった。
「そう……やっぱり、そうだよね!」
そしてなにより、彼女は認めてくれたのだ。
僕が見ている世界が正しいと。
世界には他に誰もいなくなっていて、目の前の女の子もポストなんかじゃない。
だって、喋ったのだから。もう無機物だなんて話は筋が通らないぞ。
「ありがとう、ありがとう……!」
僕は嬉しくて、勢い余って彼女に抱きつき……
そこで、意識が途切れた。
…続く